あれから5年。
魔術師としての鍛錬を積んで3年。

近頃は切嗣(オヤジ)も諸国放浪に出て行くようなことは殆ど無く。
家でのんべんだらりと過ごす日々を送っていた。
オレは単純にそれを喜んではいたけど気になることもある。
切嗣が家にいることが増えたのにサツキさんはとんと姿を見せない。
あの人もあれで切嗣とは別な意味で諸国を回っているみたいだから、単に仕事が忙しいだけなのかな、位に思っていた。

最近は切嗣との時間は鍛錬よりも問答に費やすことが多い。
切嗣が目指した、いや、目指す正義の在り様。
魔術師としての心得。その中身は多おうにして魔術師がいかに難儀なものかという愚痴だったけど。
ただそれが、懺悔染みてる様に聞こえて、アタシは厭だった。

――――アタシ、かぁ…。
月日を重ねるごとに色々な「そうでなきゃいけない」ものが、
「そうあろう」とするように同調していく。
自分の意思はおかまい無しで。
自分が望まない、という点で言ったとしたら侵食、とも言える。

今じゃ思考の中でも、オレ:アタシ、の比率は7:3くらいまで来てるだろう。
言葉遣いこそさしたる変化には乏しいものの、いつかその比率は「じゅーぜろ」になってしまうんだろうか?

5年。
病気には縁が無い自分が病院に行ったのは内、9回。
半年おきに病院に召喚され、はじめの5回は不快でしかなかった。

医学的興味からきた診察。
そう表現するには納得のいかないものもある。裸で診察台に寝かされたりもした。
あの時のナメクジが這うような視線は今でも忘れがたい。
出向くと時たま聞こえる、大なり小なり事情を知る者の声。
どれも決まって「ああ、あれが」の枕詞。

6回目の召喚から以前と勝手が違った。
今までは顔を覚えるのも疎んじてきた男医が毎度代わる代わるに、だったけど、
この回から若いというには少し年のいった女医の人が現れた。
その女性は医者らしいことは何一つせず、ただ話し掛けてきただけ。
その内容はとても平々凡としたもの。
オレの話も家のこととか、料理のこととか、藤ねえの蛮行とか。
所々で「不安はない?」と自然なタイミングで聞かれ、
その中で一回だけ愚痴めいたことを零すと、嬉しそうに、でもくどくならないようにやんわりとアドバイスをくれた。

お喋りが終わり帰ろうか、という時。

「また、来て…もらえるかな?」

という言葉にオレはただコクッと頷いた。

それからというもの。
オレを病院へ向けるものは義務感からきたに過ぎないとしても、その事への不満はなくなった。
彼女はカウンセラーというよりアドバイザー。
事情を知り、オレと接点がある唯一の女性。

本人の意向もあってか自然、助言の中身は女としての嗜みに重視された。
尤も話を聞いてもオレにとっても実になるようなものは多くない。
なんというか、ピンとこないのだ。
特に羞恥って概念がさっぱりだ。男に隙を見せるな、とか。
曲がりなりにも「戦い」というものの尺度は教え込まれている。
男だろうがなんだろうが対峙したからには隙なんて見せる筈がない。

その他にも「なんで女ってこんなに面倒が多いんだ」と思うほどの事項。
「これはある種の精神鍛錬なんだ」と少しばかり逃避に走ってしまったよ。

それがどんな変化を齎したかというと。
切嗣がアタシに趣味バリバリな服を着せようとする、で、その度叩き込まれた知識に振り回され、
結果、アタシは益々女物の衣服を嫌がる、と見事な悪循環が形成されてしまった。
ああ、おかげで学校では女傑なんて呼ばれたりも。
いじめられてた女の子たちに変わり男子グループを屈服させたことは自分の知らない所で語り草になっていたりいなかったり。

今回で彼女と顔を合わすのも5回目。

「あっはは、元気そうね……はぁあ…、順応は見られるんだけど志保ちゃんは何か大事なものからは
 どんどん離れていくように見えるわ」


何時もとさして変わりのない、でも新鮮味のある会話を始めて直ぐ、盛大に溜息を吐かれる。

「む、でもアタシだって教えは実行してますよ。トイレの時とか、着替えとか」
「でしょうね。でも志保ちゃんにとってそれは「作業」になってない?あるいは義務的に、とか」
「……」

当たってるだけに素直に答え辛い。

「ね?恥ずかしいって気持ちがあれば本来それは「自然」になってくれるものなんだから」
「でも、それって体面を守るためじゃないんですか?アタシは堂々としていたいです」
「ハァ〜〜、それはァ、あくまでも志保ちゃんのアイデンティティ。私が言うのは要は女は秘密を多く持てってこと」
「それ、なんか意味があるんですか」
「箔があがるのよ」

先生、さっぱりです。

「で、少し真剣な話になるんだけど―――」

今までのはやっぱり余分な話だったのか。
確かに表情が重くなったようなので突っ込むのは控えよう。

「―――いきなりで悪いけど、お赤飯はもう食べた?」
「はぁ?」

……前言、撤回すべきかな。

「ごめん。ちょっと抽象的過ぎた。その、ね…初潮は来た?」
「ショチョウ?誰ですか?その人」

あ、椅子からずり落ちた。
そんなオーバーリアクションとらなくても。

「もっっおお!ここまで酷いなんて予想してたけど考えられないわよ!」

言ってることが矛盾してる。
そうとうテンパってるな。

「いい、わかった。ゼロからより辛い一から順に説明するわ」

暫し講義・・・・・・





「まぁ、流れとしてはこんなところ。早ければ君くらいでも経験済みの子は出てる。
 遅くても中学の前半には来るでしょうから」

「どういうものかは理解りましたけど…何かの前兆なんですか?」
「当然じゃない。子供を産むためよ」
「―――エ?」

うわ、まいぶれいんに大ダメージ。
今のは先生の話のどれよりもガツーンときた。

「こっここっ、こどもって、そんな、でも」
「はいはい落ち着いて。まさか志保ちゃん、コウノトリとかキャベツ畑を信じてるわけじゃないでしょう?
 これは女として生まれた以上ついてまわる業なんだから。知識は入れておくものよ」

「はうぅ、あうあう〜」

駄目だ、考えが追いついてこない。
先生はパントマイムさながらに奇天烈な身振りをするオレに「いいからいいから」と深呼吸を勧める。

気を静めること十秒ほど。

「―――――すいません、取り乱しちゃって。つまり出産には生理以外にも必要なことがあるんですよね?」
「端的に言うとね。それが一番の問題なんだけど、正直志保ちゃんに説明するにはまだ早いと思うの。
 でもセックスっていうのは本来軽々しく行うものじゃないわ。残念ながら社会柄、爛れてるけどね。
 志保ちゃんに興味がなくても周りの子だって多感なお年頃だからソッチ関係の知識は自然と外から入ってくるものよ」


「よく……わかんないです。快楽、とか言われてもアタシには…」
「それでいいのよ。志保ちゃん可愛いから、そのままいけば男共がワラワラ群がってくるでしょうけど、
 そういう輩の誘いに乗っちゃ駄目。本当に「好き」って言える人が見つかるまでね。
 あっ、でも、見つけたとしてそれは責任の伴うことなんだから簡単に考えるのも禁物」

「アタシは…男を好きになんて………」
「言いたい事は分かるわ。それでも段々と精神(こころ)は肉体に引っ張られるものよ。
 どう転ぶかなんて私にはわからない。でも、だからこそ今までも言ってきたように羞恥心の類の感情は
 志保ちゃんの心の健康にも必要なことなの」


◇ ◇ ◇

それから家に帰って、我ながら解っていてもつまらない考えに囚われてしまう。
何とはなしに竹刀を手に取る。
ああ、この重みを感じるとくだらない思案も散っていく。
そうだ、自分が何であれ正義の味方を目指すことに少しの迷いもない。
オレにはその目標が何よりも大事だ。

オレの鍛錬を眺めていた切嗣がどこか哀愁を漂わせ戸口から外を覗いている。
やがて視線に気付いたように振り返った。

「どうかしたかい?志保」
「ううん、何でもない」

今にして思ったことじゃない。
なんとなく、切嗣の背中が昔のものより小さく感じてしまう。

「なぁ爺さん背中、流してやろっか。久しぶりにさ」
「?…ふふ、どういう風の吹きまわしだい?」
「ほんの気まぐれ。風呂は焚いてあるはずだから、行こッ」

この屋敷の大きさからみればバスルームは小さい部類にはいるのではないだろうか。
ただ、当時は二人入れた浴槽が今はそうでないことから単にオレが成長してそう見えるだけかもしれない。

「うーん、志保も出るトコ出てきたね。だからこそ敬遠してたんだけど、お父さんは嬉しいぞ」
「ばっ、馬鹿!なにいって、ん…」

振り返った先。
視線は「そこ」に釘付けになる。

「志保…あんまりまじまじ見られると困るんだけど」
「へ?……!!あ、あの、ゴメンっ」

ったく!アタシってば何考えてんだろ。
今日あんな話したからだ。
切嗣の方を向かないように髪を洗い始める。

「志保の髪も伸びたね。5年も経てばそうもなるか」
「アタシとしちゃ、そんなに前向きじゃないけどな。言いつけと魔術使いだからこそ伸ばしてるんだから」

只でさえガス欠確定の魔力しか保持できないんだから、この髪は保険なのだ。

「言いつけってゆうよりはむしろ僕の願いさ。はっきり言って今のとこ外見上、志保を女の子として見せてるのは
 その髪の毛位だからね。もう少しお転婆な所を直してくれればなぁ。まぁ、でも志保にはそのまま
 伸ばしつづけていって欲しいかな、僕は」


風呂から上がった後、切嗣は縁側でぼうっと月を眺めていた。
まだまだ冬、寒くないわけがない。
そう思い湯冷めしないように自分も厚着をして上着をかけてやる。
「ありがとう」と微笑み、また視線を戻した。
オレも漠然と付き合うか、と隣に腰を降ろし庭に目を向ける。

静かな、夜だった。
この時期虫の声なんて聞こえる筈はなく、外で連なる街灯からくる微かな耳鳴りだけ。
ぽつり、と零すように父は語りだす。

「僕は若い頃正義の味方にあこがれていた」
「憧れていたって…今は諦めたってことかよ」
「大人になればなるほど、それはどんどん遠いものになっていってしまうんだ。もっと早く気付くべきだった」
「なんだよ………それ」

お願いだからそんな言葉を言わないでくれよ。
切嗣(あんた)が正義の味方を否定したら、オレは何を目指せばいいんだよ。
オレにできること――――――――そうだ。

「なら!アタシが爺さんを夢を継いでやる。大人じゃ出来ないってゆうならアタシがやってみせる!」
「僕としては志保には普通の女の子らしい幸せを見つけてもらいたいんだけどねぇ……」

子供らしい短絡的な意見に微笑みとも苦笑いともつかない表情を湛え、溜息一つ。

「――――――――――――――――――ああ、でも、安心した」

禅を組んだまま寝入るように項垂れる。
オレだから解ったのか、切嗣(オヤジ)の体から出ちゃいけないものが抜け落ちていくように見えた。

「爺さん?寝ちまったのかよ?じ……じい、さん」



――――――ああ、すぐに判断がついてしまった。
あの地獄を歩いたオレには人の生き死にに特に敏感だから。
触れてみればまだ、こんなにも暖かいのに。

「嘘だよ。なんでだよ………あんまりだろ!?そんなのって!!」

泣けない。
泣くわけには……。
ついさっき誓ったばっかじゃないか。
だっていうのに―――

「――――――――おとう、さん」

ばか…。
それは言っちゃいけないのに。
もう、留めらんない。

「―――ふぇ……」







泣いた。
一晩中泣いた。
朝、藤ねえが来て、それで、また泣いた。
二人抱き合いながら、泣き続けた。


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