エミヤシホ。
それがあの娘の名前らしい。
エミヤ……やはり衛宮のことか。
この屋敷の事は思い出せる。かつての私の全てが此処にはあったのだ。

ならば少年の日の私、衛宮士郎は何処にいる?
それに、あのサーヴァント――おそらくはセイバー――の宝具。風王結界(インビジブル・エア)に間違いない。

信じられん。
信じられんが認めるしかなさそうだ。
あのサーヴァントは彼の騎士王、アーサー・ペンドラゴンに他ならない。
アルトリアではなく…史実通り、男のアーサー王。

では、やはり衛宮士郎は存在しないのだろうか。
あの娘が衛宮家の養女か何かだと言うなら可能性は捨てずに済んだかもしれん。
しかしセイバーが守護する素振りを見せている事から、衛宮シホが彼のマスターなのは明白。
アーサー王を召喚できる資質を持った人間は衛宮士郎と同等の資質を持った人間。
言ってみれば、「衛宮士郎でない衛宮士郎」が最有力、ということ。

「ここ」は………私が歩んだ「枝葉」ではない。
まったく何と……何と滑稽な。
これでは「宝くじに当たったと思えば掲載誌の誤植だった」ようなものではないか。何と言う空回り。
これまでの人生で最大級のぬか喜びだ。

喚び出されて二日と経たずに私の積年の希望は打ち砕かれた、というわけだ。
諦めることには慣れたとは言え、これはあんまりではないだろうか。

いっそあの娘を…とも一瞬考えたが…あれは既に別物だ。
衛宮士郎(わたし)とは何の因果も持たないだろう。

いや、もう少し。もう少し様子を探ろう。
凛に言ったことを私が実践出来ないでどうする。まだ掃除屋に身を窶すには早すぎる。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇
<Die Sicht ändert 衛宮志保>

重苦しい空気を背負い二人を屋敷の中へ通す。
一人はなにやら先程から素敵な笑顔を絶やさない、あかいあくま。
一人は中世のゴツゴツした甲冑に身を包む青年。

違和感バリバリなセイバーもさることながら、遠坂の発する視線がイタイであります。
アタシが一体なにをした?時代はアタシの敵か!などと叫びたくなるほどの重圧に耐え居間に辿り着く事が出来た。
その道程、剣山の上を歩くが如し。

「なによこの惨状。台風にでも襲われたわけ?」

アタシにしても此処で初めて居間の散らかり様を目にした。
窓ガラスを破ったのはアタシだけど、それとは別に障子にバカでかい穴。
あんにゃろう…幾多の狼藉のあげく、この置き土産かよ。

「寒っ…これじゃ、おちおち話すこともできないじゃない。……仕様のない…。――――――――――」

あっという間の出来事。
遠坂が手に取ったガラスのひと欠けがほんの数瞬で元通りに復元されてしまった。
あまりの手際の見事さに思わず「おおーー」などと拍手を送ると、

「………」

睨まれた。

「えっと…遠坂……?」
「言っておくけど、これは貸し借りとは関係ないことだから。わたし達は貴女に助けられた覚えも負けた覚えもないわ。
 これも単なる労いよ。勘違いしないで」
「何言ってるかさっぱりだけど、直してくれて、その…助かった。さんきゅ」

素直に感謝の意の述べたのに当の遠坂は「はぁ?」って顔してる。

「こんなの朝飯前以下じゃない。この程度の魔力の肩代わりで感謝されちゃスジ違いってもんよ」
「そんなことないって。あんな高等なことアタシにはできないし」
「嘘でしょ?ガラスの扱いなんて基本中の基本じゃない」
「いや世間の基本ってやつはアタシとは無縁だよ」
「なら貴女の「基本」とやらはどこにあるのかしら?」
「えと…切嗣(オヤジ)、かな……」

思い返してみれば切嗣から教わった事って遠坂が言う「魔術師の基本」てやつをどれだけ踏襲しているんだろう。
もしかして大事な事思いっきり端折られて伝えられたのかも知んない。

あはは…と、自分でも分かるほどの乾いた笑いが零れるが、遠坂の視線は厭な形で重みを増す。

「……じゃあ何、貴女素人?」
「そんなことは……ないぞ。うん」
「今の間は何かしらね」

強化の魔術も成功率1%を切ってるって言ったら、張っ倒されかねん。

「………」
「………」
「…」

重い…重いです。
誰一人座ろうとしない。
セイバーは能面だし、遠坂は腕組みしながらブスッとして…ああっ、こめかみがヒクついてるっ。

「気が利かない家主ね!いつまで人様を立たせておくつもり?これでも客人なんだからお茶のひとつ出てきてもいいと思うんだけど」

うわ、なんて不遜な。
こっちの返事を待たずしてさっさと座っちまうし。漂う風格は有無を言わせない。

「わかった、わかりましたよ!―――あっ、ちょ、ちょっとだけ待っててくれ。あ…セイバーもすわって――」

言うだけ言い残し洗面所に走る。
で、洗濯機か、ってくらい盛大に口を濯ぐ。
なぜかって…あの野郎に吸われた部分を洗い流す為に決まってる。
こんなことしてもあの忌まわしい事実と感触は消えちゃくれないが……気持ちの問題だ。気持ちの。

「思い出したらムカムカしてきた…」

一度殺されて…唇奪われて…。

―――許すまじ。歯が立たないのは証明済みだけど一発くれてやらなきゃアタシの気が済まない。

パン!と両手で頬を張り、気持ちを切り替える。

「っと…このままってワケにもいかないや」

居間に戻る前に血で汚れた服を洗濯機に放り込む。
張り付く感触で薄々判っちゃいたけど、下着とブラウスに関してはかなりスゴイことになってた。
藤ねえ達にバレちゃ大事だ。
染みの少ない制服はひとまず洗濯機にかけて、汚れの落とし様の無い服は捨てる事にした。

私服に着替えながら居間に戻ったときには、

「えっと…」

セイバーと、何時の間に入ってきたのか、遠坂の相方らしき赤い男が向かい合っていた。
うん、私見を抜かせてもらえば、睨み合ってると言った方が正しいんだろう―――――――――待て待て待て!

「せ、セイバー!お前なに敵意剥き出しで睨んでるんだ!家の中でぐらい穏便にだな」
「シホ。再三繰り返し言いますが、私達は今現在も戦いの最中だ。敵と相対して、どうして平常でいられるというのか」

こちらを見ることなく、きっぱり言い放つ。
それとは対照的に遠坂が不敵に笑いかけた。

「好戦的なのは望むとこ。
 けど衛宮さん、貴女の行動も軽率よ。この部屋を檻とするなら、貴女は猛獣と一般人を置き去りにしたようなものよ。
 手綱はしっかり握ってもらわないとね」

誰が一般人か。言いたいけど黙っとこう。

ピリピリとした空気が肌を刺す。
二人とも無手であるのにもかかわらず佇まいは西部劇の決闘を連想させた。

「もう心配はないみたい。戻りなさい、アーチャー」

沈黙を破った遠坂に従ったのか、男はさっきと同じように空気にとけるように消えていった。
アタシのほうに視線を、送りながら。
示し合わすようにセイバーの顔も硬化がとける。おもしろくない、っていう雰囲気は健在なままで。

そこまで確かめてようやく自分が呼吸を忘れしまっていたことに気付いて、わざとらしく見えてしまうほどの溜め息。

「志保。アンタねぇ、よくこの状況下で着替えなんて悠長なマネしてられるわね。反省なさい」
「そ、そんなこと言ったって!遠坂だって血みどろの服着た奴とのんびり話ができるのかよ」
「あーら。血なんてわたしたちにとっては日常茶飯事でしょうが。牛じゃあるまいし」

茶飯事って……あっ…。

なんつーことをあけすけに言ってくれますか。こいつは。
あああ〜紅潮してくるのが自分でもよくわかっちまう……。

「……?………あ、アンタ、なに想像してんのよ!あのねぇ、わたしが言ったのは媒介に使う話!
 そ、そーゆーことじゃな、違うんだからっ…赤くなるなっ!もうっ」
「遠坂だって!えと、その…」
「いいから!お茶でも注いで忘れなさい」
「は、はいぃ」

ダンッと片手でテーブルを叩き、促す。
アタシときたら、脱兎の如く台所に飛び出した。染み付いていたような、その動作は情けないことこの上ない。
屈してなるものかと意気込んではいても、アタシの手はぱぱっとティーカップを用意してしまっている。
まずい……このままではいずれ我が家までも遠坂の手に落ちてしまう、のか?
切嗣!衛宮家はピンチです!

と、おバカな考えは後回しに。
…けど割と切実っぽく発展しそうな問題だよな。相手が遠坂だと。

「遠坂は紅茶、でいいんだっけ?」
「ええ、構わないわ。安心して、安茶葉だからってケチつけたりしないから」
「(くそぅ悪魔め)せ、セイバーも一緒でいいか?」

ちょっとばかしコメカミを引くつかせながら同様に聞くと彼はほんの一瞬だけ考え込むように目を伏せ、けれどコクッとはっきり肯いた。
大方断ろうかとも考えていたんだろう。

紅茶のイロハなんて存じ上げないなりに、それっぽく淹れたものに砂糖と市販のレモン汁と添え二人のもとへ。

「ん?志保。どうして四つあるわけ?」

配膳していた自分より先に遠坂に疑問を投げられる。
そういやそうだ。なんでかアタシはナチュラルに四人分の紅茶を用意していた。
この場にいない四人目といったら…あの男しかいないよな……。

「ええっと、なんで?」
「聞いてるのはこっちでしょうが!!む、でも…そう…」

だんだんと声が小さくなっていき、最後に「そ〜か」と呟くと、何故か獲物を狩る目になった。
ただし口元はにやり、と歪んでるので余計に寒気をさそう。
こういう表情をしたときの女の子は危険だ。身の危険とは程遠くはあるんだけど、底冷えする何かを感じさせる。
それがこの赤いのなら尚の事。

「貴女、ウチのとお茶がしたい、って言うわけかしら?」
「は?」

質問がトび過ぎて理解できない。
空いた紅茶が一人分。これはつまり遠坂の、遠坂の……?

「つまりぃ…遠坂はアーチャーってのとお茶がしたい、と?」
「ちっがう!わたしじゃなくてアンタが、ってこと」
「シホ、この魔術師の言う事は本当なのですか!?貴女は敵のサーヴァントとまで茶を共にしようと?」
「お、お前ら…なに言い出すんだ」

なんでセイバーまで話に参加してくんだよ?

「言っとくけどな。アタシはまだ戦争やら敵やら言われてもぜんっぜんわかってないんだ。
 どんな想像膨らませたか知らんが頭数だけお茶を用意しただけだろうが。それ以上でも以下でもないぞ」

そう…だよな。
それでいいはずだ。
無意識だったけどそれだけなんだ。

「……わかりました。ならば話を始めて下さい。マスターには早く現状を呑み込んでもらわなくては」
「そうね。じゃあ始めましょ。と言っても、どこから説明したものやら…」



「わたしが教えて上げられるのはこんなとこかしら。わかった?」
「……」
「どう受け止めても、あなたの勝手ではある…。それでもお節介を言わせてもらうなら、とっとと割り切っちゃうのが利口。
 呆けたままこの先過ごしていくなら…死ぬわよ?あっという間に、ね」

頭の中は未だに整理しきれない情報で飽和状態だけど、現状と、いくつかの単語が意味するところは理解した。
でも……。

「話は、わかった。でも…納得できない」
「そうね。わたしや他のマスターと違って志保は巻き込まれた形になるんだし」
「そういうこと言ってるんじゃない」

遠坂は言った。「ゲームに巻き込まれた」と。
冗談じゃない。
命を賭けさせられてまで戦うことのどこがゲームだって言うんだ。

遠坂の言葉は単にわかりやすく格を落として説明しただけかもしれない。
けど、他のマスターの中には本当に殺す事が好きで仕方がないイカレた奴がいないとも、限らない。

情けないな。
覚悟なんて出来てたはずなのに…一度死にかけて、さらにもう一度死に目に会って、なお、まだ尻込みしてる。

「何に憤慨してるか知らないけど、わたしに向けるのはお門違いってものじゃない?
 ま、いいけど。必要なことだけでもわかったってんなら、準備なさい」
「え…準備って、なんのさ?」
「全てじゃなくとも志保の疑問に答えられる奴のところよ。そしてあなたには行く義務がある」
「に、したって――」

時計に目をやる。
学校、弓道場で最後に時計を見たのが確か七時前後。今現在、日付が変わっていた。

「い、今からか?」
「構わないでしょう。明日は休日なんだし。わたしも付き合ってあげるんだから」

感謝しなさい、とふんぞり返る遠坂には、ちとカチンともくるが、今のアタシたちの立場からすれば破格の申し出なんだろう。
考えたくもないけど…戦争と言う言葉を冠した現状じゃあアタシはいつ遠坂に襲われてもおかしくない。
立場も理解してない未熟者が相手だっていうなら、なおさら。

「いまは……従うよ。遠坂、いいやつだしな」
「ちょ…なに言い出すのよっ……ったく」

照れてる、のか?率直な感想を言ってみただけなんだけどな。
よかった…遠坂はやっぱり遠坂だ。
いま、アタシが感じる安堵がほんのひとときの彼女の緩みからくるものだとしても、まだ「日常」に踏みとどまれたようで。
ちょっとだけ安心できる。こんな遠坂が見れると。

「あ、待った。セイバーも一緒の方が…?」

「無論。むしろ、それをわかって頂く為の話ではなかったのでは?」
「……なんだけどねぇ。『わかった』とか言ったのにこれなんだから」

セイバーがジト目でこちらを一瞥し、遠坂も危機感なさ過ぎ、とやれやれなジェスチャーを示す。
なんだよ…考えたい時間を奪って外出しようっつったのは遠坂なのに。

「セイバーが護衛みたいなカンジなのはわかってるさ。アタシが言いたいのは肩並べて行くのかってことで…」
「それは遠回しに私が余計だと?それは心外だ」
「違う違う!いくら深夜とはいえそんなゴツイ鎧着てたんじゃ、おちおち外出できないぞ」

特にここ最近物騒な事件が頻発してるんだから、警察の巡回に出くわすことだってありえる。
職質されても……いや、されない方がおかしいほど時代錯誤爆発なカッコだし。
こいつ知識はその時代柄に合わせ、持ち合わせてる、とか言ってその辺の気が利かないのかよ?

「つまりマスターは鎧を脱いで同行せよ、と?」

言い終わるや、セイバーから不快というか不服といった感情がもれてくる。本人は隠してるつもりだろうけど。

「まだわかって貰えないようですねシホ。私が貴女を護ると言ったら、それは絶対です。
 そして護る以上は戦闘に関する落ち度は認められない。それは敗北にこそなり得ても、勝利には決して繋がらない」

セイバーは本気でアタシの身を案じてくれている。
嬉しい事には違いないが、敵対するサーヴァントとやらに匹敵するほど国家権力に絡まれるのは遠慮したい。

「いいじゃない。オンナノコの夜歩きにはナイト様は必須でしょ」
「遠坂。それ似合わない」
「ぐ、言うじゃない、志保…」
「ああもうっ。そんなら譲歩案!要は鎧を脱がずに護衛につければ良いんだろ?重ね着できそうなモン持ってくるからちょい待ってろ」

んで、家中の衣装棚を漁ること数刻。

「シホ…これは…?」
「そいつが譲歩案だ。ん、まぁ、そんなのしか見つけらんなかったのは…悪かったけどさ」

見つけ出した物とは雨合羽。
しかも黄色。
次いで言っておけば外は寒空ながら晴天也。
鎧姿と言う人目につく姿を隠すための物として根本的に間違った選択だと言えなくもない。
頼むから正しいと信じさせて、今だけでも。

「英霊にそんなもの着せようなんて、随分礼儀知らずな神経よね。セイバー、本当に霊体化できないの?
 突っ込まれたくない事なら言わなくていいけど」
「そう…ですね。むしろシホから魔力の供給が殆ど臨めていないのが現状です。聞けば召喚に正規の手順をふんでいないと聞きました。
 そのせいかも判断しかねますが私達の繋がりは希薄だ。まるで遮断されているかのように」
「驚いた。そこまで話してくれるんだあ。でも悪いけど見当はつかないわ。志保には確かに魔力がある、へなちょこだけど」
「っこの……!」

アタシの抗議の意もなかったことのように流して話を進めてくれやがる。

「とすれば事故ってセンで堅いわね。志保が未熟でその辺の扱いがザルって可能性も捨てきれないけど」

おーおー好き勝手言ってくれちゃって。
優秀な遠坂凛サマにゃ、おちこぼれの苦悩なんか理解りっこないでしょうよ。
こいつ自身、自分の言葉がどんだけ切れ味を誇ってるかなんて意識してないんだろうなクソっ。



外はいたって静かなもんで、音といえば街灯から発される耳鳴りくらいなもの。
時間帯も手伝ってか肌寒さが際立つ。
寒く感じる要因がもうひとつ。その要因を流し見る。

「?なに?」
「いや、な。寒くないのかなぁ…と」

彼女のパーソナルカラーであろう、赤いセーターに短めのスカート。
中にだってろくに着込んではいなさそうなのに、どうしてこんな薄着で平気なのか。

「こう見えても寒さには強いの。あとは…まぁ、しがないジレンマってやつ」

変な奴。
寒けりゃちゃんと上着を着ればいいことに何で葛藤が引き起こされなくちゃいけないんだろ。
……赤以外の服を着たくない、とか。

「わたしからしてみれば、そっちの格好も問題じゃない?色気の欠片もない」

アタシの今の、というより冬を過ごす大半のスタイル、GジャンにGパン。
他の季節でもGジャンが外れるか、シャツになるか位しか変化をつけてない。
自分としても着飾ろうとも思えないし、目立つのは嫌だ。シンプルイズベスト。

「ほっとけ。そんな単語、アタシとは無縁だね。遠坂みたいに綺麗に着こなすなんて無理無理」
「素で言ってんだからムカつくわねぇ」

「で?どこに向かおうってんだ。黄色い朝日を拝むのは勘弁願いたいぞ」
「安心なさい。隣町までだから。帰りが遅くなるのがいやだって言うならタクシーでもつかまえればいいじゃない」
「そんなブルジョアジーなマネできるか。遠坂じゃあるまいし」
「あら、ここは割り勘でいくべきでしょう」
「なんってふてぶてしい!豪勢な屋敷に住んでる割に心根は貧しいのな」
「実際貧しいもの。あんなのは先代たちが築いたもので、当代じゃ火の車なの」

意外。ミスパーフェクトが生活に貧窮してることもそうだけど。
普段遠坂は話を振ったところで家庭の話なんてしたがらなかったのに。
やっぱ…魔術師とかマスターとか同じ立場にあるから、気を許してくれてるのかな。少しは。
アタシん家としても経済的に恵まれちゃいないから、その辺共感できるのかも。
とはいえ、こいつが本気で金策に乗り出したら十年と掛からずに長者番付に名を連ねそう…。

「っと、話が逸れた。行き先だけど隣町の丘にある教会、行ったことある?」
「いんや。師の教え柄、教会って場所はどうも…な」
「そっちの師匠も多分に問題ありそうだけど、その意見は的確ね。あの神父なら尚更そう」

「も」って…遠坂のお師さんがどんな人間か知らないが切嗣が貶されたみたいで少し気分を害したぞ。
不甲斐無いのは他ならぬオレ自身のせいなのに。
……待てよ。教会?神父?

「神父?魔術師同士のゴタゴタになんで教会が」
「そのゴタゴタで手に入るものが聖遺物だから、よ。監督役って名目で目を光らせているの」
「うへぇ。ヤだな、水面下での睨み合いみたいで」
「これから会いに行く奴にはもっと気分悪くするかもね」

また不安を煽るようなことを…。
けど遠坂の表情にいつも人を小馬鹿にする悪い微笑みは浮かんでおらず、それがかえって不安を増長させた。

ちら、と背後を窺うと近すぎず、けれど離れずな距離を保ってセイバーはついて来る。
シュールだ…。
黄色い合羽からは不釣合いなガシャンガシャンという重低音。
頼もしくはあるんだけど、なんだかなぁ。

新都に入って、時間も既に丑三つ時。
当たり前のように街中は静まり返っている。
それは日常。平常。当然の光景なのに心は浮き足立つ。
今もどこかで、人知れず、人の理解の及ばない戦いが、起きているかと思うと。そして自分も、その一員かと思うと。

「見えてきたわよ」

引き戻されたように声が促す先を見る。
坂道、視界を覆う林の上からは、いかにもな十字架が目に入った。

丘を登りれば、そこは眠る事のない街の灯が一望できる。
これだけの点景、学校の屋上からもお目にかかれないが、それ以上に眼前の教会に圧倒された。
そびえたつ、という言葉そのもの。
林でよく確認できないが、広さも相当なものだ。

「知らなかったな…。こんなでかい教会が目と鼻の先にあったなんて。
 もしかして、その監督役って神父、メチャメチャ偉い人なんじゃないのか?」
「とんでもない!ナマグサもいいとこなヤツなんだから。ま、父親は優秀だったらしいから。
 本人の力も認めるけど人格は否定しときたいわ」

仮にも自分の後見人じゃないのかよ。

そんな遠坂を横目に、「ここで待つ」と言ってきかないセイバーを背に、扉を押し開ける。
なんか…緊張してきた。

…意外と質素な造りなんだな。
もっとステンドバリバリな感じかと思ってたけど。
マリア像…みたいなシンボル的な記号も見当たらない。

「遠坂。のせられてここまできちまったけど、こんな時間に起きてるもんか?聖職者とはいえ…」
「聖職者だから、でしょ。名ばかりの暇人なんだから。寝てたら寝てたで叩き起こせばいいのよ」

「師に向かってそのありえん程、慎みのない口はどうにかならないものか」

実に、自然に、割り込んできたと表現できないほど滑らかに、第三者の声。
アタシと違い、落ち着いたように遠坂がほらね、と嘆息した。

「やっと現れたかと思えば、この真夜中の訪問。労わりを知らぬ弟子だ」

礼拝堂の奥から現れた男は言葉とは裏腹に、さも待っていたと言わんばかりだ。

「お生憎。嫌味の応酬がしたくて来たわけじゃないの。この子よ」

顎で促し、すっと身を引く遠坂に合わせたように、神父は一歩踏み出した。
それだけのことなのに…恐れにも似た感覚が身体の中で暴れだす。
錯覚でしかないというのに、こんなにも、息苦しい。

「なるほど。この娘が七人目、か。私は言峰綺礼。この教会の者にして監督役などというもの任された者だ。
 君の名は?セイバーのマスターよ」
「え…衛宮……志保」

搾り出すように、やっとこさそれだけ紡ぐことが出来た。

「衛宮………衛宮、志保」

それは果たして感慨深く、でいいのだろうか。
衛宮という言葉を反芻するように口ずさむ。
と同時に、その、人の内を覗き明かすような眼光にいっそうの光が灯るように見えた。

「彼女、かなりの問題児だからアンタとは噛み合うと思うわ。けど、調子に乗るのは勘弁して頂戴。
 こっちとしても綺礼の悪趣味に付き合う気はないの」
「そう言われてもな。凛に頼られては張り切らざるを得ないが、善処しようではないか」

チッ、と悪態つくようにそっぽを向く遠坂。
正直そんな素振りでも見せてくれなかったらこの言峰って奴とつるんでアタシを陥れようとしてるのか、と勘違いするところだ。



ここまでのルール説明と冠した問答は衛宮志保をがたがたに揺さぶってくれた。
尋問のようで、裁判のようで、説法のよう。
教会だからこそ、なのか。まるで懺悔室に通されたかのようだ。
もっとも、一度だって赴いた事のないけどな、そんなとこ。
だというのに、礼拝堂と言峰から漂う空気は思い描いた懺悔室のイメージそのもので…、自分というひとつの個を浮き彫りにされる。
遠坂も相当なもんだが、この言峰のは正に言葉の暴力。
おまけにそれが不快極まりない言い分でも、一介の理を持ち合わせているのだからタチが悪い。
舌で生きる人間ってのはこういう奴を差すんだろう。

「話はここまでだ。さて、衛宮志保。君の意思を聞かせてもらおうか。君の覚悟とやらを」

覚悟、ときたか。
なんとなく……わかってきた。疑問は尽きないけど、こいつはオレを理解っている。
この問いもただのイエス・ノーといった次元じゃない。魔術師としての答えを求めているわけでもない。
奴は聞いてる。「衛宮志保」の答えを待っている。

「決まってる。戦うさ。あれを起こした奴を許す気はない。もう一度起きるってんなら何が何でも止めてやる」

アタシの答えが滑稽だとでもいうのか、言峰は喘う。

「許さない…か。その通り。悪は許してはおけない。そうだな、衛宮志保?」

?何を…言い出すんだ…。
今更になって善悪について語りだそうとでも?

「な、にが……いいたい…」

おかしい…どうして、こんな……

「寿いでいるのだよ。お前という、ひとつの無垢が答えを得ようとしているのだからな」

こんなにも、喉が…渇いていく?

「お前の願いはそれの否定と同義。それがここにきて、出しあぐねいていた答えを満たしてくれる存在が否応なく現れた」

こんなにも、こころにひびく?

「そら、正義を成すには悪が必要だ。お前が渇望(のぞ)んだ存在(モノ)だ」
「あ…、ぅ……」

必死で、叫びたくなるのを堪えた。
今度こそ…本当に暴かれてしまった。
衛宮志保の根っこを。

「志保?ちょっと綺礼!答えは出たんでしょ?これ以上追い込んでどうするっての!」
「心外だな。私なりの激励だったのだが」
「…行こう、遠坂。もう…聞く事もない」

背後に侍る遠坂をやんわりと押し返し、うつろなりにキッと目を据えて言峰に向き直る。

「アタシは戦う。でも、諦めちゃいないからな」

敵がどうした。こいつの語る願いの否定が自身の否定になると、誰が決められるのか。
倒さなければ終わらない、だと?
アタシは逃げない。自分のできる最大限で戦いを回避させて戦争を終わらせることだって…。

「では最後にひとつ。話し合いで解決など、笑いを通り越し、蔑むべき手段だ。甘い幻想は捨てる事だな。
 その扉を抜けた瞬間、お前の立場は決定付けられる。凛でさえお前と対峙することになるだろうよ。
 これは忠告ではなく警告と受け取りたまえ」

その言葉は最後まで聞き入れる事は無く、背で受けた。

どれだけの時間、話し込んでいたのか。
高台ってことも手伝い、辺りは一層冷えた空気に包まれていた。
あてられた毒を吐き出すように何度も深呼吸を繰り返す。

だだっ広い敷地の中央でポツンと佇むセイバーに駆け寄る。

「待たせちまったかな。それで…な」
「いいえ。して、シホ。貴女の、返答は?」
「戦うよ。マスターとして。さっきはゴタゴタしてるうちに終わっちまったけど、改めて。
 セイバー、アタシのサーヴァントとして一緒に戦ってくれ」

手を彼の方へ差し出す。
どこの英雄か知らないけど、握手の風習くらいあるよな…。
セイバーは言い終えたアタシと差し出された手を一度づつ見比べ、

「今一度誓いましょう。貴女の身に令呪あるかぎり、この身は貴女の剣になると」

初めて見たかもしれない柔らかな笑みをたたえ、握り返してくれた。

「はいはいごちそーさま。で、いいかしら志保。こ・れ・で、アンタもスタートラインに立ったわけだけど」
「あ、ああ。そうなるか…な。正直これから何すりゃいいかわかんないけど、ここまでサンキュな」
「そーお…脳天気なもんね。綺礼の言葉、もう忘れたの。晴れて今からアンタとは敵同士。わかって?」
「納得できないってのは、家で話したときと変わってない。遠坂と争う気なんて…」
「ったく。何のために連れて来てやったんだか…。あぁ、いいわ。今日はもう別れましょ。明日からは容赦しないから♪」

スバラシイ笑顔でそう、締めくくる。――と。

「待て凛。納得がいかんぞ。どう考えてもこの場で仕留めた方がよいだろうに」

遠坂の背後に突然現れる男。アーチャーだ。
そういえばあの男は、っていうより他のサーヴァントはみんな霊体化して姿を消せるんだよな。
今の今まですっかり存在忘れてた。

「身の程も知らぬマスターと、その貧相な魔力に支えられたどこの馬の骨とも知れぬ剣士。今を逃し、いつ狩ると言うのか」

こいつ……好き勝手言いやがる!
好戦的な発言にかかわらず、その両腕は組まれたまま…あからさまな挑発だ。

「ならば、試してみるか。貴様が馬の骨と評す剣を」

現にセイバーはアタシを隠すようにずい、と前に立ちはだかる。
あいっかわらず、血の気の多い…。
決断したとはいえその直後に問題を作らないでくれよ。

「止しなさいアーチャー。今は見逃すって決めたの」
「この手合いは放っておけば後々厄介なものになるぞ」
「それでも、よ」
「凛。この際だ、今聞かせてもらおう。こうして友人がマスターとなって、君は一切の手を緩めず戦えるのかね?」

「―――ええ、やれるわ。それでも…今日は納得して。明日からは昨日までのわたしに戻るから」

口に出した決意とは、思ったそれより、遥かに重い。
アタシが、どう訴えても遠坂は敵になるって言うんだな……。

「その言葉、信じるぞマスター」

念を押すような物言いで再び夜闇に溶け込んでいくアーチャー。

「そういうわけよ。今日だけは仏心ってことで。明日からは敵同士、OK?―――じゃ、行くわ」
「行くって…帰るんじゃないのか?」
「新都に出たんだから軽〜く索敵くらいしないとね。これ以上一緒に行動するってわけにも、いかないわ」

言い切るが、遠坂は坂を降りていってしまった。

やたらと爽やかな宣戦布告。遠坂らしいや。
あいつがその言葉にどれだけの覚悟を込めてるかなんて、わかりっこないけど…すっぱり受け止める事は出来そうにない。

ぐっと背を伸ばし、空を見上げれば星空が良く映えている。
ほーんと、何やってんだかな。アタシたち…。

「うじうじ考えても仕方ない、な。帰って、寝よう」

表情が窺えないセイバーは、ただ、肯き、来た道を引き返す。
そういや、こんな時間に異性と夜道を歩く、なんてはじめてかも。女性とだって午前様なんてなかったけど。
セイバーが男でよかったのか都合悪いのか…。
女性の英雄なら勇猛とか知恵者ってイメージだから、前者なら相性いいかな。
でもセイバー、慇懃だからアタシのこと必要以上に女扱いしそう。
それは、嫌だな…。
弱っちいからって性別絡みで掩護されるのは癪だ。

まずはその辺から話し合わないとな。うん。

・・・・・とはいっても…ど〜切り出したもんかね。
聞きたいコト知りたいコトが多すぎると逆に浮かばないもんだ。

うーむ、さっきっからくだらない事に思考奪われてる気がするわ。
英霊が相手だから、なんて線引きするつもりないのになぁ。
いや、それこそ失礼かな?
こんなとき遠坂の性格が羨ましい。あいつ英霊だって顎でこき使えそうだ。むしろもう現実にしてるか?

あっ、もう未遠川。
ふらふらした状態でここまで来ちまっていたか。
やっぱ、いまひとつ頭ン中整理できていない。カラッポになって明日にまわすのが正解かね。

はふぅ、と溜め息。
何故か静寂なのに気付き、見回せばセイバーが橋のちょうど中央の辺りで立ち止まっていた。
視線の先がどこを捉えてるかは判断できないが顔は未遠川の下流に向けられている。

「セイバー?どうか…したか?」
「―――いえ。少しばかり昔のことを」
「昔……?ああ!昔って、ここから見る景色が生前のもんとダブって見えた、ってこと?」
「はい。そんなところです。では、行きましょう。橋の上で襲われるのは好ましくない」

留まらせたのはセイバーなんだけどなぁ。
でも、昔…か。いずれセイバーの過去の文献を調べてみるのも悪くないかな。メジャーな方だといいんだけど。

―――それは、橋を下りきって公園に入ったとき。

「おーそーい!わたし、待ちくたびれちゃったじゃない」

澄んだ空気からか、視界の外からの声は、それでもはっきりと耳に届いた。
かわいらしい声、だと思った。そちらを振り返るまではそう感じられていた。

いや、実際その通りだったんだ。傍らにそびえ立つ巨人を見るまでは。

「ッッ!!?」

蛇に睨まれた蛙。いや、それよりひどいかもしれない。
だってそいつは立ってるだけ。威嚇されてるわけでもない。だのに…。
心底逃げ出してしまいたいと願う。もしこの四肢が少しでも動こうと、してくれていたなら。
言われなくたってわかる。アレがサーヴァントの一人だってことくらいは。
遠目から見れば傍らの、おそらくはマスターであろう少女が人形に見えてしまうほどの体躯。
まったく常識も何もあったもんじゃない。
あれをヒトをみなきゃいけないたぁ、とんだ難儀。

「こんばんわ。お姉ちゃん。いい夜だね」

後ろ手にして、楽しそうに語りかけてくる少女。
この威圧の嵐の中、どんなコントラストか。

見覚えは、あった。
昨日の出来事だ。忘れるはずもない。
でも、返事は出せない。身振りのひとつさえ。

「ぅん、すぐ死んじゃうだろうけど教えてあげるね。わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。シホは知らないみたいだね。
 でも、ざーんねん。てっきりトオサカと一緒に来ると思ったのになぁ」

なんで…アタシの名前を?遠坂の事までお見通しだなんて。
背中をつたう冷や汗が止まらない。
少し前までオプションにしか見えなかった少女までもが危険な存在に思えてきた。

「面倒なことはパパっとすませちゃお。殺っちゃえ、バーサーカー」

無邪気な声で、爆弾のスイッチでも押すように腕を、振り下ろした。

「██████████████████████████████████」

今度こそ本物だ。確実な殺意。
大気が震えるほどの咆哮で、よくも気絶しなかったものだ。

「下がれ!!マスター!」

迫り来る暴君に未だ反応できないアタシの横を、雨合羽のままセイバーが跳びぬける。
セイバーはいわずもがな、巨人もその巨躯と岩そのものといっていい位の得物にも関らず駆ける速度に遜色はない。

轟音。

二者が駆け寄り、先に射程圏内に捉えたのは巨人の方。
いつ振り上げたのか、わかったのは振り下ろされ地面が砕けたという結果だけ。

モロに喰らったように見えた。しかし、いまやただのボロ布となった黄色い合羽は、その得物を絡め取っている。

「っせえええぇぇい!!」

そのまま死角であろう背後へまわり、不可視の剣を振り抜く。
―――が、巨人はお構いなしに得物を、自身を中心として薙ぎ払う。
いかなる嗅覚か、その竜巻は確実にセイバーを巻き込んだ。

彼もこの対応には予想がつかなかったか、力を逃がす事も出来ず鍔迫り合う形に。
迫り合う、というのは正しくない。物理的な力の差は明らか。力比べに移行してしまった時点で勝負は決している。
且つ、巨人は片手のみでセイバーを圧倒する。
苦悶に歪むセイバーの片膝が崩れた瞬間、彼の後頭部から空いた手が回り込み、鷲掴みにし、ぎしり、といやな音をたてる。

「っあ――――――――」

痛みとしての声が発されるよりも前に、その体は土手にあたる石垣に叩き付けられた。
公園一帯が土煙で覆われる。

セイバーがどうなったかも確認せず、一直線に石垣へ歩を進める巨人。
そこへ杭を打ち込むが如く、塊を振り落とす。

一際大きな金属音。
風圧で晴れた土煙の中にはセイバーが剣、おそらくはその腹でかろうじて受け止めていた。
でも、これじゃさっきの二の舞。みるみるうちにその体は地面に埋まっていく。
駄目押しとばかりに今一度、凶器が振り下ろされ、

「ぐっ………あ…」

背中と後頭部を打ち付けてしまったのか、目の焦点が乱れる。
その反動で浮き上がった体をハンマーのようにスイングされた腕でボールのように跳ね飛ばされる。

「なん…だよ……これ」

戦いじゃない。殺し合いでもない。これじゃ一方的な、命の搾取じゃないか。

それでもセイバーは立つ。
あれほど優美な装飾が施された鎧も今や自身の血で塗り替えられている。

剣を…構えた。

どうして?なぜ?
こんなズタボロになってまで戦おうっていうのか。
聖杯ってのはそこまで必死になって得ようとするものなのかよ!?

疑問は口をついて出ることはない。
ただ、彼の真意がどこにあったとしても、やっぱりその後姿は英雄と評されるものだった。
……けど…!

「セイバー!もうやめろ!逃げろ!逃げてくれよぉっ!!」

英雄だろうと、死ぬときゃ死ぬんだ。
戦う姿勢をどんなに示したところで、この場を凌げるワケないだろうが。

「はぁ…は…っく、おおおおおぉぉおぉおおおおおおおお!!!」

アタシの訴えを否定するように、何の策もなく彼は突進する。
気迫も束の間。簡単に弾き飛ばされ、着地もままならず、あれだけバランスを誇った体も無様に地面に転がり落ちた。

「セイバー!」

体を剣で支え、ようやっと立っているセイバーに駆け寄る。
しかし、彼はバッと片手でアタシを制した。

幽鬼のような表情で、唇が動く。

ニ、ゲ、テ―――と

ア、タ…は……れ、は!
―――――――――――オレは!


逃げない

逃げた(検閲削除






















































逃げない
逃げてたまるか。

頭に来る。
衛宮志保はいつからこんなに頭でっかちになっていた?
考えるのなんて後でいい。
動いてから、セイバーを助けてからでも遅くない。
遅く、ないんだ!

「セイ―――――――っば……」

風が吹いた。そんな気がした。

「シ……ホ…?」
「え、なに…それ?」

「へん…だ、な」

やけに体が軽い。ってか力が入んない。
それは本能的にだったのか、両の手は自身を抱きこむように、胴部にまわされていた。
なのにおかしい。すっからかん。がらんどう。
それで…………嗚呼、見なきゃ良かった。
削られていた、腹が。やーらかいデザートをティースプーンで掠め取るくらい、あっさりすっぱり無くなっていた。
撒き散らされた内臓(なかみ)が街灯にヤな感じで照らされている。

「う―――げ、は…ぁ」

あまりのグロさに吐きたくなった、けど。

「は…は……ぁ、は」

生憎と吐き出せるものは、とうに飛び出しちまってたみたい。

ダッセぇ…。
盾になるにしたって、今日び鍋のフタだって一撃くらいは保つだろうに。
アタシと―――き、た……ら――――――――

そのまま前のめりに倒れてく。
自分のだからって、臓物にキスなんかしたくないと気ぃ張ってみたけど、やっぱダメだった…。

「しらけちゃった。バーサーカー。帰るよ」

遠くで少女の声。
次いで怪獣でも歩いてるような重音。

「シホ!シホ!ぁぁ…なんて、なんてことを!!あなたは――――――!」

ゆっくり仰向けにされ、僅かに目を開くとセイバーが悲痛な表情で訴えかけてる。
そっちだってズタボロのくせに、なぁ…もう…。

不意に慌しい足音。ホント、慌しい。

「ちょ…志保!!?―――っ、ひどい……。アーチャー、周囲を警戒ッ!もうっ、アンタいったいなにやってんのよ!!
 せっかく助けたわたしの好意を無にしようっての!?タコッ!」

ああ、うるさい……やつ。
……いかん、ほんとう、文句言う力も出せな…い。

日に三度も死に目に会うなんて…。アタシ、ジェームズ・ボンドも越えた…かも…。

くだらない思考を最後に意識が遠くなっていくのがわかった。



「!?この、魔力の奔流……これは、一体?」
「なにが………どうなってんの……?」

耳元でわめく声も、遠いものに……。


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