かちゃ、かちゃ、と食器の音だけが居間を支配する。
沈黙の食卓。
今日に限ってはテレビも点けていないからBGMたる朝イチのニュースが流れない。
といってもこの静けさは全然不快を催すもんじゃなくウチでは当たり前の風景なのだ。

「んむぅ?志保?あんた今日は微妙にテンション低いけどどうかしたの?」
「あ〜…わかる?」

当然でしょ、と藤ねえはこっちから目を離さない。
さすがは保護者を名乗るだけあって鋭い。
ああ、但し――もくもくと御飯を口に運びながら、ではあるんだけど。
桜は何のことかわかっておらず「?」と首を傾げ窺い立てている。藤ねえと違い箸を止めて。

「何てことないんだけどさ、夢見が……悪かったのか…な?あれって」
「夢?いつものやつじゃないの?」

いつもの、とは10年前のあの出来事の夢。
年を重ねる毎に見る回数は減ってきたものの、その朝は決まって魘されて起きた上、体調も悪くなるのがもっぱら。
ただ、今日のは……ううん、よく分らんなぁ。

「違う。なんか、こう…暗い場所で………赤ん坊?、がアタシを見てるような夢。どうしてか、すっごい不快だったんだ」
「赤ん坊ねぇ。夢判断ってなかったっけ?桜ちゃんなんか知らない?」
「え、はい………確か、夢に出てくる赤ん坊っていうのは『新しい可能性と生命力のシンボル』だったと思います」
「どうもなぁ…それとは縁の遠い内容に感じたけど…」

口じゃ言えないんだよな、あの感覚。
それが厭だな、って感じはするんだけど其処に在るのもまた、当然のよう。仕方ないか…ってヤツ。
上手く言えないけど厄介人と長年同居してる、みたいな?

「そんな眉間にしわ寄せたところでわかりゃしないでしょ」

途端、投げやりになる藤ねえであるが正論ではある、気にし過ぎてもしょうがない。
……はて?どうしてたかが夢の一つ、こんなに気にしてるんだろう?

「お、お姉様……その、手は…」

指差す左手、掌を見ればミミズ腫れのよう模様が浮かび上がっていた。

「気付かなかった、土蔵で寝こけてる間に何かに引っ掛けたかな?………桜?どうした?」

先程までの顔色が嘘のように血色を失った表情でアタシの右手を凝視している。
「大丈夫だよ」と手を振って見せても桜の面持ちからは、少しの安心も伝わってこない。

「どうかしたの、桜ちゃん?志保の自業自得でそんな顔する必要ないじゃない」
「くっ、言わせておけば…。そういや桜の、えっと…左手、だっけ?ソッチの傷はいいのか?」
「―――!!」

その一言に桜の身がいっそう強張るのが分った。

「本当にどうしたんだ?体調、良くないなら休んだほうがいいんじゃないか?」
「い、いえ!本当に、ほんとうに大丈夫ですから!」

慌てて先日怪我してるように見えたほうの手をこっちにかざして見せる。
確かに、そこには傷なんてなく、桜の白い綺麗な肌が誇示されているだけであった。



「お姉様……あの…」

門前に立った所で声をかけられる。
仕方ないか、と割り切っても桜の態度は気にかかってしまう。

「桜、いつまでも気にしたってしょうがないって。それとも……この傷、まさか桜の過失、とか?」
「いえ……ただ、私の思い過ごしであればいいな…って」

冗談めかして聞いたら桜はそう、ぼそっと呟くだけ。
隔てたような空気。
もしかしたら本当にいらん心配でも背負(しょ)ってるんじゃないだろうか?

「お姉様。今日はどこにも寄らず家に帰ってくれませんか?」
「あ、ああ。今日はバイトもないし直ぐ帰れる。大丈夫だって!」
「それと私、週明けまで来れそうにないんです。その間…」
「解ってる。藤ねえはアタシが躾とくし、桜がこっちの事で気を揉む必要はないさ」
「…………ごめんなさい」

何に対して謝ってるか図りかねるほど、すまなそうにするのでアタシはそれ以上突っ込むことはできなかった。



「!」

なんだ………コレ…。

学園に一歩足を踏み入れたところで違和感。
それは微々たる物ではあったけどまるで透明な、沼というよりゼリーに身を浸した感触。

「先輩?どうか、しましたか?」
「あっ、えっ?」

意識を緩めた瞬間に違和感は影を潜めてしまった。
いや、それともアタシの感応が弱いだけかな。

「別に、ただの気のせいだ」

訝しげに、心配そうにこちらを窺う桜を促して弓道場へ足を向ける。
ふと、甘い香りが鼻を掠めた気がした。

「いよぉ。感心感心、今日もちゃんと来やがったね。間桐も」

実にふてぶてしく美綴が声をかけてくる。
に、しても、もう7時だってのに他の部員の姿が見えない。
期末が近いからなぁ、皆疲れてるのかもしれないけど……その点、美綴はさすが文武両道の体現者。

「ああ、衛宮、近う寄りな」
「?桜、悪いけど先、着替えてくれ。……で、何さ?」
「なぁに、戦況報告ってやつさ。どうよ?誰かイイヤツ見つかった?」
「???………………………………………………………………ああ!あれか!」

今の今まですっぱり忘れてた。

「その様子じゃあ…」
「当然。見つかるわけ無い。あの勝負にはアタシはあくまでも名義貸し位のつもりでしか参加してないし」
「まっずいなぁ。このままだと卒業まで延長、もしかすりゃ、ご破綻ってこともありうる」
「美綴なら一年もあれば見つかるって。そういや遠坂の方は?」
「ああ、一昨日の話じゃスタートラインにも立ってないね、ありゃあ。人のこたぁ言えないけど」
「やっぱ御題目が悪かったんじゃないか?」

二人とも異性と付き合うって言うより跪かせるって感じだものなぁ。
……いかん、すっごいビジュアル浮かぶわ。
いや、むしろ遠坂に到っては現実のものにしてる可能性大だ。

アタシにしても、あの時は意識すれば周りが違って見えるなんて言葉で釣られてはみても、変わらないもんは変わらない。
慎二も一成もアタシの友人やっててくれてるけど、それはきっとそういう(・・・・)イミじゃない。
自惚れるつもりなんて無いし、恋愛沙汰でなら尚の事。

「売った喧嘩だ。最後まで貫くさな。正直そっちじゃ……追いついてすらいなさそうだし…」

何故かじぃっとこちらの胸を凝視してくる。

「な、なんだよ」

自然、見を捻って隠す形を取り……自分に驚いた。
視線を感じただけでこんな行動を取ってしまうほど自分の思考は傾倒していたのか、と。
考えるよりも…先に……。

美綴は「へぇ…」と呟きながら奥の部屋へと背を向ける。

「まるっきり前進してないってんでもなさそうだね」
「?何のことだよ」
「さあねぇ」

ロクに答えることなく更衣室に入っていき、ふっと振り返り、
「そうだ、悪いけど放課後、弓の手入れ頼める?衛宮がいると効率ダンチだからさ」

そう言付ける。
向こうもアタシの返答がわかっていたのか最後まで振り向くことなく歩を進めていく。
その背中に「はいよ」とだけ応えた。

晩飯の支度が遅れるかもしんないな。
桜は今晩から来れないって言ってたっけ。
あ、でも藤ねえも今晩は来ないから多少遅くなっても問題ないっ、か。

◇ ◇ ◇

『えーみやー。まだやるんなら鍵の管理頼むから。いつもの場所、いいね?』
『あー、お疲れ〜』

―――なんて会話を交わしたのは何十分前だろうか。
単位がアワーになってないか不安になる位の時間は経ってる筈だ。

「うわ、マズ…真っ暗じゃないか」

冬の夜はあっという間にその深度を下げる。
加えてこの弓道場は校舎からも離れ周囲は雑木林。
校舎から漏れる光にも期待できない。
アタシは経験だけを頼りに校門のほうへ足を伸ばす――――その時だった。

キィン、と耳鳴りにも似た音。
それを空耳と思う機会は与えられなかった。
初めに耳に入れ瞬く間に2、3、4度、頭の中で数えるのもバカらしくなるほどの――金属音。
発生源は多分校庭だ。
アタシは何とはなしにその地点へ歩いてみる。
それは好奇心を覚えたから、というよりもむしろ、出来の悪い管楽器の演奏に誘われたかのように。

足の動くままに出て行こうとして、本能がそれを止めた。
切嗣(オヤジ)との模擬戦でも感じた空気、それが不意に脳裏を過ぎったのだ。
窺うように建物の影から校庭内を視界に入れる。
非常灯が照らす輝きを頼りに目を凝らそうとした―――が、そんな必要は無かった。

「なん…だ………あれ…」

火花。
そう、火花だ。
ソレを起こすのは工業用機械などではなく、人の姿をしたナニモノかが、二人。

ソレらは戦っているように見えた。
いや、戦っている、戦っているんだろうが理解が及んでくれない。
ガタイのいい二人の男が各々の得物を絶えず振り払い、時には突く。
そしてその度に摩擦からくる光、遅れたように剣戟音。

目が、追い付かない。

「闘争」というものを教えられた。
日常から離れた場所に立った筈だった。

でも、今、眼前で起こってるコレは何だ?

長い得物――おそらくは槍――を携えた青い男が恐ろしい速さでその凶器を以って「敵」を穿たんと突き入れる。
その回数、瞬く間に……わからん。
わからないっていうのが答えだ。

……ちょっと待った。槍ってモンはそういう武具じゃないだろうが?
敵に向かって槍を突いて、また突くには槍を引かなければいけない、至極当然の理屈。
だのにあの男はそれを一瞬で幾度こなした?
まるで腕と槍が増えたみたいじゃないか。

迸る閃光が生易しいものでないことは離れた場所にいてもよく分かる。
伴い起こる風切り音からは間違いなく人を絶命させられるだけの威力を持ち合わせていた事が伝わる。

なら、それを受け止め続ける赤い男も、また、超常級。

両手に持った一対の双剣。
尺も長い訳では無いその剣が男の生命線、されどその二翼は鉄壁。
守勢一方であるにも関わらずその振る舞いに一片の焦心なく穿たれる「点」を叩き落していく。

身の丈ほどある長槍を自在に操る男が点から突然、線へ流れを変える。
大振りと言えど遠くから見れば、さらにあれほどの使い手なら、強風が通り過ぎたくらいにしか見えない。
それだけの速度で繰り出されれば、その身の骨は砕け散る、あるいは体ごと引き裂かれてもおかしくはない。
赤い男は辛うじてその一撃を剣の腹で受けるが片手で防ぐには衝撃が重すぎたのか握られた剣は弾き飛ぶ。
「今!」とばかりに青い体躯が身を屈め、「溜める」。
獲物を前にした肉食獣を連想させる男の体勢に「やられる!」、そう思った。

でも赤い男は何を考えたか、衝撃に揺らぐまいと踏ん張りながら残った方の剣をあろうことか…投擲した!
なにをトチ狂ったのか!?その一投、確かに相手の追撃は防げた。でもその後は?
危なげなく真横に弧を描く刀剣を払い、無手の男に飛び掛か――!…………らない??
どうして…?

青い男が警戒を緩めず見据える先にはつい、先程まで握っていた双剣がそのまま赤の男の両手の中に。
一体どんな手品だってんだ?
相手もその結果は読んでいたからこそ踏み込まなかった?
槍を使う者にとって懐こそが死角。
とどめを避けて自分から近づく愚を切り捨てたってことか……。

…あんな極限状態みたいな剣戟の最中にも関わらず、こんな駆け引きを展開できるなんて…、
「まるで……夢物語の一節に…紛れ込んだみたいじゃないか……」

余りに非現実。
自分が認識してた魔術とは次元違いの世界だ。
そう……魔術でないなら、この光景は正に魔法、神懸り的なもの。

相対する二人が「仕切り直しだ」とばかりに身を屈め―――弾ける!!
弾丸のように、いや、弾丸その物となって激突。
互い…違う、リーチの領域を侵された槍の男が先手を仕掛けた。
衝突する場所で胆力を込めた足が地を踏み、地面を抉り、土煙が舞い上がる。
それも束の間の出来事。
台風の目と化した二人の周囲に巻き起こる奔流に掻き消された。

真紅の槍は己が届く距離なら全てを貫く、といった様に敵の接近を許さない。
対し双剣の男は前へ、あくまでも前へと足を進める。
その剣が喉元を掻っ捌くか、あるいは心を貫くか、届くまでおよそ2〜3メートル。
だがその距離は――降り注ぐ凶器の雨によって海の対岸まで続くのでは?という錯覚にさえ陥ってしまう程の道程。
それでも、じりじり、じりじりと針の穴ほど…隙とも言えない僅かな間にミリ単位で足を前へ伸ばす。

「――――――――――あれ………?」

どの位その光景に見入っていたのか。
実際に切り結んだのは、ほんの数十秒のものだろう。
不意に…皮膚を伝う温かさに目を覚まされるように…周囲の寒さに、震えた。

「泣いてる…?アタシ、なんで……?」

ワケが、解らない。

「あ、あれ…おかしいな……とまん、ない…」

ああ、確かにあの光景は恐いさ。
もしあの間に入れば細切れは保証されてる。
でも…今、胸中を占めるものは恐怖じゃない。

止まらない涙で視界がぼやけ気味になるも、校庭に視線を戻してみれば、自分の目はイの一にそいつを捉えた。

…………何故だろう……。

あの赤い男から目が離せない。

前へ前へ。
あの猛攻を凌ぎながら愚かしいほどにそれだけを実行するその姿。
見た事も無い奴なのにどうして、こんなにも、懐かしさを憶えるのか。

けど、一概に懐かしい、なんて表せるワケでもない。
綯い交ぜになった感情からサルベージできたのが郷愁だった、それだけだ。
それは、あたかも切嗣に馳せたような想い。
()の愚直で勇敢な戦士を見ていると我が事のように誇らしい気持ちになるのは………何故?

だから――――
その姿が網膜に焼き付いていくのを感じ、アタシはそれを感じ取りながら拒もうともしなかった。

やがて、また膠着状態に入ったのか、申し合わせたように跳び退く。
ここでアタシが観戦を始めて、初めて二人の男は構えを解いた。
しかし、息苦しさを憶えるような重圧は少しも収まる様子をみせない。

いま、気付いたんだけど…二人の奥…双剣の男寄りに誰か、いる?
おそらくはアタシよかずっと先に其処に居たんだろう。
こんな、もの凄まじい状況で突っ立ってられるなんて………あいつ等の同類?

光が当たらない位置に居るもんでこれ以上の視認はできない。
ひとまずもう一人の人物は捨て置くことにしよう。

「―――――――。――――――――――――――――」

青い男が何事か喋ってるが此処からじゃ聞き取れない。
ただ身振りだけ受け取ると「やれやれ」ってトコだろうか?

「―――――――――――――。―――――――。―――――――――――――――――――――」

赤い男は腕組みしながら淡々と応えてる。
端から見れば、それは余裕めいたものにも感じるけど……果たして?

「―――、――――――――………」

青の男の動きが…変わる…。
ゆらぁっ、としたその先で……身を傾けた姿勢で槍を――――――――!!!!

「――――っっ!」

叫ぶのだけは…避けられた。

男が槍を構えたその刹那だった。
体温すら奪われるほどの冷気を全身に叩きつけられる錯覚……錯覚なんかじゃない。
そして、感じた…未熟なアタシでも、あの槍におぞましいほどの魔力が注ぎ込まれていくのを。

いつぞやに見た切嗣の大源(マナ)の収拾とは及びもつかない規模。

生命ごとバキュームされるが如く辺りの空気が冷えていく。
ビリビリと緊迫した空気、比喩ではなく大気が凍り付いていく。

さむい……こわい……いたい…。

槍を構えた男から放たれるプレッシャーは魔力を喰い潰していくにつれ膨らんでいく。
ああ…馴染みのある気配がアタシを刺す。
10年前イヤと言っても、尚、嗅ぎつづける事を強いられた「死の気配」。

――――――――――――――――此処に居ては……いけない!!

此処は衛宮志保が足を踏み入れていい世界じゃない!
逃げろ、逃げろ、ニゲロ!!

「――――あっ!?」

ドサッ

ドジ!!
踵を返そうとして竦んだ足がもつれた!
反動で手に下げた鞄も落としてしまい…………

「誰だ!!!」

!!案の定!気付かれた!?
どっちの男の声か判断つかないが留まってる訳にはいかない。
動け!動け!そして……走れ!

ダッ

無心で駆け出す。
一片だけ残った感情――死にたくない!――それだけを思い、振る切るように地を蹴った。

目と思考が直結した時には……もう手遅れだった。

「なんでっ!っはぁ、ハァ…がっこ、なんだよっ!?」

渡り廊下は目の前。
逃げるべきなら屋内を目指すのは愚行。
あの男にはきっと逃げる方角も見られている。
なら、思案してる(ヒマ)なんて無い!
そのまま校舎の中へ足を入れる。

「どこか!隠れないと……」

足じゃ敵いっこないのは明白。
けどダテに学園の生徒やってるわけじゃない。
やり過ごして、なんとか連中の虚を突くんだ。

全速で廊下を突っ切り踊り場まで辿り着く。
暴れまわる鼓動を落ち着かせる為にも一旦、足を止め、どこに身を潜めるかと考えた矢先―――

「鬼ごっこはお(しめ)ぇかい?」

全身に電気が流れたように情けない位、身が跳ね…………その場に立ち竦む。
ギギギ…と草臥れた人形のように首をそちらに回せば……居た。
暗がりに、ギラギラと光る眼光と、耳元の辺りにぶら下がるアクセサリー。

「よぅっ。存外、遠くまでよく走ったじゃねぇか」

コツ、と暗がりから月明かりが射す窓の前まで歩み出てきた。
現れたのは………槍使いの方の男…。

「あちゃ…やっぱ女か。しかもデキもイイわ。ついてねぇな―――――」

ひゅっ――――――ズッ

「え……あ…」

―――()ンっ
―――何が起きた?
―――どうしてアタシ、倒れて…く、の……?

気が付けば血溜りの中に沈む自分。

「……ちっ、(ムナ)クソのワリぃ……」

フッ、と軽い足音と共にナニかが去っていく。
嗚呼、でも……

「カッ……ふゥ、あ、あぁ……」

大事なのは……そんな、ん、じゃなく、って…。

「あ……は――――――、ぅ〜〜〜〜〜〜、〜〜〜〜っは……」

息。
いき、吸えなっ…………
くる、し――――――――――――――――



「――――――――。―――――――。―――――――――――――――――――」
「――――――。――――」

だれかが…あたしのそばに…

でも、も………う…


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