<Die Sicht ändert 衛宮志保>
夢……夢を見る。
浮かぶシルエットはそれが剣だって事しかわからない。
ただその剣が、自分を捕らえて離さない。
刃物に心惹かれるほど物騒な人生は送っちゃいないと思ってたけど。
「う……ん…あれ………」
「お姉様、おはようございます」
「桜……?いっけない、また土蔵で寝入ってたか…」
「お姉様、冬なんですからそんな格好で寝てたら風邪ひきますよ?」
困った風に首を傾げる桜。
口にこそ出してないけどアタシがツナギといった格好をするのを良く思ってない。
アタシの美観を損ねる、とか。
そんな戯けた言い分には毛頭従う気はない。
「今、何時?」
「6時、2,30分位でしょうか。お姉様は着替えてきてください。私はその間に支度を」
「悪い。すぐ行くから」
手早く着替え、洗面所で軽く髪を整える。
うーん。今じゃどんなに時間が無くてもこの習慣は欠かせなくなってるな。
男だったら寝癖を整えて簡単に櫛を入れればお終いなんだろうけど。
「よしっ」
最後に梳かし、流した髪をゴムで留めて完了。
高校に入ってからは1,2種類程しか持ってなかったゴムも一週間色替えできるくらい有る。
ま、アタシは進んで買ったりはしないから大概は贈り物。
同じ位の数でリボンも貰ったけど………絶対着けん。
「桜。お待たせ」
「いえ、お汁の方は済ませましたよ」
「藤ねえにゃ悪いけどおかずは昨日の流用かな。桜はそっちを頼む。アタシは卵焼きを」
「はい」
台所で二人並んで朝餉の支度。
ちら、と桜の方を窺えば慣れた手つきで調理をこなしていく。
アタシに弟子入りして一年半にもなる桜の料理の腕は総合的に見たらもう皆伝をやってもいい。
さすがに師匠として和食じゃ負けてらんないけど。
「お姉様の髪も大分伸びましたね」
確かに。
ポニーテールにした状態でも腰の下まで届いてる。
積み重ねってのは恐ろしいもんで毎度毎度煩わしいと思っても風呂に入るときの手入れは欠かさない。
「いっそ切っちゃおうかとも考えたりするけどね」
「ダメですよ。お姉様の髪、綺麗なんですから。羨ましいです」
まぁアタシとしても今、切っちゃうのは厭かな。
この髪は切嗣の願いの一つだから。
その存在と思い出が色褪せる事無いとしてもやっぱりカタチとして残したいものもある。
尤も、ここまで伸ばし続けてきたのは半分は惰性とも言える。
「むしろお姉様はもっと冒険すべきです。それだけ長ければいろいろ工夫できるのに……」
「コイツが一番動きやすいからいいんだよ……ん?桜、手」
「え?……あ」
制服の裾から一瞬チラリと覗いた桜の手の甲にうっすらと痣のような痕。
「火傷でもしたのか、それ?」
「……そ、そうなんです!家でお茶を入れたときに手を滑らして……」
「そうか、包帯とかしなくていいのか」
「いえ、痛いとかは無いんで」
やけに慌ててるな桜の奴。
そんなに人目を気にしたくなる傷でも付いたんだろうか?
◇ ◇ ◇
「髪の事もそうですけど先輩、最近言葉使いも丸くなってきましたよね」
「そんなことないぞ?」
「あ、先輩、今意識して言いませんでした?」
うっ…なかなか鋭いじゃないか。
しかしここは無難に、それでいて憮然に「んーなことないって」と応ずる。
「でも……そうですね。先輩の魅力が増えるというのは私にも喜ばしくありません」
「桜、何気に酷いこと言ってない?」
「いーえ、私の正直な所です。それとも先輩?もっとモテたい………とか?」
「――桜、お前は正しい」
自分では意識し辛い事だけど確かに言葉使いが柔らかくなってるのは確かかもしれない。
以前何度か、「オレ」と言えるか考えて愕然とした。
それは、言い方を思案して、意識しなけりゃならない位こっちの言葉に馴染んでいるって事。
いずれ心の中にもこの流れは押し寄せてくるんだろうか?
…………アタシは……衛宮志保だ。
女に染まりきるのが怖いとは思ってない。
でも、それは……少し悲しい事に思える。
「先輩。今日は…」
「ああ、今日は生徒会の方で手伝いしなきゃいけないからそっちに行く」
「はい、わかりました」
校門で桜と別れ生徒会室へ足を運ぶ。
中には男子生徒が唯一人。
「っはよ、一成。待った?」
「いや、だが少々時間が押している。すぐに頼めるか?」
「あいよ。それで、どっからやるの?」
「ふむ、まずは3年の教室からだな。ああ、忘れてた。衛宮、」
「ん?」
「おはよう」
は〜相変わらず堅苦しい。
こんなんだから一成には浮いた話がないんだな。
女子には人気有るのに。
壊れたストーブの前に腰を下ろし中を「覗く」。
もうずっと魔術の鍛錬を繰り返してはいても未だその腕は半人前の域を出ない。
おかげでこういった日曜大工染みた方面にばっか力を発揮してくれてる。
アタシらしいっちゃ、らしいけど。
「衛宮!人がいないからといって女子が床に胡座をかくなどと…」
「あー!気が散る!いいじゃんか別に。この体勢のほうが楽なんだよ」
一成が規律にうるさいのは今に始まったことじゃないが、ここ最近は「女子が――」みたいな言い回しが多い。
言いたかないが差別発言じゃないだろうか?
まだ納得いかない様子の一成を置いて、ストーブに向き直すことにする。
さて。
思考を追い出しストーブに魔力を通す。
頭の中で設計図を起こし「道」を辿り、異常を洗い出す。
――――――――――ん、これならまだアタシの範疇に収まるな。
「これなら大丈夫そう。直せるよ」
「それは良かった。しかし衛宮が役に立ってくれると嬉しいが同時に歯痒くもあるな」
「?何言ってんの、おまえ。とにかく……いつも通りに」
「ああ、誰にも邪魔はさせんよ」
そうして修繕の目処がたち廊下に出ると……一成が赤いのと睨みあっていた。
「あら、衛宮さん。朝からバール少女なんて随分シュールですね」
一成を、というよりも「部外者」を前にしてるから遠坂は猫かぶりモードだ。
ああ、でもなぁ…その発言の刺々しさには衣着せないんだからタチが悪い。
「そんな光景アタシだって見たかない、スパナって言えって。…に、しても今日は早いじゃんか遠坂」
「ええ、偶には」
「衛宮急ぐぞ。此奴に構っている時間は無い」
「―――あ?一成、待ちなって!……遠坂、また今度」
一瞬だけ遠坂の方へ振り返ると、彼女も行儀良く、こくっとだけ返してくれる。
学校の中じゃ誰が見てるかわかんないとか言ってたし、どこまでも優等生に徹するみたいだ。
ホンっト、大した猫のかぶりっぷり。
もしアタシが悪気が無くても遠坂の擬態が崩れるような真似したら………。
――――ううう、寒気が……止そう、怖いビジョンを浮かべるのは。
駆け足で、ずんずんと一歩ごとに力んだ足取りの一成に追いつく。
心なしか不貞腐れてるような歩き方だな。
「っと……一成、いくら何でも露骨過ぎやしない?」
「構わん構わん。あの女は蚊ほども気にしてはおらんだろうよ。衛宮もよく付き合っていられる」
「いっせー。アタシを前によく堂々と貶し倒せるもんだな」
「む、癇に障ったなら謝る。だが遠坂への評価は曲げんぞ。あの女は敵だ」
「なら、アタシはどうなのさ?」
「え…衛宮は…友達だ………大事な…」
「そ?あんがとっ」
笑ってその言葉に返す。
あ、照れてるな、一成の奴。
まぁアタシも……面と言われるとちょい、こそばゆいけど。
「ぬぅ、衛宮、もうすぐ始業だ。走らんと間に合わんぞ」
「あ、はぐらかしたなぁ?」
少しばかりからかい口調で言ってやる。
いや〜普段は遠坂にいい様に遊ばれてるからちょっと気持ちイイ。
「衛宮、その笑い方は遠坂の様だぞ?」
「アタシャあんなにざーとくは無いですっ」
未だザワつき通しの教室に駆け込む。
つっても藤ねえがウチの担任である限り遅刻することなんてそーそーありえない。
「衛宮…また柳洞のお手伝い?そんな暇があるなら弓道部に顔出してほしいよねぇ?」
「おはよ、慎二。そうは言うけどさぁ、アタシ半分は部外者だよ?今回だって切実な問題だから手伝ったわけであって…」
「くっ…そういうのが嫌だって僕は言ってるんだ。朝から晩まで他人の世話ばかり!」
朝っぱらからお約束談義に発展させるなよ…。
朝イチでテンション落とすような真似はしたくないんで適当に切り上げる。
「焼き直しならお断り。明日は朝から参加するから、な?」
そこでチャイム。
慎二はまだ言い足りないって感じだけど渋々席に戻る。
入れ違いのタイミングでアタシと席が近い一成が話し掛けてきた。
「間桐にも困ったものだな」
「慣れたもんだけど?あれが慎二の味だし」
「しかしだな、旧知の輩ならば、あの振る舞いは無いと思うが」
「一成、やけに慎二のこと嫌ってるよね。なんかあったの?」
ピクッ
その瞬間。
何故か教室内の喧騒がぴたりと止まり、
『はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜』
と全員、溜め息の唱和が起きた。
ナンデショウコノクウキ。
少なくともアタシが貶されてることだけは感じ取れた……………………何でさ。
◇ ◇ ◇
さて、行きますかっ。
「衛宮、帰るのか?続きを頼みたかったのだが」
「ごっめん。バイト、前々から頼まれててさ」
「ふむ、先約ならば致し方あるまい。ではな」
学校を出て一路、新都へと足を運ぶ。
ホントは家に戻ってスカートは履き替えて行きたいんだけど時間が微妙になるから向こうで替えよう。
―――どっちにしても半端になってしまった。
どこで時間潰したもんか…。
本屋は駄目、読み出すと時間の感覚が麻痺する。
ゲーセンは……パス。
軟派野郎に声掛けられるのなんて真っ平だ。都心部も同様。
アタシそんなに身なりに力入れちゃいないのにどうして男達の目にとまるのか…。
やっぱしこの胸かなぁ……はぁ、着痩せする美綴が羨ましい。
足の向くままに辿り付いたのがあの因縁の場所。
「士郎」の最後の地。
もう此処には大分訪れてないってのに、ざらつくような厭な感じは変わんない。
ここいら一帯は全然開発の手が及ばないまま今に至る。
前に監督さんに聞いた話じゃスポンサーも火事で死人が出た土地には手をつけたくないらしい。
イメージが悪いとかよりも生理的な嫌悪感が身を浸す、今ココに立ってるとそれが再確認できる。
ここに来ると思い出す、切嗣のこと。
自分の深い所で色褪せることの無いあの貌。
見る人間を安堵させ、自らもまた、救われたような…優しさとかじゃない。
慈愛とか、そういった言葉を超越したような貌。
自分でも美化しすぎだろう、とか思う時も有ったけど、やっぱりあの気持ちは譲れない。
揺るがない。
憧れて…ただ憧れて、その後を継ぎたいと、継ぐんだと誓って早5年。
足がかりである魔術すらおぼつかない状態でどうやって正義の味方を名乗れると言うんだろう。
たまに………わかんなくなる。
―――お父さん、アタシ、間違っちゃいないよな?
時間だ。もう…行こう。
「え?必要ない?」
「ううん、どういうわけか男共が揃いも揃っちゃってさ。エミヤんが手伝えるとこがないんよ」
勇んで来たはいいがネコさんが言うには滅多に揃わない他のバイト達が今日は全員来てるらしい。
棚卸だから当然っちゃあ当然だけど。
無駄足かぁ。
藤ねえに何言われることか。
「代わりって言っちゃ何なんだけどさ、エミヤんには別口でヘルプして貰いたいノがあんだけど」
「晩御飯作れってのは無しですよ?」
「いや、ね?あたしの顔馴染が働いてる店でさ。今日、人が立て続けに休んだらしくてヒーコラいってんのよ。……で」
「アタシに……白羽の矢が立った、と?」
「いえ〜す。お願いできないかな?向こうでの働き分にコッチからも色付けたげるから、ね?」
「このまま手ぶらでも帰れませんから……引き受けます」
「本当!?よかったぁぁ。じゃ、そのお店まで案内するよ。父さん、あたし、ちょい出てくるわ」
「ええ〜マネージャー、志保ちゃん連れてっちゃうんですか?」
「そりゃ横暴だぁ」
「ええい、やかましい!男は黙ってキリキリ働けぃ!!」
『へ〜〜〜〜〜い』
ブーブー文句垂れだす先輩方を怒声で一蹴。
う〜ん。伊達にトラの友人やってないんだな。
そうして駅前の方まで先導され歩いていった。
そういや店も仕事の内容のことも聞いてないぞ。
「ネコさん、アタシどんな仕事やるんですか?専門的なことはちょっと…」
「んん。安心して。『あるばいとますたーエミヤん』にはきっと、絶対、確実にお似合いの仕事だから」
なんて不本意なネーミングだ。
いや、アタシも迷い込んだ猫やらに名前つけてみたら桜と藤ねえにエライ抗議くらった覚えあるけど。
なーんとなく不安になりながらネコさんについて行った先、「お似合いの仕事」とやら。
それが――――――――――――
「いらっしゃいませー。食い逃げ喫茶ローキックへようこそ♪…………………………はぁぁ」
―――これかよ…。
案内された先はどこにでも……いや、ちょっと違うか――いっぷう……否…ニ、三風変わった佇まいのファミレス。
外から眺めてもその繁盛振りが窺えた。
つーか、このセンスとかゆー言葉を超越した店名は何!?
メインの看板に、後からつけたようなもう一枚の看板には「食い逃げ上等!信賞必罰」と書き殴ってあるし…。
で、ずんずん先行くネコさんに付き従えばあれよ、という間に更衣室に通される。
「ちょ、これ!?ネコさん、まさかアタシにコレを着て働けって?」
ずらりと並べられた制服は一様じゃなかった。
短いのは仕様です、と言わんばかりにスカートはミニで統一。
上半身も胸が強調されたり、肩が露出していたりと着る人間を選ぶようなものばかり。
視界の端を掠めたメイド服は記憶から消しておこう。
また、テーブルに集められた装飾品はネコミミカチューシャやらナースキャップと正気を疑う物ラインナップ。
果てはトゲトゲ付きの首輪まで。
添えられたカードには「気の向くままに自分をデコレーション♪」とか書いてある。
…………アタシには遠まわしに「自分を捨てろ!!」と云ってるように見えた。
「制服」を前に茫然自失してるアタシに業を煮やしたのかウェイトレスさんが呼びに現れる。
どっからどう見ても修道服姿で。
「〜〜〜。ごめんなさい、衛宮さん、でいいのよね?貴女がこういった接客業には慣れてるって聞いたから……。
ホント、悪いんだけど直ぐにフロアの方に来てくれない?着替えながら大まかなことは説明するわ」
「いや、あの、アタシまだやるとは……」
「頼むよエミヤん。これ!このとーり」
間髪入れずネコさんにパシンっと拝み倒される。
いくらそれでも……この服はマズいっしょ?
嗚呼、トラウマが思い起こされるぅぅ。
―――――――――――ああもう……。
押しに押されていつの間にか店内を駆けずり回る自分がいます。
制服は自分に一番なじめそうなエプロンドレスにした。当然、短い。
現実逃避のひとつもしたいとこだけど、ひっきりなしに入れ替わるお客さんの応対でそれドコじゃない。
「あ〜の〜、アタシ厨房の方じゃ駄目なんですか?皿洗いも仕込みにも自身有るんですけど?ええ、ホント」
「ごめーん。確かに向こうもテンパってるけどフロア優先なの。なんとか気張ってくれる?
あ、でも衛宮さんスジ良いから助かってるよ」
撃沈。
普段気にしたことなんか無かったのに人の視線が刺さるくらい感じ取れてしまう。
こんな短いスカート、切嗣の悪戯以来だから免疫なんて無い。
こうなりゃ仕事に意識を沈めるっきゃない。
あとは野となれ山となれってか?
くそぅ……頼むから知り合いと会いませんように。
「ありがとうございます。またのご来店お待ちしております―――――――お、おわっ……たぁぁああ!!」
最後のお客が出て行った瞬間、体面もナンもなしで腕を振り上げ、高らかに吠えた。
「凄い凄い!衛宮さん未経験でこんなに順応するなんて大したものよ!」
順応………してたんだ。
……ヤダな、後半記憶が断続的だ。
「今日限りのヘルプは惜しいなぁ、どうだい?是非正式にウチに勤めてみないかい?」
「全力でお断りします」
「はは、これは手厳しい。しかし助かったよ、はい、君の働き分。それと…こっちはネコさんからだね」
「あの…ネコさんは?」
「あのコは帰ったわ。挨拶と報告はいいから、って。じゃあ衛宮さん、お疲れ様。ほんと助かったわ」
「あ、はい。お疲れ様でした」
そうして重い足取りで家路につく。
ファミレスってみんな、あーなのかな?
外食には使ったこと無いからワカラン。
家まであと少しという辺り。
突然に、あまりにも唐突に、一人の女の子と出会った。
コサック帽みたいな帽子から流れた銀髪が街灯に煌めくのが印象的だった。
その子はアタシを見てニコリと微笑むと、
「―――お姉ちゃん、早く呼び出さないと死んじゃうよ?」
それだけ言って夜道の中に消えていってしまった。
アタシは……まるで狐に化かされたようにその場で呆けるばかり。
再起動して、家に帰ってもあの子の言葉の意図は最後まで掴めないままに、床についた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
<Wille des Himmel>
そこは暗い、暗い石室。
間桐慎二は祖父、間桐臓硯に初めて呼び出された。
あの初春での出来事、想いを寄せる少女に激されて以来、堂々と足を踏み入れた事など無い。
この薄気味悪い場所で10年以上も、妹は得体の知れない「改造」を施されているというのに。
自分にはあの祖父と名乗る隠者を覆す力も勇気もなく、身代わりになる素質も持ち合わせてはいない。
妹――間桐桜を守ることのできる「間桐慎二」であろうとしたが彼は自身の無力に打ちひしがれた。
その度に癇癪を起こしそうになり、その度に、かの少女に諌められた。
ならば、せめて「兄」であろうと彼は誓う。
桜が仮初めの妹であろうと、否、だからこそ、家族と離され孤独に沈む妹の味方であろう、と。
それは同時に少女、衛宮志保への不文不言の誓い。
自分の気持ちにさっぱり気が付いてくれない少女。
彼女がいるから今の自分がいる。
彼女がいたから今の自分になった。
慎二にとっては不満ながらも志保は彼の唯一無二の友人であることを自負してくれた。
彼は決めた。
「兄妹仲良く」という彼女の願い。
それを守ることで桜への罪滅ぼしとし、同時に、守ることで初めて志保への恋慕も許されるのだ、と。
誰に言うでもなく自らに課した。
それこそが一度は捨てた魔術師の家系としてのプライドに対する代償行為。
「―――――と、いった所での。戦いたくないと吐かす者が勝ち抜けるほど聖杯戦争は生半可な代物ではない故、な。
慎二。御主にこのライダーを預けようと考えたのだが?」
「僕が……サーヴァントを…」
「左様。あの遠坂の後継ぎにひと泡ふかす事も出来るのだぞ」
この提案は悪魔の囁き。
かつて失った魔術師への憧れと共に魔術師としての証としては申し分の無い「キセキ」を与えてくれるというのだ。
慎二の心は揺れに揺れた。
聖杯戦争に関しての知識だけは持ち合わせている。
それは自分の命を脅かす闘争、しかし自分の存在を誇示するには最高の舞台。
思い浮かべていくだけで沸々と欲望がせり上がっていく。
憧れに順じた力への欲望。
自己顕示への欲望。
しかし………と踏み止まる。
聖杯戦争への参加は……力を求め、振りかざす事は…衛宮への裏切り行為ではないか?と。
慎二の中での衛宮志保が占める部分は大多数に及んでいる。
彼女に否定されれば、イコール、自我は不安定になり再び彼はあの初春の暴挙を再現することだろう。
慎二当人としても、あんな惨めな思いは二度と味わいたくは無かった。
だが、それでも…と、妹とそれに付き従う長身長髪の女性に目をやる。
もし桜に代わり自分がライダーのマスターを引き受ければ、それは桜を守ることになり、衛宮への誓いも守られるのでは?
考えてしまったが最後、慎二の中で葛藤が繰り広げられる。
やがて――――――コクン、と悪魔に了解の意を示した。
自分は魔術師の仲間入りだ、妹の重責も無くなり、同時に守る力も得る。
万々歳ではないか、そう押し込めることで自らを納得させた。
憧れとプライドの板ばさみ。
もとより、桜がマスターに選ばれた時点で選択の余地など残っていない。
あるいは最も賢い選択肢、「戦わずして放棄する」ことも出来たが慎二がそれを選ぶことは在り得ない事だった。
慎二は目を伏せた。
矛盾を孕んだ強引な論理のすり替えに。
そして、体中に蟲が這い回り、ビクビクと身悶える桜に。
耳を苛む蟲共が蠢く音が途絶え、目を開けば、へたりこみ息をつく桜の傍らに分厚い本が顕現していた。
<――――――fallen>
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
また剣の夢。
日を追うごとにその形は鮮明になってくる。
それは肉厚な西洋風の剣。
その傍らには剣に侍るように佇む装飾豊かな鞘。
見惚れた。
その在り様に、美しさに、ただただ、見惚れた。
身の程も弁えずに「こんな剣をいつか自分も……」と考えてしまう。
―――――いつか自分も?その後…どうしようというんだろう?
触れたい?
それとも……創りたい?
バカな…強化魔術もロクに形にならないっていうのに。
微睡みの中、いつの間にか剣の夢は早々に途切れてしまい、その先で不思議なモノをみる。
黒い…黒いなにか…。
本当になにか、としか形容できない。
まぁるい穴のようでそれでいて、胎動してるようにも見えた。
うん、胎動って表現がそれを物語っている。
あれはさながら黒い胎児のようにもとれる形をしてたかもしれない。
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