「志貴、お前は先に行ってろ。俺は刀を回収してから行く」

燈真さんが親指で炎の海を指差す。

「ではお先に」

俺は燈真さんに見送られて一足先に校舎の屋上へと向かった。













校舎の外側に備えられている非常階段を上っていく。

カン、カン、カンと金属音が鳴り響く。

その音がやけに甲高く聞こえて、俺の心臓の鼓動を高くする。

高くなる鼓動が今しがた見た光景をフラッシュバックさせる。

炎を己が身とした鳥が生まれて飛び立った姿がとても優雅に見えた。

翼、頭、体…それら部位をなす炎が微小な単位で生きているみたいに激しく絡みあう様に魅了された。

不覚にも…というのだろうかあんな綺麗なものになら抱かれてみたいと思ってしまった。

(流石に今はそんなことは考えないけど)

考え事をしているうちに最上階に着いた。

俺は非常階段の柵に足をかけて非常階段の屋根に上った。そこから屋上に近づき、屋上の地面に手をかけて後者の壁を蹴って屋上に上がる。

屋上の柵を越えて屋上の中に入る。

屋上には二つの影があった。

その姿を確認するために俺は近づいていく。

二つの影のうち一つは人で、一つは犬だった。

犬の姿はそこいらで見かける雑種犬で毛色が2,3色であること以外に特徴はなかった。

人の方は異様な姿の女性だった。

背の高さは150の前半の感じで、赤いチャイナドレスを着ている。

異様と言わしめたのはそのチャイナドレスが覆っている以外の露出している肌には包帯が巻かれているところだ。

脚、腕はもとより頭部全体すらも包帯で覆われている。

包帯がない部分といえば口と、左目だけだった。

おそらくそれ以外は本当に全身に包帯が巻かれていると思われる。

そのいでたちのせいか、左目だけが覗かせている赤に輝く瞳が彼女の纏っている雰囲気を更に恐慌としたものにしている。



「はじめまして、遠野志貴君」

口を開いたのはなんと犬だった。

「おまえはエミオスか?」

心の揺れを抑えつつ、質問する。

「はい、そうですよ。今はこの体を借りていますが」

飄々とした声で喋る。

俺が見ている犬は本人も云った通り借り物の姿なのだろう。

だが犬が人間の言葉を人間らしく喋っていることがなんとも奇妙に思えて、本当はこの犬こそがエミオスではないかと錯覚する。

「君の戦い、見せて貰いました。動きにまだ素人臭さが残りますが中々に強いですね」

しかも敵をいきなり褒めだした。

「流石は七夜の生き残りであり、退魔方、歴代の中で最強の呼び声の強かった七夜黄理の嫡子といったところですか」

「…へぇ、そんなことまで知っているのか」

全身の血が冷め、浮き足立っていた心が静まる。

自分が浮かれていたことに少し腹が立った。

忘れていた。目の前にいるのは犬の姿とはいえ浅神燈真が追っている人物。

俺はまだ燈真さんの底を見た訳ではないがそれでも俺なんかよりも強いと思えるあの人の追従を常に逃げ続けた奴だ。

(油断なんかしている暇はないだろ…)

「そんなに怒らないで下さいよ。ちょっとした世間話じゃないですか」

俺の変化を読み取っても犬は態度も口調も変えることはない。

「ところでお聞きしたいのですが貴方は……!」

突然犬があさっての方に振り向く。

振り向いた方向から何かが上ってくる気配がする。

気配は次第に大きくなり、その気配の大きくなるリズムが途切れた時に下から大きなものが飛来した。

「エミオス!!!」

屋上の柵に燈真さんが降り立つ。

間髪いれずに上って来た勢いのままエミオスに迫る!

「死ねえぇぇっ!!!」

燈真さんが長尺刀を振り下ろす。

だがその斬撃の目標となっている犬は後ろに大きく下がってそれをやり過ごす。

繰り出された斬撃は空を斬り、屋上の地面に刀身が食い込む。

「おやおや、危ないじゃないですか燈真君」

「………」

無言で燈真さんは地面から刀を抜き出し、犬を見据える。

その立ち姿は何の変哲もなかったが彼の内側から滲み出る気配…殺気は尋常なものではなかった。

さっき化け物達に囲まれた中から抜け出す時にも強烈な殺気を放っていたがそれとは質も強さも違う。

あの時はただ殺気を大量に放出しているといった感じだったが、今は明らかに殺気を一つの目標物に固定して際限なく解き放っている。

「これではゆっくりとお話もできませんね」

それでも俺の時と同じだった。

燈真さんが当てている気を受けても犬は口調も態度も変えない。

「貴様の御託なんぞどうでもいい。さっさと殺されろ」

燈真さんの方も当てた気を受け流されても怒りや憎しみに似た口調や態度は変えない。

「仕方ありません、ここは引きますか」

「…てめぇ、俺が逃がすと思ってんのか?」

エミオスの言ったことが気に入らないのか燈真さんが顔を歪める。

「ええ、思ってますよ。貴方は知ってるでしょう…私は逃げるのが得意だと」

「そんなもん関係ねぇな、後ろの奴もまとめて潰させて貰う」

「無理です、無理です。何故なら…」

一歩、一歩と犬が燈真さんへ近づいて行く。

燈真さんは長尺刀を両手で持ち刃は後ろ向き、腰を落としてやや左真半身の構えをとる。

構えた状態から摺り足で少しずつ犬に近づく。

相手が身構えても犬は警戒せず一歩、一歩と進んでいく。

そして……………犬がその身を浅神燈真へ投じる。

飛び掛っている犬は無防備の状態だった。

それはまるで

俺の思考よりも先に燈真さんが動く。

長尺刀を振るい、犬を二つに斬り裂こうとする。その軌道は完全に犬を捕らえていた。

刀身が犬の体に当たり、刃筋が入るその刹那。







バンッ!



甲高い音と共に犬の全身が破裂した。

「…ッ!」

その音が合図だったのかいつの間にか俺の近くには運動場で対峙した様な化け物が二匹接近していた。

巨大な食虫植物の様な化け物が先に前に出て触手を伸ばす。

伸びてくる触手を目で捉えて上体を屈め、避ける。

触手にある死の線を捉える。

触手の先端から本体に至るまで走っている線を燈真さんの刀でなぞる。

急速に触手が塵に変化する。

刀を振るった勢いのまま突っ込んで本体にある死線を生み出している点をナイフで裂く。

声にならない声を叫んで今度は食虫植物の本体が塵になる。

そこからもう一匹の猫人間の様な奴が肉薄する。

猫人間が鉤の様になった爪を左右から袈裟切りに振るう。

一歩、二歩とさがって猫人間の爪に空を切らせる。

下がって腰を落としたところに素早い左足のハイキックが飛んで来た。

「クッ…」

飛翔する左足の足首付近に死線を見つけてナイフで断ち切った。

間髪いれず次に両手が伸びてきて俺の頭を固定して俺を引き寄せる。

そこに大口を開けた猫人間の顔がある。

口の中に見え隠れする鋭い歯で俺の顔面を噛み砕くつもりだ。

「このっ…なめんな!」

向かってくる猫人間の顔面に俺は思いっきり頭突きを食らわした。

猫人間が呻き声を上げ、俺は額に痛みを覚える。

痛みを無視して俺は一歩大きく踏み込んで燈真さんの刀を突き出す。

体に見えている線などお構いなしに燈真さんの刀を猫人間の下腹部に突き刺し脳天まで一直線に振り上げた。

右と左に離れ離れになる一つの体。それらは地に着くことなく闇夜の彼方に消えていった。

これで俺に来た敵は倒した。

しかし警戒心は解かずに俺は周りを360度確認した。

もう何の気配もなかった………浅神燈真と散乱した犬の死骸以外の気配は。

(逃げられたか)

逃げられた間違いなく。

何の気配も無いのはもとより燈真さんがこの場にいて、俺に向かって歩いて来ているからだ。

「チッ!くそったれが…」

口の中にさっきの犬の体液でも入ったのか燈真さんがペッと口から唾混じりの液体を吐き出す。

「追わないんですか?今からなら多分…」

「追わないというよりも追えんな。この血になんか細工があったら面倒だし」

あっさりと燈真さんは返答した。

けどその冷静な判断と態度がむしろ今すぐにでも追いかけたいという思考を無理矢理押し込んでいる様に見える。

「それに気付いていないのか?」

燈真さんが俺の眉間を中指でトンと押す。

「えっ―――」

奇妙な浮遊感が俺の肉体を襲い、俺の意識が白んでいく。

肉体と精神を蝕むそれらに俺は抵抗出来なかった。

落ちていく勢いのままに大きく尻餅をつく。

大きく尻餅をついたお陰で体に痛みが走り意識がはっきりした。

「あっあれ?」

だが体は変わらず動かすことが出来なくて、腰が抜けたみたいに下半身に力を伝達することは出来なかった。

何度か力を込めて体を動かそうと試みるが体は言うことを聞いてくれない。

それ以前に力を込めることさえ上手くいかない。

「やっぱりな、存分に力を吸い取られたみたいだな」

燈真さんが俺に近づいて俺が握っていた黒刀を取る。

「まだ意識があるあたり、相性は良かったんだな」

俺から取った黒刀を燈真さんは鞘に戻して左裾の中に放り込む。

ウ〜〜ウ〜〜ウ〜〜

何処か遠くの所でサイレンが鳴っている。

「あ〜あ〜、誰か通報でもしやがったか?」

「通報って...もしかして燈真さんのあれですか?」

あれを思い出す。

階段を上っている時にも考えた『あれ』。

大きな火の鳥が数十匹の物の怪達を優しく包み込み、激しく燃え盛るその身をもって灰燼を作り出したその様。

(あれ程のものを遠目ながら見ていたら…いやむしろ遠目だからこそ火事に見えるか)

「騒がしくなる前にさっさとここから立ち去るか」

燈真さんが俺の傍に屈み込む。

「志貴、動けるか?」

「うっ、くっ、……まだ無理みたいです」

「やれやれ、仕方ないな」

燈真さんが上着のベルトを外し、更に服の内側にある多数のベルトも外して上着を脱ぐ。

脱いだ上着を丁寧にたたんで俺に手渡す。

手渡された上着は血塗られた部分が触れない様になっていた。

「どっこらしょ」

燈真さんが俺を持ち上げる……………………お姫様抱っこで。

「と、燈真さん!何するんですか!」

「何するって、お前が動けないんだから持ち上げただけだろ」

「いや、まぁそうなんですけど何もこれじゃなくても…」

「背中に担いだら俺の上着が持ち難いだろうと思ったからこうしたんだが?」

彼の表情を見ると普段俺の知る表情と変わりがない。

つまりは天然ってことですか?

「ほれ、もう行くぞ?」

燈真さんは微笑むと助走をつけて一蹴りで屋上の柵に上り、次いでその柵も一蹴りして構内から離脱する。

「燈真さん、アルクェイドとシエル先輩は大丈夫でしょうか?」

エミオスを語ったさっきの犬がとった行動を思い出す。

自分の意識を別の生物に宿らせ、操り、最後に………弾けた。

燈真さんはこれといって違和感を感じてはいなかった様だけど俺にとっては奴の行いが少し怖く思えた。

「あの二人なら心配はいらんだろ。志貴には判らないかもしれないが彼女らに喧嘩売れる奴はそうはいない」

「……あくまでも彼女達が油断や深追いをしないならな」













「クッ!」

後方に飛び引き懐から新たな黒鍵を引き出す。

私とアルクェイドは町の路地裏に当たる所にいる。路地裏という割には少々広々とした場所であり、周囲一体異常なまでに人気がなかった。


今ここで轟音が鳴っているのにも拘らず


(十中八九、敵の結界内に入りましたね)

上下左右、周りを見渡す。

戦闘が始まってから数度その行為を繰り返している。

それでも結界の基点となっている場所を探り当てることができなかった。

(しかも質の悪いことに私が見つけられない程の上位な結界ですか…)

相手が自分よりも結界作りで上手とわかっても現状を打破する為に基点を探す行為はやめなかった。

現状…そう現状は少なくとも良くはなかった。

……いやそうではない。はっきりと言って分が悪かった。

敵の人数や個々の保有する能力が全くの未知数ゆえ敵対した時は油断はしていなかった。むしろ警戒していたと言っても良い。



「全くなんて奴なの…」

私に遅れてアルクェイドが引き下がり、敵と一旦距離を置いた。

戦う前に比べるとアルクェイドの服装が所々擦り切れている。

致命傷となる打撃は受けていないみたいだが苦戦しているのは間違いない。

初めはアルクェイドと共に接近戦で敵と対峙していたが、その内そこから離れざるを得なくなっていった。

私が本来接近戦のみで戦うタイプでないのに加え、敵もアルクェイドも接近戦のエキスパートであること。

それ故に激化していく力と力の氾濫。

とてもではないが私では嵐の如く暴力がぶつかり合うあの中にいつづけることはできなかった。

ズン、ズン…

建物の影が生み出した闇から音が響く。

私とアルクェイドは闇を凝視する。

音が近づいて来ると月を隠していた雲が晴れ始め、建物の影が薄れていく。

路地裏の闇から止まることなくズンズンと足音を立てて私達の敵がその姿を露にする。

光を放つ月下に佇み私達の目の前にいるのは



白く輝く体毛



口より剥き出す大牙



岩石の如き巨大な体躯



そして…





赤き双眸を持つ一匹の人狼だった―――――――