影が

「フッ……!」

 懐に手を入れて、眼前の相手の懐に深く踏み込む。  踏み込みの速度をそのままに、肩でソレの体を強打した。

 グシャッ

 伝わってくる感触に眉をひそめながらも、右から掴みきた二体目に懐から取り出した飛針を投擲。  ストン、などという可愛い音はしない。銃弾でも喰らったように、ソレの首から上が吹き飛んだ。

「………ふん」

 頭を失ってバランスが悪くなったのか、倒れることもせずにフラフラする首なし死体を一瞥して、それに侮蔑の眼差しをむける。

「無様」

 同時に、両手を装束の内側へ。
 大量の飛針を取り出して、片方を首を無くした死体に、もう片方を先ほどの、大きく胸を陥没させた死体へと投げる。  影の手から離れた針は、ソレの肉を獣のように食い千切って、上半身を消滅させた。

「……………」

 だが影はそれに見向きもせず、腕を振り上げたままの体勢で、目を閉じた。  なにか、この路地裏を形作るコンクリートの塔の上に、いる。

「誰だ」

 もう一度、懐に手を入れ飛針を指の間に挟む。  はるか頭上に見える影は動かず、ジッと路地裏の影を見下ろしているだけ。  聞こえているはずだが、反応は帰ってこない。

「誰だ、と聞いている」

 腕が霞んで、針が撃たれた。さきほど死体に向けて放たれたものよりさらに疾い。  一本だけ放たれたソレは、月の光を反射して、影と影の間に線を結んだ。

 …………!

 一瞬、焦ったような気配が流れてくるが、すぐに霧散して、かわりに頭上の気配が降りてくる。  スタッ、と、速度に反して軽い音をたてて影が着地した。  修道服を着た、若い女だった。  肩には飛針が刺さっていて、本来は紺色であるはずの服は赤黒く染まっている。

「誰だ」

 抑揚も感情も無い、まるで機械のような声で。もう一度、地上の影が問い掛けた。  女は肩に刺さっていた飛針を引き抜くと、僅かに腰を曲げて一礼した。

「申し訳ありません。死者を狩る方がいるとは聞いていなかったものですから、少し見物させていただきました。覗き見をしていたことは謝りますけど、もう少し対応が―――」
「………お前は、誰だ」

 修道女の声を遮って、影が口を開く。  その手には数本の飛針がすでに握られていた。女性はしばらく迷ったような仕草をして、もう一度すいません、と謝った。

「私は埋葬機関に所属しているものです。 この国には――」
「吸血鬼か」
「はい。 吸血鬼を追って来ました。 それで、あなたは……」

 その言葉を、再び影が遮った。手を向けて、それ以上喋るなという意味を表す。修道女――シエル――は不服そうに顔をしかめるが、彼はそれを無視して沈黙を続けた。

「あなたは誰なんですか? 死者をここまで完膚なきまでに叩きのめす人間がいるなんて、本部からも聞いてませんよ?」

 やはり沈黙で返すと、そのままシエルに背を向けて歩き出す。

「ちょ、ちょっと、聞くだけ聞いて終わりなんてあんまりじゃないですか? せめて名前だけでも教えて下さい」

 影の歩みが止まった。
 顔全体を覆い隠していた頭巾をとり、シエルを振り返る。
幼い顔つき、病的な白さを持つ肌、わずかな風にも波打つ黒髪。間違いなく美形であるはずの輪郭は、蒼い月隠色の瞳とあいまって人形のようであった。

「シキ」
「……………ぇ、え?」
「名前だ」

 シエルは少年――といってもいい年齢だろう――に曖昧に返事をして、その顔に見覚えがあることに気付いた。  いや、見覚えがあるわけではない。だが、目の前に在る彼は、自分が潜伏している学校にいた青年によく似ている。他人の空似とは思えなかった。名前といい雰囲気といい、共通する箇所が多いことも気になる。

「シキ、ですか。 私にもシキという名前の知り合いがいますが、もしかして友人かなにかですか?」
「…………………」

 シエルの問いに、やはり無言で返す。しかし、シキという名前には僅か反応したのを、シエルの眼は見逃さなかった。

「友人か、それでなくとも知り合いではあるんですね」
「………………一方的だが」
「そうですか。 なら少し話をしませんか。あなたが遠野くんの知り合いで、退魔側の人間だというのなら教えてほしいことがあるんです」

 少年はシエルの言葉に無視して、歩き始める。

「………まあいいです。 この町に居ればまた会う事もあるでしょうから、そのときにでも話を聞かせてくださいね」











 背中にかけられた言葉を疎ましく感じながら、シキは自分が酷く興奮していることに気が付いた。針を握っていた掌には汗が滲み出し、古傷がドクドクと疼く。

 おそらくはシエルが口にした名前に反応したのだろう。自分でその動揺を否定しつつ、同時に納得もしていた。






 誰だって、死ぬのは恐いのだから。























「おかえりなさい、シキさま」

 牢屋に入って、いつもの着流しに着替える途中で声をかけられた。幾重にも重ねられた鉄格子の向こう。小さなランタンと、酷く不釣合いな和服を着た少女がいた。  片手でランタンを持っているように、もう片方の手にはナニカの包みを持っている。

「ただいま…………それは?」

 シキは路地裏でのソレが嘘の様にやわらかな声を出した。歳相応の、とでもいうべきか、外見に合った幼い声だ。

「はい。そろそろその服も裾が擦り切れているでしょう?だから、新しい着流しを作ってきました」
「作ったって、もしかして琥珀ちゃんが?」

 少女は少年の言葉に微笑しながらはい、と頷いて、わずかな軋みもたてない鉄の扉を開け、シキのそばに歩み寄る。

「大きさも、少し小さくしておきましたよ。今来ているそれは、歩くと引きずっていましたからね」
「ありがとう。着替えてみていい?」
「いいですよ。私はちょっと用事があるのですぐ上に戻りますけど、なにか御用はありますか?」
「ああ、そうだ。この枷を少し大きく出来ないかな? 腕に食い込んできてさ、痛いんだよ」

 ジャラリと、シキが両手両足に取り付けられた鉄の枷を引っ張る。金属製の輪からのびた鎖はそのまま壁の金具に繋がっており、移動を制限する役割を果たしている。  琥珀はシキの言葉に顔をしかめ、その、シキの両手足を拘束しているモノをそっとなでた。

「前から言ってるじゃないですか、もうこれは外していいですって。 シキさまの気持ちは、解らないではありませんけど理解はできません。シキさまが外したいと思えば外れるんだから、取ってしえばいいじゃないですか」
「ん、それはそうなんだけどね。やっぱりほら、ここに居る時の習慣っていうか、これをしてないと、昼間でもそとに出て行こうとしてしまうんだよ」

 シキは俯いて、琥珀が渡してくれた包みを抱きしめた。
 腕が、なにかに怯えるように震え、そのカラダが、琥珀にはいつもの何倍も小さく見えた。

「ごめんなさい。シキ様の気持ち、理解できなくて」



 そっと、自分の胸に彼の頭部を押し付けるようにしてシキを抱きしめる。
 シキはたしかに自分を救ってくれた。だが、それで彼自身も救われるわけではなかった。  八年前のあの日、この地下牢に打ち捨てられていた彼は琥珀の感応と遠い記憶を呼び起こす事でなんとか一命を留めている。  しかし、無理な解呪はその精神を破綻させ、致死の傷痕は身体の成長を止めてしまっていた。


「いいよ、自業自得なんだから。僕はここに居るのが普通で、ここに居るからこそシキっていう人間なんだから」
「そう、ですか。じゃあ、私もちゃんと琥珀っていう人間にならないといけませんね」

 離れる前に、琥珀がその額に唇をつけた。

「ん………………あんまり子ども扱いはしないでほしいなぁ」
「なに言ってるんですか。志貴ちゃんはいつまでも子供のままでいいんです。かわいいから」
「うれしくないよ、それ」

 二人でクスクスと笑いあう。  そこが牢獄の中で、一人は鎖に繋がれて居なければ、それはどんなに自然な情景であろうか。二人は八年前から何度もそうしてきたように、冷たい石の上でしばし言葉を交わし、ひと時をすごした。  不意に、琥珀が真剣な顔をする。

「志貴さま、お話があります」
「なに? そんなに改まって。秋葉か、翡翠ちゃんになにかあったの?」
「明後日、四季さまがお帰りになるそうです」
「―――――――――」

 志貴が、感情の一切を殺した。
 琥珀の前でつねにたたえていた微笑を失い、精巧な人形であるかのような面が現れる。

「槙久さまは先週、志貴さまが殺しました。ですから秋葉様は遠野家の長男である四季さまをこの本家に連れ戻し、自分の手元で反転するかどうかを見極めるおつもりです」
「秋葉は、まだ暗示にかかったままか?」
「ええ、志貴さまのことを憎んでますよ。ただ、解けかかってはいますね。秋葉様は四季さまが反転した現場にいましたから、そのときのことを思い出しつつあるようです」
「でも、まだ足りない、と」
「そうですね。シキさまが反転するのを疑問にはおもっているようですが、思考を廻らせるまでには優先順位が高くないようです」

 琥珀が言葉を切る。
 志貴は瞬き一つぜずに琥珀を凝視し、問い詰めるように睨み付けた。

「琥珀」
「…………わかっています。四季さまには何も言いませんし、なにもしません。秋葉様が思い出すなら別ですが、そこからの行動も秋葉様の問題ですから」

 再び琥珀が黙り込んだ。  膝の上においた拳を見つめるように俯き、感情を感じさせない笑顔を向ける。  志貴がすっと手を伸ばし、頭を垂れる琥珀の頭に掌を乗せた。ゆっくりとその手を動かす。さらさらと纏わり付く細い感触が、琥珀の体温と一緒に伝わってきた。

「俺は、どうすればいいのかな?」

 志貴はなるべく優しく琥珀に尋ねた。
 別段意識をしているわけではないが、琥珀が黙ってしまうのは、自分に何かを期待してるのだと思う。  だから、何かをしてやるのだ。質問でも詰問でも、何かをしてやれば、それは彼女にとっての救いだろう。

「四季兄さんは俺の事を覚えているはずない。秋葉も覚えてない。おれは、ここで今まで道理にしていればいいの?」

 琥珀は俯いたまま。  頭部に触れる志貴の感触に首をすくめながら、その問いに答えた。

「志貴さまには、ここから出てもらいたいと思います」
「…………」
「四季さまは、おそらくすぐにでも反転するでしょう。秋葉様にはそれを止める力を発現させてませんし、そうなればわたしだけでなく、翡翠ちゃんまで危険に晒される事になる。それだけは――――――」

 かすかに肩が震えている。  それは妹を失う事を恐れてか、それとも内に潜んでいる怒りの波動故か。
 志貴は何も答えず、琥珀の頭をなで続けた。

「それだけは、避けたいんです。 ですから、志貴さまには四季さまが反転した時のストッパーになってもらいます。」
「秋葉にはなんて説明するんだ?」
「八年前の事を話します。暗示が解けるかもしれませんが、そのときは四季さまがどうにかなるだけです」
「解けなかったらどうなると思う」
「どうもなりませんよ。四季さまには弟といって紹介しますし、わたしからの頼みとあらば秋葉様もお聞きくださるでしょう」

 秋葉の弱み……いや、遠野家の弱みにつけこむ気なのだろう。  遠野家の元当主が行った陵辱は、現当主である秋葉には許せることではなかったはずだ。行為を一身に受けてきた琥珀が真剣に志貴の権利を陳情すれば無碍にはできない、ということか。

「……そう。琥珀がそういってくれるなら、そうするよ」
「志貴さまには汚れ役をしてもらう事になります。私を恨んでも構いませんから、どうか翡翠ちゃんを、私の妹を守ってあげてください」


「………ん」













「では、そろそろ失礼しますね。この装束は洗っておきますからしばらくは外出を控えてください。まあ、上に戻られるんですから外に出る機会は減るかもしれませんが、そのときは一声かけてくださいな」
「そういえばそうだね。ここに居るほうが、外には出やすかったかもしれないね」

 琥珀が薄汚れた着流しと、志貴が外界に出ていた際に着用していた黒い装束を持って牢屋から出る。  がちゃりと、カタチだけの施錠をまわして鉄の扉が閉じられた。

「詳しいことは明日にでもまた話しましょう。最近はなにかと物騒だから、志貴さまも今日はこのままお休みください」
「物騒って………そうなの?」
「なんでも人の血痕だけが大量に見つかる事件が増えてるんですって。あ、もしかして志貴さまが最近出歩く事が多いのは、そのせいですか?」
「いや、ちょっと違うと思う。僕が出歩くようになったのは、街にヘンなのが増えてきたからだし」

 琥珀はふぅんと迎合をうって、考え込むような動作をして見せた。  それからぽん、と両手を打って口を開く。

「でも、やっぱり危ないですから、外出は控えてくださいね」
「ん……努力するよ」
「それじゃあ志貴さま、おやすみなさい。朝ごはんのときに会いましょうね」



 ぱたぱたと足音が遠ざかっていく。  志貴は眼を閉じで、その音が完全に聞こえなくなるのを確認した。

「……………」

 じゃらりと、四本の鎖が擦れて鳴る。






















 「ここから、出る」
























「………恐い、な」



 八年前の傷を真新しい服の上から撫でる。

 ドクドクと、彼の名前を聞くだけで鈍痛を生む痕。




 日に二度もその名を聞いたせいか、脈動はしばらく治まってくれそうになかった。











>了














――――――――――――――――――――――――――――



 えっと……ここで終わりです。
 志貴が四季のかわりに牢屋に入れられているっていう設定で書いてみたくて、書いてみました。
 もうすこし練りこんだ文章を入れたかったんですけど、あんまり考えると破綻してしまいそうなんで、やめときました。
片月さん、こんなんですいません。




 物語の解説おば。

 志貴は成長してないと思ってください。
七夜であったころの精神を呼び起こしてしまったが故に過去に囚われ、『遠野』志貴という存在が四季に殺されたから『七夜』志貴である彼は成長もしない、というのを理由にしてますが……。
 あんまり意味はないです。
 脳内保管で、シエル先輩が四季とお屋敷に来た時に「あら、遠野くんの弟さんですか?」って言わせたかっただけだから(笑


 んで、秋葉は四季と志貴を混合してしまっています。
 無論、槙Qの暗示のせいですが。
子供の頃から成長していない志貴をみて頭痛にさいなまれたり、反転を抑えて苦しんでいる四季にかけよって、おなじく駆け寄ろうとした志貴に

「あなたみたいなのがいるから私達は安心して暮らせないんです! 二度と、二度とわたしと兄さんの前に現れないで!」

っていうオイシイ台詞があるんですけど、志貴が哀れで涙をさそうかも。
 やりませんけどね。




 おもしろそうだけど技量が足りなくて薄い内容になりそうなSSの冒頭だけをとって短編にしよう計画でしたとさ。


 だれか書いてくんねぇかなぁ、とか考えてしまうのは、堕落だろうか。