第三話
日差しは襖を通して顔に降りかかる。
士郎が起きたのは六時前だった。
寝汗を染み込んだ寝巻きを脱いで、欠伸をかみ殺しながら朝食の献立を考える。
こんなに暑いのだから何かさっぱりした物がいいだろうと思い、冷蔵庫に放り込んでおいた材料を思い出す。
確か――人参は2本半、キャベツ1個、卵は10数個、牛肉1パック、牛乳が2本・・・
その他指で数えれるだけの材料を思い浮かべる
少ない。あまりにも材料が足りなさ過ぎる。
「はぁ。・・・どうするかな。」
士郎は着替えを済ませると甘い匂いが士郎の鼻の中をくすぐった。ホットケーキの匂い。桜がもう来ていたのかと思って急いで居間へと向かう。
「桜おはよう。今日もまかせ・・・・・きり・・・・・・で・・・・・あれ?」
「おはよう士郎。」
「先輩おはようございます。」
台所に立っていたのは凛と桜だった。凛は私服でいつもの朝とはまったく別物だった。
朝は弱いはずの凛が台所に立って桜と一緒にホットケーキを焼いている。
士郎は何がなんだか分からないまま立ちつくしていると、桜は苦笑いをしながら、凛は少し目つきを尖らせながら士郎に挨拶をした。
「士郎。何か言いたそうな顔してるわね。」
「いや・・・・ただその・・・・遠坂が起きてたから・・・・その・・・・」
「私が今ここにいちゃいけないってわけ?」
「べ・・・・別にそんなこといってないだろ。」
士郎の反応があまりにも楽しいのか凛は意地悪な笑顔(悪魔の微笑)を浮かべて士郎と桜を交互に見た。
何時にも増して士郎は鳥肌が立つ腕をつかんで凛を見ていた。桜は焦げないようにとフライパンに奮闘している。
「士郎は桜と二人っきりの空間を私に邪魔されて怒ってるのか〜」
「なっ・・・・・・・そ・・・・そんなこと言ってないだろ!!」
凛の言葉に反応したのは士郎だけではなく桜もだった。あまりにも唐突にへんなことを言われたのでフライパンごと床に落としそうになった。
「遠坂いきなり変なこというな!!!!」
「遠坂先輩いきなり変こといわないで下さい!!」
「あら、息ピッタシじゃない。」
うっと言葉を詰まらせた士郎と下を向いて黙り込んでしまった桜。そして今にも大爆笑しようとして口を手で隠している凛がいた。
士郎は何か言い返してやりたいが何も浮かび上がらない。やはりこの赤い悪魔には勝てないのかと思ったときに異変に気づいた。
焦げ臭い――
「桜フライパン!!!!」
「へっ!?うわっ!!!」
あわてて火を止め現状を確認する。
士郎はフライパンの中を見て何も言葉が出てこなかった。
狐色に焼きあがるはずのホットケーキは焦げが付いて食べれる状態ではなかった。
今の時刻は6時30分過ぎで、そろそろ藤ねえがやってくる時間で――
はっきりいってそれまでに間に合う物は一つしかなかった。
「おっはよ〜。今日の朝食はなにー?・・・・・・・ってカップラーメン!!?」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
ズルズル――
「何でカップラーメンなの?お姉ちゃん士郎の作った物が食べたかったなー。」
ズルズル――
「テレビつーけよっと。」
あまりにも士郎の態度がつまらなかったのか藤ねえはテレビをつけた。
「・・・昨日の11時頃都心のビル内で放火がありました。屋内に残っていた職員のうち33人が重症。そして2人が意識不明の重体という大惨事になりました。火元は不明で、
不審者のでは入りはなかったものととらえ警察は事件の解決を急いでいます。」
「うわっ。これって士郎のバイト先の近くじゃない!?」
「・・・・そうだね。」
「こういうのって防犯カメラかなにかで犯人は捕まるんでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
士郎は藤ねえにそうだねとは言えなかった。凛の呟きは士郎を固まらせるのには十分だった。
(あの中に魔術師がいるってどういことなんだ!!!?)
藤ねえと桜の前でそんなことは聞くことは出来なかった。
凛に聞くのは午後になってからでもいいだろうと思った。昨日のことも言うべきかもしれないいい機会だとも思っていた。
道場の中にはいつもと同じように竹刀同士が相手に向かって襲い掛かる。
士郎はセイバーに隙があろうがなかろうが守りに徹さねばならなかった。右からきた竹刀の軌道を視認して防ぐ。竹刀からは目を離さない。
右から左へと横一線――
防ぐ―
左上から右下へと何も考えていないような振り下ろし――
下がる―
振り下ろしたセイバーの竹刀は握りなおすと同時に右手へと迫ってくる。
フセ・・・
目の前にはセイバーの持っている竹刀の先端が今にも士郎の目を突かんとしていて、後方では聞き慣れた竹刀の落ちる音。
「はっ・・・・はっ・・・・・はっ・・・・・・また駄目だった・・・いってー!!!」
竹刀で思いっきり頭を叩かれた士郎は頭を抑えて蹲る。そんな士郎をセイバーはあまりにも大きくて心底深い溜息をつく。
「士郎。貴方は何故そんなにも無防備なのですか?確かに聖杯戦争は終わってしまったとはいえ、情けないにもほどがあります。緊張感を持ってかかってこないのではこんな修練は無意味ともいえます。」
「分かってるけどさ・・・」
「分かってなどいません。士郎。貴方の目はなぜ竹刀しか追わないのですか?」
考えても思いつくのは一つ。竹刀の軌道を確認すれば何とかセイバーの攻撃でも防ぐことが出来るから。でもこれは答えではあるけども正解ではないような気がした。
「士郎、貴方は竹刀を見ていれば避けることが出来ると思っていますね?」
そのとおりだと思って何も言い返せない自分はここにいてはいけないような気がしてきた士郎はセイバーの顔を見ることが出来ずに下を見て心を落ち着かせようとした。
セイバーはそんな士郎があまりにも情けなく思ってどうすればいいのか最善の選択かを考えていた。
流れる風は流れた後の汗には心地よくこんな雰囲気ではなければ縁側でお茶でも啜ってのんびりしていただろう。士郎はそんなことを考えていないと居たたまれないような気がしていた。セイバーが何か思いついたのかある提案をした。
「士郎。一時的にこの修練をやめてみましょう。」
「へっ・・・!?」
「そうしてみれば何か変わるかもしれません。」
そんなことも言われてもというような顔をした士郎には別の意味で絶句していた。
「士郎。切羽詰っていても何も進むことが出来ません。成長することは出来ても次の段階に進むことは出来ないでしょう。」
「そ・・・・・そんなこといわれてもセイバー。毎日続けることで得ることも出来る何かがあるとは思はないか?」
クスッと微笑んだセイバーの顔にはあせらずに進むことも大切ですと訴えているように見えた。勝てないと悟った士郎は諦めた表情でセイバーのほうを見た。
「どのくらいの期間なしにするんだ?」
「それは私が決めることではないと思いますが・・・・目安としては2,3日ほど・・・気分転換してみてはいかがでしょうか?」
士郎は少しの間考えていたかと思うと徐に顔を上げてある提案を出す。
それは昼食の最中だった。
「皆聞いてくれ。」
「何、士郎?」
「どうしたの?士郎?」
「どうしたんですか?先輩?」
と動かしていた箸を止め(藤ねえは止めるつもりはないらしい)士郎を注目した。一方士郎は、皆が自分のことを注目してくれたのを確認すると大げさに咳払いをして先ほど決めた提案をはっきりと聞こえるように言った。
「明日からこの島に行こうと思うんだ。」
士郎が発表すると同時に取り出したのは一枚のパンフレット。それには、
『リゾートならここ観光地空州島』
と書かれている。
士郎は子供のような笑顔でセイバー(一緒に行くことは決定済み)と明日からの日程を話し合っている。そんな二人に凛は、名前からして怪しい島だからやめておけとは言えなかった。そこに、藤ねえが何かを言いたげにしていた。
「藤村先生。何か言いたいことがあれば言った方がいいですよ。」
「うん・・・・士郎。」
「なに?藤ねえ?」
大きく息を吸い込んでいった。凛は藤ねえが士郎のこの旅行をしてはいけないと異を唱えるだろうと考えていたが、やはりというかなんというか。藤ねえは所詮藤ねえだった。
「保護者として私もついて行くから。」
「最初っからそのつもりだよ。」
やったーと喜んでいる藤ねえを見て凛はもう何も言えなくなっていた。最後の砦と思って桜を見たが、その瞳に宿る色は羨ましがっている純粋な子供と一緒だった。
「あの・・・その・・・」
「桜ももちろんいくだろ?」
「・・・・は・・・・・・はい。」
絶句することしか出来なくなった凛は、士郎たちを順番に見回した後止めていた箸を再び動かし始めた。
「遠坂も行くよな?」
口をぽかんとだらしなく開けたまま固まってしまった凛は、士郎が今なんと言ったのか理解できないでいた。そんな凛を桜は心配そうに、セイバーは何故凛が止まってしまったのか理解できないまま見ていた。
「わ・・・・私?」
「そう。もしかして行きたくないのか?」
「わ・・・・わた・・・・私は・・・・・」
皆で明日からちょっとした旅行をすることに決めたのであった――
午後から凛の部屋で行われるはずであった魔術についての講習会は旅行のための準備へと変わった。セイバー、凛、桜の三人は水着を選ぶために士郎たちと別れた。
凛と桜が水着の話をしているとセイバーは水着とは何ですか?と聞いてきたので、セイバーのためと言いながらも、士郎に見せびらかすという目的のために桜と凛はセイバーを引き連れてきたのであった。
「・・・・凛これなんですか?」
セイバーが持っていたのは赤くて面積の少ないビキニだった。
「う〜ん・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
唸っているのは凛で、静かに怒りをぶつけているのは桜だった。困った顔をして立っているセイバー。美女(少女?)の三人に圧倒されているお客たち。店員たちのやる気ある視線。
「セイバーは清楚そうに見えるからこっちの白いセパレートっぽいほうが似合うんじゃないかしら?」
「遠坂先輩。私はセパレートではなくワンピースにしたほうがいいと思います。」
譲らないと目が語っていて、しかもお前の意見など断固拒否と陽炎さえ見える。
固唾を呑んで見守るギャラリー。睨み合う二人の前にセイバーは必殺の一撃を解き放つ。
「私は士郎が喜んでいただけるのなら何でもいいです。」
この店の空気は一瞬にして修羅へと変わった。
そんなことも知らない士郎は藤ねえを家に残して夕飯の買出しへと来ていた。いつものスーパーで必要な分と明日は朝が早いので簡単に作れるような物を物色していた。そこでふっと気がついた。朝の献立である。疑問は二つあった。まず一つ目は朝が弱いはずの凛が何事もないかのように厨房に立っていたことだ。そして二つ目は何故ホットケーキを作っていたのかだったのか。分からない。悩みながらも食材を吟味することは止めていない。
士郎――
はっきりと聞こえてきた声はどこか懐かしいような気がした。しかし、辺りを見回してもいるのは専業主婦といった人たちだけだった。聞こえてきた声は男性の特徴ある低くても
軽く弾んでいたあの切嗣の声に似ていた。いや、士郎は切嗣の声だと確信していた。がよくよく考えてみると切嗣はもうこの世にはいない。何年も前に息を引き取ったはずであった。士郎は何故こんなことも忘れてしまったのかを考えた。
セイバー
10年前に切嗣と一緒に聖杯戦争を駆け巡ったというセイバーが身近にいたためだと思い至った。切嗣の話はセイバーとよく話した。そのせいで士郎は切嗣はまだこの世界にいると思い込んでしまったのである。よくよく考え直しても変な違和感しか沸きあがってこない。いくらなんでも切嗣が死んでしまったことを忘れていたことに対してあまりにもおかしいと思っていた。
「ふぅ・・・最近疲れてんのかな?まぁ明日からちょっとした気分転換もできるからちょうどいいや。」
士郎は何事もなく冷凍食品コーナーで20%引きとシールが張られているシューマイに目を戻した。
「でどうしてこうなったんだ?」
士郎が帰宅して放った第一声がこれだった。家の中には。
服、服、服!!!!!!
兎に角そこら一面に広げられた服の枚数は頭が痛くなるような色とりどりのものから、目を逸らそうとしてもつい見てしまうような大胆に面積の少ない服。歩く場所も考えないと危ないような衛宮宅では女性人の声が響いていた。
「明日これとこれと・・・あっこれも詰めこんでっと!」
「桜それとって。」
「はい」
「ありがとう。」
「凛。これはサイズが合わないみたいです。」
「確か同じ種類のが廊下にあったような・・・」
「私探してきます。」
「お願いします。」
スッと襖の開く音。桜は下を向いていたので士郎には気づいていない。丁寧に丁寧に探しているおかげで桜の周りは歩きやすそうなスペースが出来ていた。
「えっと・・・白色のスカートは・・」
士郎は目線を下へと向ける。そこのはチャック付きの白いロングスカートがあった。それは絹製で風通しが良さそうな作りになっている。士郎はそれを手にとって桜に聞いた。
「桜・・・それってチャック付いてるロングスカートのことか?」
「そうですよ先輩。」
ひょいひょいとバランスよく服の隙間を歩いていく。そして桜に持っていたスカートを渡した。
「あっ先輩ありがとうございます。」
「どういたしまして」
桜は士郎を見上げた。士郎は桜を見下ろした。そんな形のまま2分3分と過ぎていく。
とここで桜の顔は少しずつ変化していく。士郎はただ桜を見ていた。持っていた買い物袋などはとっくの昔に忘れてしまったかのようだった。
「・・・・・・・・・先輩怒ってますか?」
「・・・・・・・・・なにが?」
桜の顔は涙目になりながら走り去ったと思いきや散らばっている衣類のせいで盛大に転んだ。まもなくして、再び襖が開く。
「何があったの・・・・・・・桜・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・士郎これにはわけがあって・・・・」
「・・・・・・・・・・」
襖から顔を出した順に説明すると凛は士郎が目の前にいることで現状を把握してしまって顔が固まっている。藤ねえは目を逸らしながら何か言い訳じみたものを探していた。セイバーに至ってはもう何もいえないようだった。そして桜は涙声ながらも独り言のように士郎に謝り続けていた。
(明日から気分転換のために行くつもりだったけど・・・・・・大丈夫なのか?)
などと考えていた。