「ふぅ…ったく踏んだり蹴ったりな一日だった」

湯船に全身つかり、憑き物を吐き出すように呟く。
ただの風呂なのに「極楽ー」などと言ってしまいそうなくらいの安息がここにあった。
しかし事実、この一日は呟いた一言に尽きる。
日付が変わると同時に人外魔境の世界に踏み込み、死にかけ、先程まで居候(セイバー)に関してぎゃあぎゃあ騒ぎ立てていたところ。

教師として、いや、人として風上にも置けない真似までして敗北した藤ねえを諌め、
屋敷の外で際限なく沈んでいきそうな桜を介抱し、
夕食の買出しに行くと言えばセイバーがついて来て、
それを聞いた桜が同行する、と言ったのはいいが道中ベッタリと執拗に身体をアタシに預けてくるし、
夕食時、皆で食卓を囲んで、そこで初めてまともな会話が成立したのだった。

二人ともセイバーがウチに留まることには渋々ながら従ったけど、いつのまにか話の焦点は昨夜のアタシとセイバーのことにシフトしてた。
アタシが集中砲火を受ける間、中心人物のはずのもう一人は僅かながらに顔を綻ばせながら食う事に専心していやがった。
おまけにアタシを消耗させた二人は「今日は泊まる」などと言い出す始末。
反対こそしないが、その理由を鑑みれば頭も痛くなろうというもの。
とどのつまり「納得できてない」ってこった。

最後にもう一度大きなため息をつき、この安らかなひと時に少しばかりの名残惜しさを感じつつ風呂から上がる。
さすがに今日は疲れた。鍛錬は無しにして寝てしまおう。
というわけで下着の上に昼間引っ張り出した切嗣のYシャツを着込み脱衣所を後にする。
鍛錬時は寝こけることも考慮して外着かツナギを着るが、ちゃんと布団で寝るときは厚着をしない主義なのだ。
ひとしきり髪を拭いて、後ろへ束ねながら向かう先は居間。セイバーを呼びに。
それもこれも、アタシの去ぬ間に、いつの間にか締結された「風呂において男は最後に入るべし」という取り決めの為。
まったく二人して何故にそー神経質なのか、理解に苦しむぞ。

「あがったぞ〜。セイバー、風呂。入ってこいよ」

居間では三人してテレビを眺めている最中であった。ひとり寝転がる藤ねえのまただらしない事といったらもう…。
こちらを振り返った矢先「げっ!」という顔で迎えられた。なぜかセイバーまでも。

「こ、このっおバカ!!あんたなんてカッコしてんのよ!」

一番コタツから抜け出しにくい体勢だというのに、いのいちばんに藤ねえが飛び出しアタシの頭をスパーンとはたく。

「ぃっつぁ〜〜何しやがるんだ!いきなり!」
「それはこっちのセリフだわよ。鈍い鈍いと言い続けてきたけど…あんた女としての自覚あるの?
 も〜きりつぐさぁーん…志保にどんな教育してきたのよ〜」
「半分は藤ねえの教育の結果じゃねえか」
「だまらっしゃい!桜ちゃんも!なんか言ってやってよぅ」

「フー、フー、フー…なまあし……お姉さまの…(ゴクッ)なまあし…」

…………桜…よだれ…。

「さ、さくらちゃん……?」
「え…ハッ!?な、なんでしょうか?」
「いえ…もう…いいの。―――コラっ、セイバーくんはこっち向かない!」

らしくなく慌てた様子でセイバーがあさっての方に振り向く。とりあえず…くん付けする位の歩みよりは済んでたんだな。

「し、失礼を。シホ、私もタイガの意見に賛成です。貴女はあらゆる意味で危機感といったものが不足しています!」

咳払いひとつ、でも上擦った声で、そう非難してくる。なんだかなぁ…。

「へいへい。どーせアタシャがさつ者でござーすよ。この格好がよろしくないってんなら、今日は早いとこ寝させてもらうよ」

ホント、お疲れだからな。
ひらひらと手を振りながらターンして自分の部屋へ向かう。

「おねえさまぁ……はぅぅん…」

………………無視だ。無視。

妖しげな独り言に少しばかり背筋が冷える思いでそそくさと自室に入る。
なんだかんだで…ようやっと自分だけの空間に戻ってきた気がするなあ。

「……」
「……」

「セイバーさんよ」
「はい?」
「何故に此処にいんのかなお前は?」
「マスターを護衛するのは当然の務めです」

あ、そう…。

護ってくれるのはありがたいし反対はしない。それに、このまま何か物申したりすれば最後に折れるのはアタシの方なんだから。
昼、起きてから畳んでおいただけの布団を敷いたんだけども…
ちらりとセイバーの方を窺ってみる。

「気になって眠れないと言うなら、ご心配なく。私は隅のほうで眠ります」
「その…座ってか?」
「ええ。ここの結界は優れていますが、いざという時の行動は迅速にできなくては」

軽く溜息。いったい今日だけで何度出ただろう?
アタシは無言で押入れにある予備の布団を取り出した。

「シホ?」
「ほれ。寝る時はちゃんと横になって眠るもんだ。ベッドじゃなくて残念だろうけど」
「いけません……先程言ったばかりではないですか。私は責務として床を同じくしていますが、これとそれとは別問題です。
 女子たるもの常に保身の心と羞恥がなくては。タイガが心配しますよ?」
「ああもううっさい。いいっての、そんなことは」

「よろしくない!!」

シャァっと勢いよく襖が開け放たれる。
ご存知藤ねえが「現場(ネタ)をつかんだ!」とばかりにずかずか侵入してきた。

「志保に続いてセイバーくんがどっか行ったと思えばこの始末。お姉ちゃん悲しくて涙が出るわ!」
「〜〜〜。頼むから安らかな睡眠を与えてくれないもんかね。…セぇ〜イバ〜、せつめー」

ここは紳士に正当性を説いてもらおうじゃない。
―――ってのは建前でこれ以上藤ねえ達の相手をするのはメンドイんで、後はお任せ。

「ハイ、志保の護衛を」

短いよ。
説明短いよセイバー。

「はいそーですか、なんて引き下がるわけ無いでしょ!大体にして志保がそんな『いつでもOK』みたいなカッコしてるからいけないのよ!」

ついにアタシが被疑者かい。
考えようによっちゃ最低の発想だな。

「ほら、お客さん用の客室があるんだからそっちで寝た方がいいじゃない」
「それでは切嗣との約束を違える事になります。私には志保を護る責務があるのです」
「そー言われても…」

うまいなセイバー。あらかじめ口裏合わせた情報から見事に話を発展させてる。
さしもの藤ねえも切嗣の名前を出されては軽々しくダメ出しすることは出来ない。
それから暫しの間、唸り続けると弾んだ声を上げる。

「だったら!あたしもここで寝るー!」
「勘弁してくれよ…。藤ねえと一緒に寝たら一睡もできゃしない」

藤ねえの寝相の悪さは一級品だ。
どうして頭の位置が寝入った時と逆になったりするんだよ。
布団抜け出して手洗いの前やらコタツの中で夜を過ごす、なんて光景が当然のように見ることが出来てしまうんだから。
もし夜通し藤ねえの寝相を映像に収めようものなら、それだけで一つのドラマが完成するやもしれん。

「い〜じゃな〜い。久しぶりにお姉ちゃんが温めてあげちゃうわよー?」
「そのままサバ折りに移行しそうだぞ、ったく。それに、久しぶりも何もアタシ藤ねえと一緒に布団に入ったことなんてない」
「ならば、今がその時だ!」

いかん。引く気ゼロだぞこりゃ。

「セイバぁ…お前はどうなんだよ?」
「構いません。最悪二人をいっぺんに護らなければいけない事態も想定できますが先程のタイガの動きを見る限り、
 もしもの時でも迅速に逃げ果せてくれるでしょう」
「え?なに?守るってゆーヤツ、マジだったの?切嗣さんも過保護なナイトさんとお知り合いになったものね」
「恩義に報いるのが騎士道ですから」

柔らかな表情で語る。
藤ねえは、そんな本気だか冗談だかわからない返事が面白かったのか、クスクスと笑みがこぼれた。
アタシとしてもセイバーが―――例え中てられるのが藤ねえの毒気だとしても―――微笑むことに悪い気はしない。

「話が決まったんならさ。もう寝ちまおう。今日ばっかりは羽毛が恋しいよ」
「ハイハイせっかちさん。あ、言っとくけどセイバーくんと志保の間はあたしだからね。距離も離すこと」
「出来るなら藤ねえだけ端っこで寝てくれれば言うこと無しなんだけど?」
「なーんかワクワクする〜。枕投げでもしよっか」
「さも当然のようにスルーすんな」

修学旅行気分の藤ねえは自分で布団を敷く気はさらさら無い御様子で。
仕方なくアタシが客間から持ってきた布団を川の字に並べ、いざ白い海原に倒れこもうかって時に―――

「お姉さま!?なんで布団が三つも?それに……セイバー、さんまで?」

忘れてましたよコリャコリャ。

「せんせえズルいです〜。これってどういうことですかあ!?」

―――で、わんもあ・りぴーと。
畜生。



案の定というか。まともな就寝状況になるハズがなかった。
細かに説明するのも憚られる。
言ってみれば、ピンチがにじり寄る危機の桜で藤ねえが前転途中の器用なガンジスの流れで敢闘賞はセイバーだった。

…これで理解るか?

「おお!このような食事が朝餉として賄われるとは…シホ、本当によろしいのですか?」
「あーいいっていいって。さっさと食ってしまえ」

セイバーは朝食だ、と伝えてからゴキゲンだった。
並べられた料理…といっても朝はそこそこ質素ではあるんだけど、それを前にしたハイテンションぶりといったらない。
今の「よろしいのですか?」だって目は「喰わせろ!」と訴えかけていた。
なんかもう…涙を誘うぐらいそのサマが健気で…食い終わった後も、

「おかわり……よろしいですか…?」

捨てられた子犬ような、金融機関のCMの犬のような目で聞いてくるものだから…。
たはは…と苦笑半分でアタシはお椀を受け取るのだった。

朝食も済み、朝練のため早出する桜を見送った後、

「セイバーは留守番頼むわ」

食器を洗いながら、いまだポヤポヤなセイバーに声をかけると、

「シホは一人で外出する、と言うのですか?」

途端にキリッと表情を引き締める。
なんてーか…大物になれるよオマエ。
あ、いや、大物だから英雄なの…か?

「ストップ。みなまで言うなって。また『マスターとしての自覚が〜』とか言い出すんだろ?」

出鼻を挫かれたからか、アタシの態度が面白くないのか、僅かにフキゲン色で頷き返す。
アタシは続けようとした話を制止させ手でセイバーを誘導した。
話が届く相手が藤ねえのみとはいえ、聞かせるわけにはいかない。

「あのなセイバー。確かに一昨日あんだけヘビィな目に遭って単独行動ってのは危機感がないって言われるかもしんないけどさ。
 アタシは学生なワケ。んで、この時期学生としてひっっじょ〜に大事な時期なんだ」
「それが命より重たいことだとは思えないのですが?」
「いやぁまったくの正論だけどさ、リスクなしに人生って成り立たないと思わないか?」
「少なくとも、回避できる因子をリスクとは呼びません」
「だから!今しのげても将来に響くっつってるんだよ」
「仮に外出を認めたとして、何故私の同行が認められないのですか?行き先の学び舎とは昨日行った建物でしょう?
 どうして昨日はよくて今日が駄目なのですか」
「昨日は休日で、今日が平ぇ日だ・か・ら・だ!おいそれと部外者が歩き回って、いらん人目つきたくはないだろう?
 それにさ、セイバーは霊体化…だっけ?それ、できないんだろ?」
「ぐっ…それもこれも、シホが不安定な状態で私を喚び出すから…」
「そんなんアタシに当たられても困る。それともなにか?変装でもして潜り込むか?清掃員とか」
「これ以上珍妙な扮装を施す羽目にあうのは御免です…ですが!それもこれもマスターの為ではありませんか」
「嫌なら嫌って言えっての。無理強いなんてしないから」
「しかしリンも其処に行くのでしょう?最悪アーチャーと挟撃されることも…」
「ない。断言してやるよ」
「バカな!彼女はいわばエリートですよ?手心など加えるはずが…」
「それが……遠坂なんだよ。でもアタシだってやられたら本気で抵抗くらいするぞ?逃げる位は、やってみせるさ」
「本当に頑固な人だ…。あなたは」
「言っとくけど、ついて来るなって言ってるわけじゃないぞ。でも目立つわけにはいかない、だろ?」
「その態度からして既に否定的なのです。……ふぅ、わかりました。言付通り、私は留守を預かります。
 もしもの時は令呪を行使してでも私を喚び出してください」
「これってそういうのもアリなのか…」
「あ、シホ。行く前にその左手は布で覆うなりして隠してください。魔術回路と違い本人の意思で隠すことは出来ないのですから」
「了解」

「じゃ、行ってくる。藤ねえも遅れんなよ」

寝そべってテレビを眺める藤ねえは「あ〜い」と手を振って答える。
見送りに出たセイバーも「くれぐれもお気をつけて」なんて言うんで、軽く手を上げ答えてやり、家を後にした。



「…………すぅ………すぅ………すぅ…」

静かに、けど深く呼吸を整える。
その間も周囲の警戒は怠らない。いかなる物音も逃すまいと自分の聴覚を広げるイメージをもたす。
最初に教室に逃げ込んだのは失策だったことを踏まえ、階段付近に陣取ったがそれも上手くいくか…。

セイバーの危惧は見事に当たった。つーか遠坂に言わせればアタシが規格外のアホだというだけらしいが…。納得いかんぞ。
今のアタシはハンターに追いたてられる一匹の小動物。ハンターはもちろん遠坂だ。
遠目にも嬉しそうに妖しげな光弾を撃ちまくるサマは、はっきりと網膜に焼き付いている。
あいつ絶対楽しんでる。
かといってアタシもおいしく料理されるわけにはいかないワケで。
椅子やら机やらを強化して盾に使いはしたが、所詮は俄強化。遠坂の攻撃数発も保ちゃしない。
もっとも、アタシのそういった、ささやかな反抗が気に食わないのか、遠坂は今現在かなり盛り上がってる御様子だ。
初めは「しばらく寝込むぐらいだ」とか言ってたが、あの形相は殺る気だ。間違いない。
夕暮れから開戦した一方的なハンティングだが夜の帳はとうに下りている。
でも人気がないとはいえ誰も気付かないのか?派手な音がひっきりなしだってのに。

そう長い時間でもない気はするけど、こうして止まっていなければ、この状況に陥った原因も忘れてしまう程だ。
というか今のアタシ、おそらく遠坂にだって聖杯がどうのこうのといった目的意識は飛んでしまっているだろう。

「っ!!」

来たか?廊下側!
階段へ顔を向ける。上か?下か?
一瞬でも迷ったのが今回は幸いした。上方の窓から指す月明かりがほんの僅かに歪んでいたのだ。

「!!っくぅ!」

駆け出そうとした第一歩を踏み足に転じ、廊下側に躍り出る。
暗くなってから一層見えやすくなった発光弾が階段の踊り場に直撃する。
かなり大きいやつだ。たぶんアタシが上を選んでも下を選んでも、当たるようにしていたんだろう。
にしても、やり口が大雑把過ぎるんだよ遠坂は!

「いい加減にっ…あっきらめなさいってぇの!!」

転がるように廊下に出て、反動で起き上がり、走り出した直後、今日何度目になるか遠坂の怒声が背に突き刺さる。
ああもう!どうしてこうウチの制服は走り難いったら!
遠坂はお構いなしで追いついて来るし!
あいつ、さては女じゃないな!?ちくしょう!

後方に目一杯気を配りつつ、一足跳びで階段を降りる。
この学校に階段が二つなかったらとっくにお陀仏だった。
先程…まだ夕暮れだった時も一階に出て、そのまま外へ出てしまおうかとも考えたけど、人目があったかもしれない。
その上、遠坂なら広い校庭に出れば後先考えずに何かをやりそうだった。そう、何かを。
でも今なら闇夜に乗じてやり過ごすことも出来そうだ。

そうしてアタシはあらかじめ開け放っておいた窓へ一直線。
一瞬不安も過ったが、ぐっと飲み込み…跳び上がる。
窓枠に手をかけ、衣服が引っかかることも厭わず校庭へと脱出…………成功!

「ああっ!?なんて非常識!!」
「お生憎!これでも体育だけは10だかんな!!」

遠坂もアタシが外に出ることは予想の範囲内だったろうけど、流石にこの経路は予想もしていなかったようだ。
場合によっちゃ林に逃げ込んで引っかき回した後、折を見て逃げようかと考えていたが時間は充分に稼げた。
校門まで一目散…いける!

真っ暗な校庭からでも外灯に照らされ視認できる校門へとひた走る、が。
初めは全く見えなかったのに、あと十数メートルという辺りから校門の…そう、空間がぼやけたのだ。
嫌な予感が先立ち、のぼせた脳漿に冷たい空気が行き渡るのを感じる。
あの現象は…霊体!いや、その実体化か!?

吹っ切ってしまおうかと迷いつつも自然、ブレーキが掛かり3メートルほどの間を空けアタシは男と対峙した。

「あきれた逃げ足だな……が、それもここまでだ。衛宮志保」
「お前…。アーチャー……」

待ち構えていたのは赤の弓兵。

アタシとしたことがすっかり失念していた。
如何に遠坂が単身で仕掛けることを望んでも、サーヴァントが敵を前に黙って見逃す道理は無い…か。
セイバーにきった啖呵はまたしても外れたわけだ。

「小言の一つでも覚悟しなければならんが、チャンスを棒に振ってまで凛の酔狂に従うのも馬鹿馬鹿しい。
 彼女が来る前に…カタをつけさせて貰う!」

「そこまでだアーチャー!」
「えっ…?」

戸惑いはアタシだけから漏れた。
アーチャーが昨日も見た双剣をどこからともなく引っ張り出し。片割れをこっちへ向けた刹那。
聞き慣れた声。

「随分と遅い到着だ。主の危機だというのに…なぁセイバー」

鎧に身を包んだセイバーがアーチャーの背後に駆け寄った。
丁度アタシとセイバーの距離を二分する位置にアーチャーが。

「セイバー、どうして」
「どうしてもこうしてもありますか。あまりに帰宅が遅いから足を運んでみればこの体たらく!」

状況にそぐわず、いつもの調子で理屈をこねる。
その姿に少しだけ、自分の中で切迫したものが緩くなれた。

「説教は後にしてくれ!今は…」
「動くな」

冷えた声に、乗り出そうとした身が固まった。
アーチャーは突き出した剣を現れたときと同様に手品じみた消し方で、手を空けた。もう片手の剣はセイバーを威嚇したまま。
その空いた手は高く翳され、ピタリと止まる。
それだけで何か悪寒が走った。
アーチャーがこちらに向けているのは体と視線だけなのに、銃口を突きつけられた感じ。

「!アーチャー!あなたの相手は!」
「残念だが、詰みだ。こちらの方が……早い!」
「戯言を…。片手が塞がってシホに致命傷を与えられる筈が!」
「やってみるか?私とて、腕の一本は覚悟しなければならんが…お前のマスターも死ぬぞ?」
「くっ…シホ……」

たぶん、あいつの言う事に嘘はない…。
なら、どうしたらこの場を切り抜ける?アタシに躱せるのか?アーチャーの初撃だけでも…。
と―――突然セイバーが声を上げる。

「マスター!令呪を!」
「させるか―――!」

同時に、
―――アーチャーが疾走し
―――手には再び剣が…

「ッ!!」

避ける事も忘れ目を閉じてしまう。

「待ちなさい!!」

凄く澄んだ怒声。次いで首元を吹き抜ける疾風。
……やられて、ない?
おそるおそる目を開く。

「ん……っっわぁ!?」

首元にはアーチャーの剣がピタリと添えられていた。
もし驚いた拍子にちょっとでも前のめりになればザックリいってた程、肉薄している。
そしてアーチャ−と息が届くほどの距離で向き合っている。
睨まれてるのとは違う。けど、まじまじと見詰められ理由もなくドキリとした。

「アーチャー、剣を収めて。わたしの言った事、忘れたとは言わせないわ」
「君はそれで良いのか凛。サーヴァントの中でも、より苦戦を強いられるであろうセイバーをいち早く始末できるのだぞ?」
「聞こえなかったの?剣を収めなさい」
「………………ふぅ」

アタシごしに二人の視線が交差する、っていうか…アタシ今、すっごく肩身が狭い。
やがて先に折れたアーチャーが、アタシにだけ聞こえるほどの溜息をつき、剣を消してしまった。

「あ、あれ…?」

それを確認した瞬間身体がぐらぐらと揺れる。
情けない…。緊張で足が竦んじまってるみたいだ。
倒れるものかと気ぃ張ってはみたものの…前につんのめってしまい…

「う、ぁっ」
「む…」

そのまま目の前に突っ立ってたアーチャーの懐にぽすん、と収まってしまう。……ひろい…な。

「シホ!?」
「え……ああっ!?」

セイバーの声に、はっとして、すぐさま身を離す。
セイバーから見たらアタシが何かされたんではないか、と見えたんだろう。
アーチャーはアーチャーで、何か微妙なたたえ方をしている。
それがやけに気まずくって、

「えと…悪い…」

何故か謝ってしまったが、結果、その表情は余計に曇った。

駆け寄るセイバーに合わせ、アーチャーはスッと跳び上がり、遠坂の横に付き添う。
薄暗くて遠坂の表情は窺えないが、なーんとなーく怒ってるっぽいことは感じられた。
その怒りの何割かは彼女を出し抜いたアタシに向けられているんだろうな〜、ということも。
目の前から長身が消え、のぞいたセイバーの顔は心底ホッとしているみたいだった。

「怪我は…ないのですか?」
「ああ。寸手のところだったけどな」

そこで再度、表情は和らぎ、でも次の瞬間には引き締まって、アタシを庇うように前に出る。

「どうするのですリン。ここで決着をつけますか?」

「だあーーーーーーーっ!!!もうっやめよ!やめ!!」

セイバーの問いに一拍おくかたちで、いきなり遠坂が吼えた。
アタシ達が唖然とする中、アーチャーだけ首を小さく横に振る。

「志保。アンタ、わたしに手を貸しなさい」
「え…あの…ぇっと〜」
「もうっ愚図!一時休戦!協力関係!運命共同体だって言ってんのよ!この遠坂凛様(わたし)が!!」
「だから…なんでそうなるワケ?」
「まっったくです。先程まで私のマスターを手にかけようとしていた貴方達の言を誰が信用できると?」
「もっともな言い分だ。凛、私とて賛同は出来んぞ」
「悔しいけど、貴方の言う通りよアーチャー。わたしにはやっぱり志保を打倒する敵として割り切ることが出来なかった。
 それに、わたしが曲がりなりにも本気で追っかけて出し抜かれたんだから、認識を改めるべきじゃないかって…っっ思ったのよ!」

遠坂…。もしかして怒ってるんじゃなくて照れてる?

「だから、他のサーヴァントを片付けるまでなら協力したほうが勝率はあがるでしょう?」
「君は……甘い」
「わかってる…。でも、もしも志保がわたしと友人じゃなくっても、こうなったと思う。この子、馬鹿だから」
「おいこら遠坂!どういう意味だよ」
「言葉通りよ。聞き流しなさい」

っく…こいつは…。

「どうするの?わたし達にはセイバーの戦闘力を貸してもらう、その代わりわたしは志保に聖杯戦争の、もっと突っ込んだことを教えたり
 魔術の教授もしてあげられる。セイバーとしても志保の意識改革は急務ではなくて?」
「ふむ……」

いや、セイバーよ。そこでマジな顔されるとすっごく淋しいんですけど。

「アタシには断る理由がない。セイバーは?」
「共闘は本意ではありませんが理はあちらにある。シホの判断に委ねます」
「―――だとさ」
「よろしい。今日のところはここで解散しましょ。正直疲れたわ。此処の結界は見過ごして置けないけど今日明日発動するものでもないし」

本当に疲れた様子を全身で表現して、校舎に振り返りながら、そう呟く。

「結界…って何の話だ?」
「その様子じゃあ…気付いてなかったのね、やっぱり」
「いや、なんとなく違和感は感じてはいたんだ。こう……ぬるま湯の中を泳ぐような感触」
「へぇ…いちおう魔力の流動には通じてるんだ?」
「よくわからんけど、そうなるのかな?」
「志保の感知が少しは役に立つかもね。探索は明日、放課後かしら」
「それでいい」

言葉を交わし終え、スタスタと校門へ進んでいく。
アーチャーは遠坂が歩み出したのに合わせ霊体化してしまった。

◆ ◆ ◆

<Die Sicht ändert 遠坂凛>

帰り道。わたし達はお互いの情報を交換し合っていた。
志保は実に自然にわたしとの話に乗ってきてくれる。
さっきまでわたしと、ワリと命がけな追いかけっこをやって、且つアーチャーに殺されかけたのに、だ。
随分と胆の太いことではあるけれど、彼女の態度に安堵を覚えているのは否めない。
構図的にはほんの二日前にも見せたものだけど、その空気は別物。
志保は志保でセイバーとの関係を良い方向にもっていっているらしい。
それでも彼女が易々と藤村先生や桜にセイバーを紹介したと聞いたときは心底神経を疑った。
セイバー、なんておかしな名前した男を安易に受け入れる桜たちもどうかと思うけど。
桜はもしかしたら…気付いているってこともありえる。サーヴァントと言う存在に。

志保がマスターになったことは、わたしにとって…不幸だったのかもしれない。
彼女は桜に懐かれてるから、いつ桜に危険が降りかかるかもわからないし……やっぱりわたしが彼女の家に居座った方が良いかもしれない。

それ以上に厄介なのは衛宮志保の人となりのせい。
彼女は悉くわたしのペースを乱す。
さっきの追走劇だって志保が相手じゃなきゃもっとスマートに動けたはずなんだ。
今にして思えばわたしはあのひとときを楽しんでいる節さえある。全くもって度し難いこと。

この戦いがどんな形に運ぼうとわたしはきっともう一度志保と戦うんだと思う。
その時は…本当の全力で。

「じゃ。わたしはこっちだから。―――志保!!言っとくけど今日のは引き分けなんですからね!今度はギッタンギッタンにしてやるんだから」
「たはは…肝に命じとく…」

別れ際。びし、と指を突きつけ宣言した。
ちょっと捨てゼリフっぽくなってしまったのは御愛嬌。

彼女は乾いた笑いで、応える。
今は…それでいい。これでいい。
わたしにだって彼女と本気で戦えるほどの心胆を持ち合わせてはいないのだから。

道すがら気になることがあった。

契約当初から「友人と戦えるか?」とさんざんわたしにカマをかけたアーチャーが厭味のひとつも出さなかったのだ。
あまつさえ協力関係を結ぶのだから、あらん限りの毒舌を吐くか?と内心構えていたのに。
だから思わず聞いてみたのだ。

「何も言わないのね。アーチャー」
「なに。いずれはこうなるのではないか、とは思っていた」
「の、割りには志保に襲い掛かっていったじゃない。わたしの命令を無視してまで」
「好機をみすみす逃す者の方が愚かしい。君こそ、あの時は大声で止めたものの、令呪は使わなかったではないか」
「そっ、それは!ああいった状況でおいそれと頭は回らないわよ!あの子に引っかき回されて血のめぐりもおかしくなってたし…」

自分でも答えが苦しいことを心のどこかで感じている為か、声はか細く消え入ってゆく。
あのタイミングは本当に際どかった。アーチャーの剣がすんでの所で止まったとはいえ、首の皮が切れても何らおかしくはなかった。
わたしはそれを声だけで制止させた、ううん、止まったのは偶然といってもいい。
本当に止めたかったなら令呪を行使してでも、やめさせるべきだったのに…。

志保はわたしの友人だ。数少ない友人の中で更に、魔術師という秘密を共有する友人。
それをわたしは…秤にかけていた?彼女の命を打算の対象に入れていた?
きっと答えは……イエス。
わたしはそういう人間なんだ。いかに希少な友人相手でも冷めた思考で語ってしまう。
それが遠坂凛の醜さ。

志保なら…迷いなく使()っちゃうんだろうなぁきっと。
あのこは本当におばかさんなんだから。

アーチャーは突っかかることも、問い返すこともしない。
何考えてるかわかんない奴だけど、わたしが暗い思考に沈んでいるのだけは感じ取っているのだろう。
気遣いは余計なお世話だけど…少しだけは……凭れ掛けさせてもらうとしよう。

「ふんっ。貴方だって、やけに聞き分けが良かったじゃない?もしかして始めっから志保を斬るつもりはなかったんじゃなくて?」
「くくっ、それこそ『まさか』だ。君のかけた令呪の制約さえなければ、いまごろセイバーとそのマスターは脱落していたことだろう」
「そう…?なら今回は災い転じて福ってところね」
「総勘定でみれば赤字、ということも有り得るがね」
「その時はその時、でしょ」

家に着くまでは、わたしたちは既にいつも通りだった。

◇ ◇ ◇

翌日の昼休み。
今日は朝から荒らされた校内に皆騒然となっていた。原因はもちろんわたし達が大暴れしたせい。
一成なんかは青い顔しながら下知をとばしていた。
その中に至極当然のように志保も混じっていたわけだ。
さすがに居た堪れなくって、復旧作業に追われる彼らに心の中で謝罪しつつ、自販機の紅茶片手に屋上に来ていた。
さっすがにこの時期、安易に屋上へ出てくるのは身体によろしくない。

寒空の下で、温かい紅茶を身体に流し込むという不健康な贅沢を堪能している最中。下のほうに知った顔を見つける。
志保だった。
向かっている場所は弓道場を始めとした部活棟。
大方、またどこぞからの走狗になっているってとこだろうか。
でも今日は少し、わたしの知ってる彼女とは挙動が異なっていた。

どうしよう…待ち合わせは放課後なのだけれど―――

・別に気にかける必要もないか
・なんとなく追いかけてみることにした

そうね。
この時間、誰に聞かれるとも限らないし、やっぱり放課後まで行動は控えよう。

それきりわたしは屋上を後にした。

◆ ◆ ◆

<Die Sicht ändert 衛宮志保>

朝からの片付けも一応の終結をみて、昼食も取り終え、やることもなかったアタシは校内を散策していた。
昨日の遠坂の話じゃ、この所々に漂う奇妙な違和感は他のマスターあるいはサーヴァントが仕掛けたものだという。
なるほど。改めて意識するように心がけてみると、思い当たるフシがいくつか点在していた。
放課後にその探索をやるというのだろうから、今のうちにアタシが目星をつけておくのもいいかな。

「で……此処なわけか」

自分流に形容すると「甘い香り(まりょく)の強い場所」なる地点を探してきた。
その中で、探索候補から外そうとしていた弓道場が見事にビンゴ。
候補から外そうとしたのは三日前、数時間も弓道場にいたにも関らず、この「香り」を感知出来なかったからだ。
もしかして日常のアタシって相当にぶちんさんなのでは?

ほんのちょっと鬱入りつつ、弓道場をあとにすると同時に予鈴が届く。
次の授業は藤ねえだから多少教室に戻るのが遅くても全然かまわないんだけど…。

「衛宮…」

腕組みして考えあぐねいていた所に男の声。ちょい、驚いたぞ。

「慎二?どーした、こんなとこで。教室もどんなくっていいのか?」
「衛宮こそ。なにか探し物でもあるわけ?……結界の起点とか」
「!?お前…まさか…」
「そう。僕も衛宮と同じクチさ。にしても驚いたね昨日は。
 あんなに堂々とサーヴァントを連れ立って、おまけにクラス名で紹介してくるんだから」

ぐぅっ。そういやそうだ。
慎二がマスターだって疑えなかった事を差っ引いても、迂闊過ぎたかも。

「それで、アタシに何の用があるってんだ」

おかしなこと聞いてるよなアタシは。マスターが他のマスターを見つけたらどうなるかは昨日までで身に染みているのに。
身構える。もっとも、逃げる為に、なんだけど。

まったくもって聖杯戦争ってやつは…。
各々どんな経緯があったかは知ったこっちゃないが、友人が二人も参加してるって時点で異常だ。
おまけにバーサーカーのマスターみたいな小さな子も参加して……悪趣味極まりない。

「いやだなあ。衛宮まで魔術師のルールに染まりきっちゃったわけ?僕は衛宮と話がしたいだけさ」
「ん…どんなだよ?」
「衛宮、僕と手を組まないか?」
「え……それって」

・・・

「ライダーに、柳洞寺のキャスター、か」

ここまでの話を要約すると、慎二の家系は古くからある魔術師のものだけど今代において、その才は途絶え、慎二は魔術は使えない。
経緯は教えてくれなかったが―――家柄故にだろうか?―――慎二はライダーのマスターになった。
そのライダーが柳洞寺をねぐらにしてるキャスターの存在を突き止めたはいいが。
心許無いので半端者同士協力しないか、と。

「でも、どうしてアタシが半端者呼ばわりされるんだ。……ん、まぁ自覚はあんだけどさ」
「簡単さ。色々な意味で目立つサーヴァントを実体化させて従えているようなマネは、まともな神経と知識を持った魔術師がやらかす筈ない。
 言ったろ?僕には知識に事欠くことはなかったんだ」
「………」

悔しいけど図星だ。
…そういや、あれ?昨日会ったときはこいつ、包帯なんてしていなかったけど?
マスターが令呪を隠す為にそういった処置を施すのは当然のことだ。遠坂の受け売りだけど。
人当たりが良い分、あまり周囲の人間を信用しない慎二が、昨日に限ってケアレスミス?馬鹿な。
上手く回路が繋がらない。
昨日の内にマスターに?ならその情報の速さは?でも言峰はセイバーで最後だって…あれ?

「それで?答えてよ。衛宮なら大歓迎さ。お互い足りない者同士、補っていくべきだと思わない?」
「答えを出す前に聞きたいことがある。ひとつ、慎二は聖杯戦争をどう思ってるんだ?
 まさか戦い抜いて、聖杯に願いを適えて貰おうなんて考えちゃいないよな?」
「さぁどうかな。けどさ衛宮。聖杯戦争で生き残るってことは勝ち抜くってことと同義なんだよ。過去の歴史がそう物語ってる。
 僕はこんな魔術師同士のいがみ合いなんかに巻き込まれて死にたくない。衛宮だってそうだろ」
「言い分はな。ふたつめ、結界のことは知ってるみたいだが、こいつは慎二達が仕掛けたのか?」
「……いいや。知っての通り、僕は魔力感知なんてできない。結界のことはライダーに聞いたんだ。なかなかにえげつないシロモノらしいね」

まだ慎二の、というよりアタシの本意が定まらない。
次が…ある意味一番重要な問い。
 
「最後に、桜は知ってるのか」
「質問の尺を測りかねるけど、衛宮の聞きたいことはこうだろ。
 ご心配なく。桜は魔術の存在なんて知らないし、僕がサーヴァントのマスターになったことだって解かるはずがない」

「そっ…………かぁ…」

全ての質問を終えて、長く、溜息を吐き出すようにそう、呟いた。
程なくして、慎二の申し出への応えも。
アタシは―――


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