あの後、藤ねえの親父さん中心で切嗣の葬儀は執り行われた。
といっても中身はごくごく簡素。
切嗣は日本国内よりも外国に知り合いが多そうな男だった。
ヘタすれば義理の家族すら何組かこさえていたかもしれない。
そんなわけで自然、参列者は御近所さん、引いては藤村組の人達だけであった。
その最中、どんなことをしたかは殆ど覚えていない。
記憶に残ってるのは親しい人達の表情。
藤ねえは泣いていて、雷画爺さんはオーラを背負うくらいどんよりして。
それでみんなオレに言うんだ。
「泣いてもいいんだぞ」「我慢はよくない」と。
あの晩からしばらくの時間。
泣いて泣いて、「目が枯れるんでは」「もう一滴も出ない」、何度そう思おうが涙は流れ続ける。
いつの間にか眠りに落ち、目を覚ました時は藤ねえと寄り添うように寝転んでいた。
藤ねえがやってくれたのか切嗣は部屋の布団に寝かされて。
その横で座を組み、今一度誓いを立てる。
「衛宮志保は正義の味方になる」
口に出しながら目じりに浮かんだ、切嗣に見せる最後の涙を拭った。
だからオレを案じてくれた人たちには、
「ありがとうございます。でもアタシは約束しましたから」
と、返すと誰も彼も悲痛な顔を向けてきたが、その上で納得してくれた。
そうしてアタシはアタシにとっての一人の英雄を見送った。
当初訪ねて来ると思ってたサツキさんは葬儀を終えた数日後に現れることとなる。
花一輪を墓前に添え何か喋っていたがオレは離れてそれを眺めるに留めた。
ただ彼女の顔は悲しい、というより悔しげなものに見えたのは、気のせいじゃないだろう。
で、遺産相続やらオレを置いてけぼりにして進められた事後処理も片付き、はれて再開される日常。
その日常に足りないものを何とかしようとオレと、オレ以上に藤ねえは足掻く。
魔術の鍛錬はもとより身体への酷使ぶりは思い返しても寒気もの。
成長期を迎えたとはいえ度を越えた筋トレの上に喩えでなく足が棒になるほど走り、何度も吐瀉した。
道場で無心に竹刀を振り続けたりも。
それはまるで逃げ道を探すようで、考えがそこに行き着くのを否定する為にまた飽く事無く動く。
中学に入学してからもしばらくはそんな日々が続いた。
まぁ我ながらよく体が壊れなかったものだ。
それも藤ねえがオレの鍛錬という暴挙を力づくで止めたからであって。
気付かれることなく続けていたらきっと倒れてただろう。
藤ねえは藤ねえで、
「次っ!!」
一様に「荒れている」とは形容し難い状態だった。
部員を片っ端からのして、それから更に相手を求める。
普段、稽古相手を欲する時はガアァァァっと野性丸出しか、ニコニコ笑いながらその檻を展開するかだが、
この時期の血の気の多さは悪く言ってしまえば「八つ当たり」だ。
当時の部長さん方も自信喪失したり虎に恐れをなした部員への説得に四苦八苦したらしい。
同時にこの時期から何かというとお姉ちゃん風を吹かせるようになった。
尤も名実共に衛宮家の実権を握っていたので藤ねえ的にアドバンテージなんて持ちえる訳もなく、
「志保のイジワル〜!!」
姉として挫折の日々であったが。
それでも自分には藤ねえの存在はありがたい。
本人は天然なんだろうけど藤ねえがバカやってオレはそれをいなす。
それはやがて当然の風景になっていく。
二人で作り出した新しい日常。
それは灰色になった衛宮家に新たに彩りを加える第一歩。
オレ独りじゃこんな空気は作れなかった。
決して本人を前に言うことはないけれど、その点は素直に感謝したい。
また、否応無しにやらなければいけないことも増える。
最たるものが経済力。
中学に入る折、制服だなんだとかさむ出費を藤村の爺さん主体で支援してくれた。
で、オレは当然の如く「施しは受けられない、自分で稼ぐ」と突っぱねれば、
向こうもオレというものが理解っていたわけで当然の如く仕事先は斡旋済み。
藤ねえは友人のネコさんの家族が経営するケーキ屋を。
藤村組の人達は主に土建の類中心で、中には居酒屋の給仕なんてのもあった。
事情が事情とはいえ中学入りたての子供。
それを説明して口きいてくれた事を思うと「施しは受けない」と言った手前申し訳ない。
藤村の爺さんや親父さんは女であるオレが力仕事をするのにいい顔をしなかったけどオレにとっちゃ最適の条件。
日払い、短期間、体を鍛える、と三拍子そろい一石三鳥だ。
よほど心配してくれたのか二人が特に信用を置いてる監督さんの所にさえ出向き「手を出すな」としきりに忠告していた。
それが何を意味してるかはさっぱりだったけど。
多分、千尋の谷の諺の如く「子供とはいえ易々と手を差し伸べるな」って意味だろう。
ちなみに最も無難じゃなかろうかと考えた新聞配達は藤ねえの、
「志保の朝御飯が食べられないじゃないの!」
と猛抗議を受け取り下げられた。
工事現場は主に新都中心で行われる。
この時期は特にあの火事の爪跡を消そうと躍起になっていてことさら駆り出される事を思慮してた。
しかし一石三鳥と踏んでいたものは意外な形で裏切られる。
3年の鍛錬を積んできたとはいえ子供の膂力。
迷惑をかけまいと必死だったが傍目から見て危なっかしいのは目に見えただろう。
そこで現場の監督さんが、
「衛宮ちゃん。お前さんは皆に料理でも振舞ってくんねぇか?」
なんて言ってきて、あーあ…戦力外通知の兆しかな、と思いながらも大量生産向きの豚汁を作ってみた。
ついでに酒の肴になりそうなものも。
結果。
「ああ〜〜いいなぁ嬢ちゃん!俺の娘になんねぇか?」
「おうよ、この子のメシ食わないのとじゃやる気が違うな!」
「くらっ若造!その子は藤村さんの秘蔵っ子なんだぞ!?口説こうなんざ百年早ぇ!!」
いつの間にかお抱えのシェフみたいになっていて。
「あっはは…………」
アタシャ苦笑いするっきゃない。
当初の目的は果たされず上がっていくのは料理の腕と……アタシは否定したいけどオヂさん方からの人気。
1年と経たずに担当区域を終え新天地に発とうという時はホントのマジで別れを惜しまれた。
幾度か話を交わしオレの身の上を案じ、餞別をくれた人も少なくない。
むしろそれが過半数はいたんじゃないか、というのは今でも錯覚だと信じたい。
「俺、もっとデカくなって帰ってくるからな!」とか、
「女を磨いとけよぉ」とかほざいたのは記憶から削除しておくとしよう。
そんなこんなで破天荒ながら充実した時間であった、と言えたが自身の命題は遅々として進まなかった。
1年。
切嗣が逝って1年経とうというのにオレの魔術はからっきし。
「強化」の魔術も切嗣の生前、最後の成功以来一度としてカタチにならない。
ただ物の構造を視覚的に捉えることは驚くほど上達したと思う。
土蔵を修練場代わりにしだしたのもこの頃か。
進級して桜も咲き頃という時期。
オレはやや情緒不安定気味だった。
それもこれも衛宮志保、ついに「Xデー」を迎えたからであります。
「うわああああああああああぁ!??」
夕食後、どうにも朝から続いていた腹痛を伴いトイレに入った時。
「ふ、ふじ、ふじねぇ!ち、血が出たぞ!?お、オレ、コレ!」
うわ、頭を落ち着けようとしてもはっちゃけた言葉しか出てこない。
ショックがデカかったのか封じてた一人称まで飛び出る始末。
「え?ちょっ、ねぇ?志保どうしちゃったのよ?」
「あの、えと今朝からなんか腹が抉れるように痛くて頭でわかってるのに冷静になれなくて痛みは全然引かないし
盲腸にでもなんかなったのかと思ってさっきトイレに行ったら股から血が出てたんだコレってやっぱ病気なのか
ああいや藤ねえに病気かなんて効いてもわかるわけないよなクソああもうまたイライラしてくるっ!!」
息もつかせぬ怒涛のトーク。
ああ、頭ん中じゃ落ち着こうとしてんのにどんどんバカになってく。
藤ねえは最初オレの勢いに呑まれてはいたがその内、我核心ヲ得タリ、と獲物を見つけた目。
やがて喉奥から漏れるように笑い出す。
「笑い事かよっこれっ!」
「ごめんごめん。当人には切実よね。志保ぉ?おっちついて思い出しなさい。女の子に起こる事、識ってるでしょ?」
「女の子に―――――――――――――あ」
やっと思い至った。
くそう、なんて大失態。
先生に会う度そのことは訊かれても、それももう半年前。
スッパリ抜け落ちてましたさ。
「あはは、そうかそうか。ついに志保も女性の第一歩か。う〜んお姉ちゃんちょっとノスタルジー」
「浸んな!!これ、どうすりゃいいんだっけ…」
「トイレの上の棚にわたし用のナプキンがあるからとりあえずそれ、使いなさい。
今度は使い方がわかんないーとか言って走ってこないでよね」
「するかっ」
なんてこった。
藤ねえに言い負かされるのがこんなに屈辱的に感じたのは初めてだ。
でも短いとはいえ春休み中でホント良かった。
後日改めて先生の所へ出向き顛末を報告。
聞く限りじゃオレの生理痛は重い部類に入るらしい。
それも合わせ、お勧めの生理痛に効く薬やら、日数計算なんかについても講釈を受けた。
「これで志保ちゃんへの召喚義務も終わりかな。貴女が女の子としてやっていく為の指針は与えた。
これからどう生きていくかは志保ちゃん次第よ。でも、困ったこと、身体の事とか解らない事があったら
何時でもいらっしゃい。なんなら恋の相談も受け付けるわよ」
笑いながら彼女お気に入りのマグカップに注がれたココアを啜る。
最後にふぅ、と息をつき、言った。
「志保ちゃん。貴女は貴方が言わない限り女なの。境遇に卑下せず、幸せになってね」
アタシはその助言とも願いともつかない言葉に上手く返事することが出来ず、唯、「ありがとうございました」と。
伝わるかもわかんないけど、その言葉に万感を込めた。
紆余曲折。
様々なことが重なり、オレは少々くさっていた。
で、ある日の夕方。
自分でも何を思って始めたか思い出せないが、跳んでた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
<Die Sicht ändert 遠坂凛>
もうっ!
なんだってあたしが別な学校まで派遣されなきゃいけないのよ?
二年に上がって間もなく。
唐突に「中総体その他諸々に関して冬木ニ中と合同会議を行う」とのお達し。
クラスでやる奴がいないからって仕方なく任命されればこの有り様。
中二よ?ちゅーに!
なんだってこの身空で出張、残業じみたマネをしなくちゃいけないのか。
この鬱憤どうしてやろうか、と考えた末。
実の入らない会議にちょっと喝を入れてあげた。
わたしなりに。
相手側の面子、たじたじだったなぁ。
ま、わたしもすっきりできたし、生徒会長もこちらの主張が例年になく通った、と喜んでたし一石二鳥よね。
会議はこちらの圧勝で締めくくり、一応の終結を見る頃には校舎内は眩いほどの夕焼けに包まれていた。
建てられた土地柄か、ウチの学校じゃお目にかかれない景色に歩みを遅める。
いざ、帰ろうか、という頃。
校内と同様、いや、最早真っ赤な海原と化した校庭に目が行く。
遠くてよく見えないけどそれは、誰か一人で、おそらくは走り高跳びしてたらしい。
たなびく髪は……女の子?
周りに誰もいないってことは居残りにでもさせられたのかしら。
単純な好奇心からだろうか。
校舎から出ながらその姿を探してみる。
建物の間を縫うような位置で、それでも今度は、はっきりと見て取れた。
近くで見たから気付いたけど、あの子制服じゃない。
自分がスカートを履いてること、服が汚れてしまうことなどお構い無しの様子で挑みつづける。
「ん、遠坂、帰らんのか?」
ビクッ
あたしとしたことが不覚。
こんな所まで人の接近を許すほど夢中になってたなんて。
声を掛けられた硬直は今更隠し様がないけど、それを無かった事にする位、自然体で返す。
「ええ、そう思ったんですけど小用ができました。柳洞くんもおつかれさま」
「そうか。ではな」
お堅い奴ねぇ。
気を取り直し校庭へ。
近付くほど思うんだけど、あの棒の高さ、中学生にどうこう出来るもんじゃないでしょ?
なのにソイツは挑み続ける。
はっきり言ってあの子がやってることは無意味。
失敗したらしたで暫し自分の到らない点を吟味するものだ。
けどあの子は当然の如く失敗して、それが当然のような素振りで棒を定位置に戻す。
跳べるとは彼女自身思ってない?
なんか、見てて段々ムカついて来た。
だからだろう、あたしは無意識に歩を進め彼女の直ぐ傍まで来てしまっていた。
ここまで来ちゃえば変わんないか、
開き直り声を掛けられる位置まで近付く。
なのにコイツときたらまるで目に留めようとしない。
この時間、自分以外に、しかも別な学校の制服を着た人間がいるってのに。
この気持ちは何だろう。
無視されたことに腹が立ったんじゃない。
この、「悔しい」ような、でもきっと違うその感情の正体がわからない。
ったく!今日のあたしはホント、変。
ならそのついでにらしくない行動に出てもいいかな。
正直な疑問を突いてみる。
「貴女!それ、跳べるの?」
たった一人に向けるのだとしてもあまり大声は使いたくない。
でも、そうでもしなきゃコイツは気付きはしないだろう。
で、ソイツはソイツで本当に驚いた目でこっちを見てる。
ああ、ムカツク。
こいつマジであたしに気付いてなかったんだ。
「跳べるの?それ」
判ってない感じだからもう一度訊いてみる。
するとまた、あたしを見ながらも視界の中から追い出して、
「跳べないさ」
淡々と応え、走っていく。
「――――――――――なぁんだ」
やっぱりそうなんだ。
初めっから跳べるなんて思っちゃいない。
挑むことに意味がある?いいや違う。
きっと意味なんて求めちゃいないんだろう。こいつは。
尚、言葉で言い表そうとするなら、多分届かないものに挑みたかったんだろう。
あたしはその場を離れた。
尤も彼女が十分に見える位置まで下がり、だけど。
もう少しその無謀なまでの愚直ぶりを眺めていたかったし、
あの子なら終える時にあたしを見て「誰?」と本気で言いかねない。
だとしたら、ちょっと綺礼仕込みの空手を繰り出してしまいそうだから。
赤い海が黄昏に塗り潰される頃。
ホンっと〜に何事もなかったように彼女は去っていってしまった。
言い知れぬ敗北感にも似た不快感を背負いあたしも帰路につく。
終始アイツに目を奪われていたあたしには見上げれば捉えただろう女生徒に最後まで気付くことはなかった。
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