<Die Sicht ändert 衛宮士郎 und des Tages zuvor>

「ここに来てやっと五分…といったところか」

リビングに散らばっていた瓦礫をまとめ終えひとりごちる。

召喚されて最初の命令がこんな雑務とは、とんだマスターだ。

目の前には今しがた「創り」出した柱時計。
とはいえこれでは中味が空っぽのガラクタに等しい。
あの聡明であざといマスターのこと、時計として機能してないと看破するのに時間はかかるまい。

直すよりもこうして創り直す方が早いのだから困りものだ。
これでは生前魔術師をやっていた、などと…大々的に公言することも出来やしない。

…と、くれば、だ。
この瓦礫、破片はどうしたものか……。
柱、扉、壁面は真面目に修復したものの小物類にまで手を伸ばすのは流石に億劫なので投影に頼ることにしたが…。
………捨てるか…普通に。

指定のゴミ袋を探す。
適当な箱でも作って放り出しておいてもいいのだが彼女が見れば噛み付かれかねないからな。
はたと、あの少女の名前を聞いていないことに今ごろ気付いた。
他の者は知らぬがこういう事はきちんと線引きしておかないと気が済まない。
起床してきたら改めて契約を果たさんとな。

先に台所を探すとしよう。
リビングが元々どのような外観を持っていたか定かではないが、小奇麗にしてあった、ということは感じた。
で、あればゴミ袋といった日用品は得てして台所周辺に収められている家が多い。

「まったく……これでは家政夫ではないか」

足を踏み入れた台所も予想通り奇麗なものだ。
一人で使うにしても埃が見当たらないその場所は、彼女の徹底振りが窺える。
―――ふむ、綺麗好きではなく、徹底、というのは云い得て妙だ。

目的のものはさほど労せずに見つけられた。
ふと、壁に掛かったカレンダーに目が行く。
そういえば私は現在の状況を何一つマスターから聞かされていない。
現在の暦は何時なのか。
他のサーヴァントはどれだけ現界しているのか。

そして――――――今の私の唯ひとつの望み。
もしも条件が重なったとして、この土地は実は日本とは地球の裏側だ、などというオチなら目も当てられない。
落胆することには慣れっこになってしまってもカレンダーに目をやりながら、淡い期待を捨てきれない自分がいる。

「…20XX年……!20XX年だと!?」

その数字がカチリ、とパズルのように自分の情報と重なった。
色褪せるどころか煤けてしまった記憶の中で数少ない、忘れることを許さず刻み付けた情報。
見間違いでは…ない…。

「―――く――――くくく…」

柄にもなく笑いがこみ上げてくる。
それも仕方ないだろう?
絶望的な確率を突きつけられた上で、私はついに辿り着いたのだから。

――自分を、衛宮士郎を殺す、他ならぬ私の手で。

本当なら今すぐにでも探し出してケリを着けてしまいたい所だがそうもいくまい。
記憶も未だに定まってはおらず、今、飛び出しても衛宮士郎を探し出せるとは限らない
他のサーヴァントと遭遇してしまうケースも否めない。
ヘタに動いてマスターに余計な制約を乗せられるのも面倒だ。

なに。急く事はない。
こうして私は望むべく舞台に立った。
この不可思議な高揚に浸るのも悪くない。

今はマスターの要求を片付けながら記憶の整理をしておくとしよう。

◇ ◇ ◇

黄色い朝日を見るとどうにも不健康、という発想へリンクしてしまう。
英霊に眠る、という概念は通用しないので私には昼夜とは明るいか暗いか、それしかないわけだが。

片付け・修復を終えた自分への褒賞として一服を取る。
備えられた茶葉は、さして詳しくない私にとっても香りからして上等なものだと判る。
流石、魔術師殿等はどいつもこの手に関しては専心を崩さぬらしい。

……む、どうやらマスターのお目覚めか。
どれ、彼女の分も淹れておくとするしよう。
私だけが勝手に一服しているところを見れば難癖をつけられるのは明白。
注ぎ終える頃にギィ、と扉が開く。
ふふん、さぞや驚け。

「――――――うそ……」

期待通り、彼女の記憶と遜色なく修復されたであろうリビングの様相に驚きを示す。
私もそこそこ労力を要したのだ。その位の反応を見せてもらわなければ面白くない。

「にしても、随分と悠長な起床だな。本調子ではないとして…些か弛み気味では?」
「―――って!アンタ、何勝手に人ン家のティーセット引っ張り出してんのよ?」
「心配せずとも淹れたてだが?」
「そんなの関係ないでしょうが。わたしは――」
「朝から気忙しい事だ。ひとまず腰を落ち着けてはどうかね?マスター」

ずい、と差し出したカップを見つめ、彼女は一瞬こちらに憮然とした瞳を投げるが直ぐに溜め息一つで席に着く。
どうやら本調子でない、というのはハズレではなさそうだな。

上品な仕草で紅茶に少しばかり口をつけると、さも意外そうに目を見開く。
それも束の間。直ぐに目を閉じ、ゆっくりと残りを呷っていった。
どうやら…お気に召すだけのものには到ったようだ。

「…何よ?その満足気な笑いは」
「いやなに、その様子を見る限り感想は聞くまでないか、とな」
「……!…お生憎。わたしは家政夫が欲しいわけでも茶坊主が欲しいわけでもないわ」

遠回し過ぎた発言が気に喰わなかったのか態度を反転……というより調子が戻ってきたと言うべきか。
だが家政夫とは…そう仕向けただけの自覚はあったのだな。

「で?あなたの記憶はハッキリしてきたの?」

む、きたか。
この一晩それを手探るように思い起こしてみたがそのどれもが未だ曖昧なままだ。
さながら曇りガラスのさらに手前に擦りガラスでも置かれたような感覚。
ただ目の前の少女を私は知っている。それもやけにはっきりと。
それに彼女が最も知りたがっているであろう私の真名。
「衛宮士郎」という名前と彼女の繋がりが定からぬ今、安易に答えてしまうのはよろしくない。
いずれにしても記憶の戻り具合の如何によらず、彼女には黙っておくべきだ。

「いや、相変わらずだな」
「…そう…いいわ。その件は追々考えるとしましょ。アーチャー、出掛けるから支度して」
「支度、とは?私はこの身ひとつで外出には十分だが?」
「何言ってんのよ。そんな格好で街中歩けるわけないでしょうが」

他のマスターにアピールするようなものじゃない――と、言わんとすることは解る。…が。

「ああ、その心配はない。君も知っての通り、私達サーヴァントは霊体だ。
 受肉してるのはマスターの魔力があってこそ。つまり―――」
「あ……そっか。わたしからの魔力供給をカットすれば霊体に戻る、と」
「然り。マスターにしかその繋がりを感じ取ることは出来ない。会話位なら問題なく出来るから心配は無用だ」

「うう〜ん。便利極まりない話だけど…それって他のマスターを探すのも至難じゃない」
「さもありなん。だからこそ君のような優秀なマスターが有利だと言う事だ」

知覚はお手の物だろう?と続けるとマスターは誉められたのが判ってか満更でもなさそうだ。

「その理屈はサーヴァントに対しても然り、だ。優れた者なら数里隔てても存在を感知し得るだろう」

キャスターのような、な。
幾度も呼び出されてきたがキャスターには毎度手を焼かされる。そういった記憶はかなり鮮明だ。
どの英霊も小狡賢い輩ばかりだったからな。

……………………………………………………私がキャスターとして召喚される事などなかったのもまた事実だ。

「な、なるほどね。ならアーチャー、貴方は分かるの?他のサーヴァントの気配」
「マスター。君は私のクラスを忘れたか?騎士上がりにそのような芸当出来るものか」

痛い。これは痛いぞ。
言っててかなり情けなくなってくる。
「魔術使い」としての自分の力への信は絶対だが「魔術師」としての力量は目に余る。

「ともかく視察の名目として街を案内するわ。それで敵が一人でも見つけられれば御の字だし」
「待った。マスター、出て行く前に大事なことを忘れてやしないか?」
「え…それって……」
「契約は完了しきっていないのだぞ。私は君をなんと呼べばいい」
「は?――――――あ……」

思い当たったように、それでも且つ「何故?」という風な表情を浮かべる。
まぁこの反応は目新しいものではない。
聖杯戦争、サーヴァントシステムに基づく契約とはある種、主従関係と同義だ。悪く言えば英霊とは狗とも言える。
かつての名乗りを後回しにしていたマスター達も皆彼女と同様の反応を見せた。
中には真摯な態度を取った事が悔やまれるほどの下衆に引き当てられたこともあったが…。
だがこれは変えようの無い私の生き方…いや、在り方。
英霊としての自分に異を唱えながらも己のマスターを勝利に導くための儀。

逡巡。
ふんっ、とそっぽを向きながらも彼女の口から其の名が紡がれる。

「遠坂凛。好きなように呼びなさい」
「遠坂…凛」

―――トオサカリン……とおさか……遠坂…。

…この響きには憶えがある。
ならば……しかし……この少女は……。

「それでは凛と。……ああ、この響きは実に君に似合っている」

これは本音。生まれて初めて(・・・・・・・)面と向かって彼女の名を呼んだのだから新鮮なのは当然。
同時にそれは―――俺が彼女を遠坂と呼んでやれない衛宮士郎の嘘でもある。

「――――――――」
「どうかしたか?体調が優れんというなら養生を勧めるが」
「ち、違うわよ!全然問題ないから行くわよっ。ちゃんと付いて来なさいよね」

ドン、と必要以上の力を以ってして扉を開け放ち出て行く。
私も苦笑混じりにそれに続いた。

◇ ◇ ◇

凛の先導のもと歩く街並はそう驚くに値する眺めではない。
ただ…どの風景にも微妙に懐かしさがある。
記憶の基盤がこの時代なのだから見覚えがあって当然なのだが……。

日常の分岐となる交差点。
住宅地と都心とを繋ぐ橋。
墓場のように乱立するビル群。

いずれもが、年月を重ねる毎に固く溶接されていった、
ヒトであった頃の衛宮士郎の記憶の小箱から漏れる映像と重なる。
その郷愁に触れる度、小箱の蓋が僅かずつにも開いていくのを感じる。
全くもって皮肉だ。想い出は今や私一人では紐解けないというのに戦闘に関する知識の引出しばかりが増えていく。

―――それも今回で終わらせてやりたいところだ。

そして、導かれた先。
まるで其処だけが切り抜かれたような雰囲気を纏う野原。

「ここが新都の中心。これでも公園なんだけど……此処までで何か気付いたことは?」
「あれだけ建築物が密集してるというのに此処は随分と土地を持て余しているのだな。
 その割に公園と呼ぶにはその機能を果たしているとは思えん有様だ」

霊体である私の肌にもピリピリと言い知れぬ不快感が押し寄せてくる。
生理的嫌悪?違うな。
「私」という存在がこの地を拒んでいる。

「それもそのはず。此処って10年前、凄い火事で生存者も殆どいなかったらしいわ。以来この土地は放置されっぱなしってわけ」
「――――――」

成る程、道理でな……。
この土地は衛宮士郎(わたし)の始まりの地だったか。
いやはや、教えられるまで気付けなかったとは…。
そして此処はもうひとつの結果を含んでいる。

「解る?ここは前回の聖杯戦争決戦の場所。その時何があってこうなったかは……まぁ想像に難くないわね」
「ふむ、この怨念めいた禍々しさもその為だろう」
「へえ、蛇の道は蛇…ってとこかしら?」
「身も蓋も無い言い方だが間違いではないな」

「――――――しっ、黙って!……見られてる…?アーチャー、貴方何か感じない?」

突然左手を押さえると、慌てず、しかし迅速に魔術師として「構え」の態勢に入る。

「いや、視線すら拾えない」
「ってことは……相手はマスターね」
「―――の、ようだな。君の知覚も及ばないか?」
「やってる、けど―――――――――――ああっ……逃げられた」

ふう、と息を吐き、その強張った肩を落とす。

「油断が過ぎたか?こうも早く遭遇するとはな」
「そうね。でも、いっそあちらさんから攻めてくれるなら手間が省けたんだけどなぁ」
「―――く、そうかそうか君らしい。実に、な」
「なによ。自信過剰だ、とでも言いたいワケ?」
「いや好戦的で何よりだ。実際頼もしいマスターだよ、君は。
 君の言う通り、小物に対してはデンと構えているほうが好都合だろうよ。精々振り回してやればいい。
 令呪だけの反応なら存外、相手は凛の知り合いということも有り得るがね」

ここで軽くカマを掛けてみる。
現時点まで行動を共にして凛が魔術師としての心構えを持ち合わせているのは良く分かった。
…が、彼女もこの年齢(とし)だ。
聖杯戦争が日常を侵食する範囲まで届けば、私が見止め切れていない甘さが命取りにも為りかねない。
例えば、よく知る人間がマスターだったら……凛はその人間を殺すだけの覚悟があるか?
口に出し聞けば彼女はさも当たり前のように「できる」と応えるだろう。それこそが危うい、という事なのだ。

「それはないでしょう。貴方を呼び出す日までわたしはおよそ知り得る人間の調査は行なったもの」
「今は良いが……憶測は思考を狭めるぞ。例外というものは起こるべくして起こる。気を付ける事だ」
「わ、わかってるわよ」

◇ ◇ ◇

日も暮れてきた。
一体凛はどれだけ私を連れまわせば気が済むのだ。

「う〜ん…ここいらで腹ごしらえしとこうかな…。アーチャー、貴方たちって食べなくてもいいのよね?」

始めから食べないこと前提で押してきたか……。
イエスと応えても食べさせる気は無いな?

「食物を摂るというのは推奨すべき事項ではあるが英霊にとって必須という程のものではない」
「よかった、最近資金繰りが厳しいのよね」
「あんな屋敷に住んでいるのにか?」
「だからこそ、よ。わたし一人しか住んでないわけだから維持費もバカにならないし。
 それ以上にわたしの魔術特性で出費が嵩んでるのよね」
「そういえば聞いていなかった。凛の魔術は攻・防、どちらに秀でているのだ?」
「一概にどっちって括ることは出来ないわ。ちなみに特性は流動・変換。
 そう……ね、対サーヴァント戦なら防御、支援向けかな。敵マスターに対してならガンドでそこそこ対処できると思う。
 悩みの種はここからで、魔力の流動で暇さえあれば媒体に魔力を貯蔵してるんだけど、その媒体ってのが宝石なの。
 おまけに溜め込んだ魔力を開放したら宝石は、その要素、属性に準じてるから蒸発して跡形も無くなっちゃうし」
「なんとも難儀な話だ」
「わたしの先祖、どうしてこんな特性を選んじゃったんだろ。得手不得手も刻印次第でどうにでも出来そうなのに…。
 でもま、魔力の供給には自信あるからアーチャーの宝具が街を吹き飛ばすようなものじゃない限り戦闘継続は充分見越せるわ」

街を吹き飛ばす、か。あながちハズレとは言えない。
そんな破壊力を持つ宝具といえば……

「―――――――――アルトリア………」

呟きは凛に届くことは無かった。
何故真っ先に思い出せなかったのか。あんなにも大事な記憶を。
本当に情けない。思い出すきっかけが自信の記憶ではなく戦闘知識からの連想だった、などと。

考えてみればそうだ。
セイバーたる彼女が衛宮士郎を守護する限り彼女と戦う事になるのは必定。

―――できるか?俺に。セイバーを殺す気で立ち向かうことが。

わからない。
今は答えが出せない。

頭がやや混乱気味だ。
セイバーのことを思い出した反動か、今まで頑なであった想い出の小箱が勢いよく開いたように情報が流れ込んでくる。
その中で、この先必要なもの吟味するには些か時間が必要なようだ。

「―――ああ!?」

そこで凛が突然素っ頓狂な声を上げる。

「どうしたというのかね、往来の只中だというのに」
「あーいやー、ちょっと…いえ……かなり珍しいものを見たんで―――――く…くくく」

やがて耐え切れない、といった風に笑いが漏れ出す。
彼女の視線の先には……なんともコメントのし辛い名前の料理店が建っている。
どうやら彼女はその店で働いている一人の髪の長い給仕を見ているようだ。
エプロンのような制服を着込み忙しなく店内を駆けずり回る、その娘の顔には隠しているように見えるが不満が零れている。
盛況ぶりからてんてこまいなのだろう。

「あの娘がどうかしたのか、凛?」
「あっ…うん。学校の友人よ。普段あんな格好で人前に出るようなコじゃないだけどねぇ。
 くく…意外なとこでからかうネタが得られたわ」

くしし、と口元に手を添え邪悪な笑みを表す凛を見ていると、あの娘が少しばかり哀れに思われた。

◇ ◇ ◇

二度目の夜。
私は朝が訪れる間ずっと記憶の検索、整理に精を出していた。

その中でも、この聖杯戦争に関する記憶に関しては殆ど思い起こすことは出来なかった。
無理も無い。焦げたフィルムを修復できるわけが無いのだ。
記憶に強烈に残っているのはバーサーカー位のものか。
だが、これも如何に対処するかというところまでは至らない。
どうにも恐怖心が優先的に植え付けられた印象しか残ってないようだ。

まぁ…先の事が知れたとこでロクな結果にはならないだろう。
多元宇宙という概念を持ち合わせていると、たかだかひとつの事象を知り得ただけでは何の役にも立ちはしない。

思い出せたのは私が人間であった頃の日常を彩る人物のことばかり。
とぼけながらも保護者として側に居てくれた姉。
悪友として私を振り回し、理の外の師として私を鍛えてくれた少女。
私を慕い安息の象徴となってくれた少女。
年端もいかない外見で早くに逝ってしまった少女。

そして……私の生き方を決定付けた父。
彼に対しての敬愛の念は今でも変わることは無い。が、ずっと後悔のし通しだ。憧れるべきではなかった、と。
所詮私は………どこまでいっても偽者なのだ。

―――朝が来る。
この一帯は不気味なほど静かで、雀の囀りが実によく通る。

時計が示すところ、7時。
どうやら凛は朝に著しく弱いようだ。
上の方から聞こえるけたたましいベルの音は直ぐに止み、気配が動くのが分かる。
寝起きが悪い、という事でもないらしい。単に身体のつくりがそぐわんのだろう。

凛の動向に合わせ紅茶の支度に入る。
まったく…昨日の朝は茶坊主はいらないと言ったくせに、その晩になってまた用意しろ、とはよく嘯けるものだ。
正直、その神経の図太さには敬服する。

リビングに降りてきた彼女の服は昨日のものとうって変わり、地味というか、量産的なものだった。

「凛。その服は…」
「え?見て判らない?制服よ制服、学校の」
「違う、私が言いたいのは何故それを着ているか、だ」
「わざわざ制服着て学校に行く以外何しようっていうのよ」

何を言ってるのかこの弓兵は、と気を紅茶に移し、さも淹れて貰っているのが当然のように飲乾す。
昨日と変わり朝から舌が回るのは結構だが釈然としない。

「既に聖杯戦争は始まっているのだぞ。それを君は…マスターとしての自覚があるのか」
「全くもって承知の上よ。わたしだって一個の人間で、学生なんだから。今までのスタンスをそうそう変えることなんてしないわよ。
 わたしは魔術師、敵も魔術師。学校なんて大っぴらな場所でやり合おうなんていう奴がいるならとんでもない常識外れね」
「君と言う奴は……」

自信たっぷりなのは喜ばしいがその狭義的な考えが危険だとは思わないのだろうか。
もし、学び舎の者が人質になった時は?
……ふぅ、今は言うまい。この少女は非を何時までも非とする人間ではない。
あれこれ突くのは止めておくか。

「了解だ。だが警護無しで行くとは言うまいな?私を残して襲われでもしたら目も当てられん」
「無論、貴方には側に居てもらうわよ。わかったなら準備するわよ?」
「その前にひとつ。君のことだ、足場は固めているとは思うが確認しておく。学舎に不安要素は無いのだな?」

あえて曖昧に「不安要素」と提ずる。
0%と100%の要素より、そういった類の事柄にこそ注意を払うべきだ。
凛が問題ないと判断している事でも視野に入れておく。それが私なりに積んできた「経験」だ。例えそれが徒労に終わろうと、な。

「ええ、無いですとも。これでもオーナーなんだから学校に関わりのある魔術師は把握してる。令呪の有無も確認済みよ」
「つまり、魔術師はいるのだな?」
「ま、ね。でもシロよ。魔術師の家系の後継はいるけど本人にその魔力(ちから)はゼロ。もう一人は全く(ズブ)の素人。
 ほら、わたしの敵になる奴なんて絶対にいないんだから」
「私としては「絶対」という言葉には賛同しかねる」
「なによ、やけにつっかかるじゃない。まるで科学者みたいな言い分ね」
「なに、要はいざという時、私に当り散らされてはかなわんからな」
「お生憎。わたしはリアリストなんだからifの話は望外なの。「もし」が現実になるならその時はその時。
 逆らうのがバカバカしくなるくらい叩きのめしてやるわ」
「君らしいな。なら、そろそろいい時間だ。行こうか、凛」

◇ ◇ ◇

彼女の学舎に足を踏み入れた途端、強烈な違和感。
いやはや、ここまで粗雑に気配を感知させるとは…仕掛けた輩はロクなものじゃないな。

「あ〜…昨日の今日よ?何でこんなことに……」
「それ見たことか。ifへの考慮も大事な要素、ということだ」
「はいはい、わたしの負け…って、そんなことよりコレ、どこまで進んでると思う?」

どこまで、というのは違和感がある以上なんらかの仕掛けが組まれているのは明らかだ。
敵が凛の存在を感知しているのならここまで大っぴらな真似は出来ない筈。

「半日程度でこの場所を覆い尽くすほどの代物だ。まだ結界としての効果は薄いだろうが―――」
「予断は禁物、そう言いたいんでしょ。こんなあからさまな遣り方をする奴……よっぽどの自信家か馬鹿か、よ」
「両方、ということもありえるぞ。で、君はどうする」

茶化すような意見の後に本題を投げかける。
尤も彼女の意向は目に見えているが。

「当然。潰してやるわ。結界毎ね。わたしのテリトリーでそんな勝手なマネ許すはずが無いじゃない」

至極予想通り。
凛にしてみればこれは売られた喧嘩だ。買わないわけが無い。

私は見晴らしの良い場所で待機しておこう。
生前知り合った者と出くわすのも気まずい。
それに……英霊になった後で授業に出るというのも、アレだしな。

◇ ◇ ◇

日も暮れ、校舎内の人間もまばらになる頃、待っていたように凛が席を立つ。

「始めるわよアーチャー。消すか残すか、見てから決めるとしましょう」

無言で先を促す。
学舎のほぼ全域を覆い尽くすほどの結界だ。
線を結ぶ為の点の置き所は自然、限られてくる。あとは目星をつけた場所を虱潰しに調べるだけ。

しかし…敵の目論見は何だ?
魔術師に容易く感知でき、且つ一帯を丸ごと包囲する結界。
聖杯戦争に参加する魔術師がこのような形の方法で倒せるとは思っていまい。かといって凛を牽制する為だとしても余りにも稚拙。
発想を変えれば敵の目的が凛では無いことは明らか。
ならば、本当の目的は……人、か。

「多分最後。ここが起点でしょうね」
「それで、解呪は可能か?」
「……だめ…。わたしの手に余るわ。施した奴は馬鹿かもしれないけど力は折り紙付きね」

忌憚のない意見から言っても凛の魔術師としての才は確かなものだ。
その彼女が解けないと言うほどの技術で編まれた、ということは……宝具の類だろう。

「それに……この結界がもつ力は…」

凛にも解っているようだ。
この結界がどれだけの命を貪る代物かを。

―――気に喰わん。
これは純然たる殺し合いだ。
コレを仕掛けた、ないしは、嗾けた輩は実に合理的だ。勝利への奇麗事は無用。死者に口無し。
だが―――出来んな、私には。

「アーチャー。これが……戦争ってことなワケ?」

その声には押し隠そうともしない不満が込められている。

「そうだな。奇麗事で勝てるほどこの闘争いは人に対し優しくない。
 極一握りのエゴで幾多の人間が、言葉通り「食い物」にされる。それが戦争というものだよ、凛」

「―――それ、癪に障るわ。二度と口にしないでアーチャー」

一層、さも不快だ、といわんばかりに言い放つ。

―――よかった。彼女は思った通りの……想い出の通りの遠坂だ。
それでこそ私は彼女の騎士として応えることが出来る。

「同感だ。私も真似をするつもりはない」
「よしっ。とりあえずコレ取っ払っちゃおう。時間稼ぎになるかどうかも微妙だけど」

凛がいくつかの工程を踏んで陣に干渉を掛けていく。
彼女の魔力に伴い、結界の魔力が霧散しようというとき、

「なんだよ。消しちまうのか、もったいねぇ」

全てを台無しにするタイミングで第三者の声。
声を辿れば正直に、その男は佇んでいた。
私達よりも高い場所から見下ろすように。

私としたことが!
相手がサーヴァントとはいえ此処まで接近を許していたとは……なんたる不覚。

「偶然…とは思えないわ。これ、貴方がやったの?」
「知らねぇなあ、そんな小細工の事は。俺はどっちかといやぁコッチが専門なんでね」

瞬く間に現れた真紅の槍。ランサーか。

―――ええい!凛は何をしている。
早く私への魔力供給を行なわないと対処できないではないか。
敵との距離は約10メートル。だが英霊、ましてや槍兵相手には何の意味も持たない距離だ。

「凛!!」
「―――――!!っっ!」

発した声に圧されるように地を転がる。

「凛、まだだ!」

一撃避けられただけでも御の字だが、今のままでは私を現界させる隙が無い。

「わかってる!」

それは彼女にも理解っている事。
迷わずフェンスの方に走り、

「Es ist gros,Es ist klein……っふ!」

最短の詠唱で質量調整、高さ2メートルはある鉄柵を悠々跳び越える。
物理法則でいえば質量のかさを増した凛の方が早く着地するものだが、ランサーは建物の一階毎にあるへりを蹴り爆発的な加速で追う。
着地の衝撃を私が相殺し、凛は校庭へ。

「大した健脚ぶりだ。散らすにゃ、ちと惜しいが…」

追いつかれはしたが此処まで届けば充分だ。

「アーチャー!」

この局面にきて初めて喚び出される。正直待ちかねたぞ、マスター。

現界。
手に握るは陰陽をなす双剣、その片割れ。

こちらが戦闘の意思を見せたのが嬉しいのかランサーは喉の奥で笑う。

「いいねぇ……。そういう連中は好きだぜ、わかりやすくてな」
「……」

風切り音。
先程まで「持っている」だけであった長モノは「構え」られ、凶器に摩り替わる。

「やり……ランサー…」
「わっかりやすいだろう?かく言うそちらさんはセイバー……じゃねえな。大物って感じじゃないぜ」

目に見えて目つきが鋭くなり、隠そうとも、押し留めようともしない殺気が肌を刺す。
私はそれに応えはしない。
私は待っているからだ。

「けっ、まともな()り方でいく様にゃ見えん。ライダー、いやアーチャーか。いずれでもよし。
 オラ、そんなチンケな得物じゃなくて得意分野(とっておき)で来いよ、大将」
「……」

私は待っている。
マスターの、号令を。

今までも繰り返してきた儀。
それは独り善がりな戒律かもしれん。自己満足と蔑む者もいるだろう。
しかし、これが英霊エミヤなりの戦いへの臨み方だ。
喚び出されたからには従おう、マスターを勝利に導こう。だが……。
号令(トリガー)を弾くのはマスターだ。さすれば私は其の者の剣となり、盾となろう。

「アーチャー」
「……」
「いけるわね。貴方の力をみせなさい、アーチャー」
「―――ク」

言われずとも!

まったくもって因果なことだな。
自分を死なせる為に命がけの時間稼ぎをする事になろうとは!

駆ける。血生臭い闘争の舞台へ。
いまをして私の幾度目かの戦争が始まる―――


back      next

Top