「――――。―――――」
すぐ傍で展開されているであろう会話に反応するように覚醒する。
身を微かに捩るたび沈むような感触。で、自分が寝かされてると分った。
固くて寝心地が悪い。
……ああ、少し安心した、そんな余裕くらいは持ち合わせていられたらしい。
目を開ければ一面、白。
正直、色合いとして行き過ぎたこの純白の天井を見てると気分が悪くなる。
地獄に等しい赤い世界から純白の世界に帰還。強すぎるギャップに言い知れぬ嫌悪感を催す。
はっきり言って少しも心が休まってくれない。
「っ痛っ!」
体を起こそうとして痛みにうめく。
それでも自分にはプラスに働いた。
刺激で頭はスッキリしたし、あの荒地を歩き始めて以来初めて真っ当な感覚にワケもなくほっとした。
ともあれ実感、というより呑み込めたのは自分はまだ生きているという事実。
「ふぅ…」
フッと体が軽くなる。
満足感というのか、「終わったんだ」というひとまずの一段落への安堵。
再び寝入ってしまうには十分な充足だった。
◇ ◇ ◇
それから主に火傷の治療とメンタルな部分のケアが続いた。
とはいっても何故か怪我は医師がたまげるほどの速さで回復していった、らしい。
未だ夢幻に囚われたような錯覚に、自分の体のことなんてろくに気にもかけてはいなかった。
他にも妙なことがあった。
最初にはっきり目が覚めてから体の症状、住んでいた一帯の惨状。
幼い自分には重たい以前に理解しがたい内容を矢継ぎ早に聞かされた。
その中でも、「あそこら一帯で生き残ったのは君一人だ」という言葉がなによりも耳に残る。
それ以降の話はあまり覚えてない。
俺は只アレを起こしたヤツへの憎悪に身を震わせていた。
でも、他にもうひとつ気にかかったこと、
俺が医師に自分の名前を告げた後、複雑な顔をして何度も名前の確認を取られた。
その後も不可思議な態度は続く。
戸籍標本の基、家族構成やら今まで自分の生活をつぶさに訊かれた。
嗚呼、気付かなかったさ。
この時は尿意を催した際は看護士の人に任せっきりで自分の変調なんて二の次どころか案の外。
宣告はある日突然。
「士郎くん。君も薄々自分の変化に戸惑っていると思う」
こんな風に言われても皆目見当が付かなかった俺は本当に自分を省みない子供だったらしい。
「正直に言えば僕達も困惑しているのだけどね。君の体は男の子から女の子に変わってしまった様なんだ」
「………は?」
ベッドで上体を起こした状態で自分の体を見下ろした後、一拍おいて間抜けな返事を返した。
こちらの心情をよそに話はつらつらと続いていく。
「普通、性が変われば痕跡というものが残る筈なんだ。手術の後だったり遺伝的な変化とか」
七歳そこいらの子供に一体何を説こうって言うのか。
「でも君の体は紛れも無く女の子なんだ。初めから女性として生まれたみたいにね。
いろいろ何度も聞いたのはその為で、結局小さい君が身分を偽る……ウソを吐くはずが無いってことで、
女の子であるのにも関わらず君を戸籍通り「 士郎」君と認めることになった」
大まかな事だけでも理解するのにどれ位の時間を要したのか。
何か聞かなくては、と駆られ、いの一に不安をぶつけてみた。
「俺……この先どうなるんですか?」
医師は「不安がるのも当然だね」と俺に視線を合わすように腰を落ち着け語りだす。
けど答えは実に短絡単純なもの。
自分には保護者も後見人と呼べる人間もいない。帰る家すらも、無い。
ホラ、自然、流れは孤児院という方向へ。
この時の凹みっぷりと言ったら無かった。
言葉で明確に言い表すとするなら「人生への敗北」といったところ。
宣告の後日から俺への扱いはまるっきり珍獣めいていた。
範例の無い性転換への純粋な興味、平行して人間に向けるものではないベツモノの視線。
傷の回復とは反比例にココロは磨耗していくのがわかる。
彼が現れたのは丁度そんな時期と重なった。
「キミが、ええっと…士郎…くん?で、いいのかな?」
それはあの雨の下、俺を救ってくれた男だった。
あの時、目に焼きついた表情と違い緊張に彩られていたが。
俺は問いにただコクッと頷き当然の質問を返す。
「だれ?」
男は「待ってました」とばかりに目を輝かせる。
「キミを引き取りに来た。キミは全くの初対面のおじさんと孤児院と、どちらがお好みかな」
いきなりなんて選択を投げかけてくるのか。
これ、正に人生の分岐点ってやつだ。
でも迷う時間なんて必要ない。
もし孤児院に預けられても自分への奇異の視線は変わることは無いだろう。
それに―――――それに目の前の男がそわそわと応えを待つ様がたまらなく可笑しくって。
久しぶりに頬が緩むのを感じながら、
この時より俺と男は家族になった。
その後彼は世辞にもスマートとは云えない支度を終えて「ああ、言い忘れてたけど」と。
さながら「洗濯物を取り込み忘れた」くらいのペースで言い放った。
「僕はね、魔法使いなんだ」
あんまり自身満々に言うからこっちもつい感嘆してしまい、
「へぇ、爺さんすごいんだな」
と返した。
「爺さん」って単語に露骨に顔をしかめ「僕はそんな年食ってない」と反論。
成る程、精神年齢は低そうだ。
「そういや爺さんの名前。まだ聞いてないぞ」
というかなんだって今更になって気付くのか。
「ああ。僕は衛宮切嗣。よろしく、ええっと……士郎?」
?なんで疑問系で訊いてくるんだろう。
◇ ◇ ◇
病院を出て切嗣の先導の元、知らない道に歩を進める。
かつて窓からしか見ることの無かった外の世界。
ついぞ先ほどまでの屈辱に似た日々の感情は自由という開放感により霧散していた。
やがて自分にも見覚えのある風景が増えていく。
でも各々が微妙に記憶のそれと異なっていた。
小さいものは通学路にあった筈の道路標識。
大きいものでは冬木に走る未遠川の川辺が何か大きく抉られたようになって下流の方に瓦礫が連なっていた。
それより気になったのは俺がそれに首を傾げるのと同じだけ切嗣は一瞬辛そうな顔をするのだ。
道中、切嗣は自分のことを色々話してくれた。
自分としても何か言えることはないかと思案したが全て消し炭になった上、
こちらの身の上なんかは把握済みだったろうから、ただただ聞き手にまわるしかない。
一番気になっていた「魔法使い」という言葉について詳しく聞きたかったけど、
「家に着くまではそのことは秘密」と封をされる。
話しちゃいけないことなのかな。
と、難しいことは良くわからなかったけど秘密の共有が出来たことに素直に喜んだ。
切嗣の事で驚かされたのはこの男、妻帯者であるということ。
俺は一度も目にかけてないから「家のほうで待ってるのか?」と訊けば、
「いろいろでね」と苦笑で返した。
うん。子供でもわかった。「そういうこと」らしい。
「――――――――――うわ…」
一時間ほど歩いた先、連れて来られた「家」に思わずそんな声が漏れる。
やたら長い石垣と塀を何とはなしに眺めれば此処が家だと、もう「どうだ!」といわんばかりに胸を張る。
扉をくぐっても俺の常識からは外れっぱなし。
まるっきり武家屋敷じゃないか。
「なあ、爺さんってもしかしてイイトコの人間なのか?」
「まさか。僕は風来坊だからね。こうしてまともな家を持つのは珍しいくらいさ」
まともですか、コレ。
「この家だって自分のものになったのは昨日からだし。あとで大家の方に顔を出しに行こうか」
内部も外観に違わず和であった。
奥の離れにフローリングの部屋もあり何かホッとする。
「さて部屋決めやら諸々のことは後にして、先に相談しなきゃいけないことがあるんだ」
最低限必要な場所だけを見て周り、居間らしき場所へ荷物を降ろす。
家具といえる物も無い場所で切嗣に促され面を合わす。
「ちょっとごめん」
「なにが?」と聞く前に実行に移しやがった。
おもむろに切嗣の正面に立っていた俺の下着ごとズボンをずり下ろしたのだ。
「バッ、な、なにすんだ!?っこの!」
反射的にすぐさま履き直し、ヤツから距離を取る。
「いや、ごめんごめん。俄かには信じ難くって」
片手を拝むようにしてなんともいえない表情を湛え謝ってくる。
誠意は……悪いが微塵にも感じなかった。
「ああ、ホントごめん。僕としちゃ確かめたかっただけでさ。大事な話なんだ。腰を落ち着けないかい?」
「む〜〜」としかめっ面のまま渋々切嗣と向き合うように座った。
無論ヤツの手の届かないだけの距離を保って。
「士郎、キミはお医者さんから自分の体について聞いてると思うけどこれからの身の振り方を考えなきゃいけない」
「身の振り方って…例えば?」
「さし当たっては名前かな。君は僕の所に来た以上、養子にならざるを得ない。これはいいかな?」
それには異論は無い。
……いや、さっきの事を考えると少し迷うべきかも。
といっても話が進まないので黙って頷く。
「キミはこれから「衛宮」を名乗っていくわけだけどキミは女の子なんだ。だから「士郎」っていう名前は…」
「変えなきゃいけないのか?」
「嫌かい?」
「正直………言えば」
つまり俺は苗字だけでなく今までの自分も変えなきゃいけないということ。
それは…とてもとても……恐いことだ。
「でも世間てやつは器量が狭くてね。もしキミが士郎と名乗りつづければやつらはキミにとって厭な目を向けてくる。
病院でも、多かれ少なかれ感じていたんじゃないかい?」
それは、確かに。
「僕もあれには嫌悪感を感じたよ。キミは被害者だってのに」
ちょっと以外だった。
この男が表情を露にして他人を悪く言う様は。
それでも自分の味方になってくれてるのには率直に嬉しい。
「やっぱ自分をなくすっていうの、ヤダな…」
「別にそうは言ってないさ。君はキミであることを止める必要は無い。それに、キミの全てを奪ったあの火事。
あれを許せるかい?忘れてしまえるのかい?」
ふるふる、とはっきり否定を示す。
それはできない。
そうなれば自分は――――――――――――――――――なる。
……あれ?今、何を考えたんだろう。
「うん、それでいい。あんなこと許しちゃいけない。忘れてはいけないんだ」
切嗣の重い口調に思考が途切れた。
彼の言葉はまるでそのまま自分に向けられたよう。
「じゃあ、異論は無いね?」
「ああ。でもどうするんだ?」
そして唐突に切嗣は荷物を引っ張り出し中を漁りだした。
一体何を探してるか知らないがちょっと大雑把過ぎやしないか?
「お、あった。さぁ、二人で良い名前を考えようか」
取り出したるはペンと紙切れ。
この為だけにあの惨状を繰り広げたのか、と散らばったバッグの中身を見る。
改めて認識した、こいつガサツだ。とんでもなく。
「やっぱり元の名前からはあんまり離れたくないな」
一枚目の紙には大きく書かれた「士郎」の文字。
「う〜ん、でもこの名前、どっちも流用するには難しいよ。どっちの文字も男用だし」
「し、し、しろ…」
「シロナガスクジラ?」
一睨みを利かせる。
「ゴメンナサイ。あ、そうだ。こんなのは?」
切嗣が書きなぐったのは「知良」という字。
「これ、なんだ?」
「ああ、強引だけど「ともよ」って読ませる。で、これまた強引だけど「しりょう」、転じて「しろう」とも読める。
これなら幼い頃の癖で自分の名前を「しろう」と勘違いしたまま育った、とか言い訳も利く。
どうだい?まさにパーフェクト!!」
嗚呼ゴッド、コイツしばき倒してよろしいですか。
グッと拳を震わせて力説する切嗣。
頭を抱えながら率直に言い放ってやる。
「それ、一人相撲って言うのか?ともかく、空しいぞ。いつか無理も利かなくなる」
「うっ…士郎、キミ少し達観しすぎじゃないかい?七歳児で」
かくして振り出しに戻る。
「別のセンから考えてみようか。例えば士郎はこの先どうありたい?」
「どう、って?」
「なんでもいいさ。優しい人間でありたい、素直でありたい、強い人間でありたい。そういう夢、みたいな」
それは……憧れというものならあの顔を見たときからずっと持ち合わせていた。
あの救い、救われたような安堵の表情。
いつか自分もあんな顔が出来る人間になりたい。
だから、そう告げた。
「俺、正義の味方になりたい。爺さんみたいな正義の味方に」
その一言に切嗣は一瞬驚いたように、そしてすぐ苦笑を漏らす。
「僕はそんなんじゃあないよ」
「爺さんが違うって言っても俺にはそうじゃない。俺は正義の味方になるんだ!」
もう一度強く言う。
切嗣は嬉しそうに、でも悲しく辛そうに、そしてやっぱり嬉しそうに顔を綻ばす。
「そう…か。…………………よし!いい名前があるぞ」
再び書き留められた文字、「志保」
「これは僕の知り合いの人からもじったんだ。意味としては「志を保つ」。まんまだね。
その人の場合は「貴ぶ」だけど。つまりね、「初心忘るるべからず」ってやつ。
士郎、正義の味方っていうのはキミが思うものよりずっと薄情なものなんだ。今はわからないと思うけど」
なにか、核心めいた話に俺は頷きもせず黙って聞き入った。
「その度につらい思いをするだろう、足を止めたくなってしまうかもしれない。
でも士郎には一度決心したことを曲げるような生き方はして欲しくない。だからこそ、
迷ったときには、自分を見失いそうな時はこの名前を思い出してもらえれば、というわけなんだけど」
「どうかな」と今までのシリアスぶち壊しでおどけて訊いてくる。
でも、悪くない。
まるで本当に命を吹き込まれたような印象を、紙の上の文字に感じた。
「いいかも、な。それ」
俺の呟きに切嗣は胡座をかいたまま力強く頷く。
「よし、キミは今日から「衛宮志保」。僕の娘だ」
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