彼女と一緒に生きると決めた日から、やばい事はいくつもあった。

語られた夢。

語られなかった幻想。

全てをひっくるめて、僕は今日も生きている。

屍人は喰らう生者の心

巻之捌：[黒桐：解釈・介錯]

「そうだな､まずは何から話そうか・・・。」

椅子に座り込んだ橙子さんは紅茶を啜りながらこちらを見回してくる。

だが､その状態はお世辞にもいいといえる状態ではなかった。

どちらかといえば、悪い､のほうに近い。

正直､橙子さんのこれほどに焦燥しきった顔を見たのは彼女が風邪を引いて寝込んでしまった日以来だ。

眼に生気は無く、何か諦めきってしまっているようにも見える。

「ああ､うん､そうだな・・・。まだ鮮花も着いていないことだし、まずはそれの説明から始めようか。」

言いながら、橙子さんは左の指先でちょいちょいと浅守の方を指差した。

ソファの上の少女はそんな事も知らずに眠りこけている。

さっきまでいいようにいじられていたわりには割と綺麗な眠りのようだった。

「それと言うのは、その子の裏の顔､ということですか？」

「裏の顔というほどたいそうなものでもないよ。そもそも大体の事は黒桐､君が調べた資料の中に既に入っているようだし、あれ自体はそれほど危険なものじゃない。」

言って､橙子さんは俺の懐に入っている資料の束へと顎をしゃくった。

「ただ､それでもあれには通常では有り得ない魔術師としての顔がある。それが何を意味するのか､それとも意味など持っていないのか､そんな事はわからないが､それでも聞く価値ぐらいはあるだろう。そちらの少年にとってはつまらない事かもしれないが、巻き込まれてしまった以上最後まで付き合いたまえ。」

彼女の言う所の「意味」とは､最終的な結論の事だろう。

何故彼女が壊れてしまったのか。

死んでしまったはずの彼女が何故ここにいるのか。

その､説明。

「そもそも浅守というのは前回の浅上家と同じ浅神の分家筋の一つなんだが、まあ浅上なんかとは比べ物にならないぐらい小さな分家でな。浅守神社という小さな神社とその界隈一体を任されている他にはこれといった金も地位も持ってはいない。その神社にしたところで祀る神は宇迦之御魂神、俗に言うお稲荷様だ。浅神の血筋のものが祀るにしてはありきたりだし､それといった面白い事も無い。・・・この辺りの事は､当然調べてあるな､黒桐？」

「ええ、まあ。」

こき下ろす､というか､ただ貶しているだけ､というか。

橙子さんの口ぶりからは、その家を侮蔑している様子がありありと窺えた。

小さいとは言え､その敷地は山一つを囲うほどに及ぶというのに。

でも､それに伴って調子を取り戻しつつあるらしく､普段の厚顔不遜な顔が少しずつ顔を見せ始める。

「ただ、今代に限ってのみ見れば､その限りでもなかった。浅神の家系のしきたりのようなもので､あれも他所から仕入れてきた巫術師なんだが。話に聞いていた限りにおいて言えば、憑依型。それもかなり特殊なタイプだったらしい。」

それでも・・・と、なんでもないことのように橙子さんは言葉を紡ごうとする。

だが､その中に引っかかるものがあった僕は､迷うことなく話を止めた。

「ちょ、ちょっと待ってください。憑依型ってことは､誰かに取り憑く､ってことですか？｣

例えばそれは生霊とか、呪い殺しとか､そういったことができてしまうということなのだろうか？

そのような事を想像し､少し怖くなる。

この辺り､鮮花あたりならば何も聞かずに理解できてしまう範囲なのかもしれないが、僕では理解できない所のほうが多い。

「何を言っているんだ？黒桐。憑依型というのは自分から行くものじゃない。誰か､もしくは何かを自分を触媒として呼び込み､その能力を使役するものの総称だよ。ヨーロッパでは悪魔憑き、日本では恐山のイタコなんかも同じ類のものだ。魔術師としちゃ出来損ないみたいな連中でね､本人の意思に関係なく周囲の概念を吸収しちまうもんで､何処かしらいかれた奴が出来ちまう。しかもそこまでして憑依させて､ちょっと間違えれば体ごとおじゃんだ。」

そのなかにあって、あれは人や動物なんて生半可なもんじゃなく､直接的に神を降ろしていた。

橙子さんは､説明の最後にそう付け加えた。

それで今まで何処も壊れていなかったんだから不思議なものだ､とも。

「・・・よく､分からないんですが・・・神降ろしは､巫女の仕事ではないんですか？ 何処の神社に行っても､神降ろしは執り行っていると思うんですが・・・。」

「あれは神に対しお伺いを立てているだけで､直接その場に呼び出してくるわけじゃない。そんな事をすれば正月の神社は大変な事になってしまうだろう。同じ神を同時に降ろすことになるんだから。」

「あ・・・。」

そう、か。

その点においてのみ言えば､神の存在性は西洋でも東洋でも変わりは無い。

彼らは常に見守るものであり、姿をあらわすことはごく稀だ。

「だが浅守は、あの家はそれを捻じ曲げた。殆ど概念の塊みたいな存在である神と無理やり契約し、その力を現世で使う事に成功した。」

「神との契約・・・ですか。」

「そう。ゴッドコンフリクト・・・『神使協定』なんて呼ばれていたがね。等価交換の原則からすれば､反則みたいな能力だ。何しろ彼らは二千猶予年の昔からありつづけている概念。存在の重さが､現在の魔術なんかとは段違いだ。あれを潰そうと思うのなら同クラスの概念、それこそ神か悪魔か､もしくは２７祖クラスの死徒か・・・そんなものをぶつけるしかない。」

吐き捨てるように､橙子さんは話しつづける。

自らも協会から追われ死からの復活でさえ果たしてしまうほどの魔術師でありながら、その彼女が異常と呼ぶほどの能力。

それがどれほどのものであるのか､僕の如き若輩者では想像することさえ出来なかった。

分かるのは､それがどう転んでもまともな能力などではありえないという事。

ただの人探しでしかなかったはずのこの事件が、初めからいかにも僕たち好みな、殺伐とした事件になりうる可能性を十分に秘めていたということ。

「で、だ。｢えっと､それって､こいつも浅上藤乃みたいに､いっぱい人を殺してるって事・・・っすか？」

続きを始めようとする橙子さんの言葉を、湊啓太が遮った。

話の内容はわからずとも、浅上藤乃との間に起こった一連の事件の事を思い出してしまったのだろう。

振り返ってみれば､若干顔色も悪い。

「話の腰を折るものじゃないな､少年。・・・しかし､人殺しね。」

橙子さんの言葉に、湊啓太はごくりと息を飲んだ。

「ははは、有り得ない、とは言わないがね。ただ、さっきも言ったようにその子は憑依型で、それ単体では何も出来はしないんだよ。ナイフやら鉄砲やらで武装しない限りは､その辺の何処にでもいる女子高生と何ら変わりはあるまい。神社で囲われていたころならばともかく、家出中の女の子がそんな事をするなんて事は､私には考えにくいがね。」

安心させるような意味合いでも有ったのだろうか？

橙子さんは､普段ならば絶対に使わないような優しそうな声音を使った。

ただ、思考回路としても行動としても正常なはずなのに、眼鏡をかけていない状態の彼女が常識的な対応をすればやはり違和感がある。

「・・・ふむ、らしくない事を言ってしまったな。私は普段はこんなキャラクタじゃないというのに・・・いや､青子の奴に眼鏡を取られてからどうも混ざるようになりつつあるようだ。失敬失敬。」

本人もその事については十分自覚的だったらしく、笑いながら頭を掻く。

だが、聞き逃してしまいそうになったものの今の科白はかなり重要だ。

単体では何もできないというのであれば､彼女には番になるものがいなければならない。

そして､その番になれるような存在など､自分の知る限りにおいては一人しかいないのだ。

「・・・浅守・・・御影。」

「さすがに鋭いな､黒桐。そう、彼女は元々日本の巫女の血筋の最高結晶とでも言うべき巫淨の家の生まれでね。本来ならば浅守のような地方の神社の家系に入るような家の出じゃあないんだが、どういった理由からか浅守の家に入り・・・そこで召喚師として覚醒した。依り代と神霊。その両方が揃ってしまった。」

一度間を置いて､橙子さんは最後まで飲み干してしまったティーカップを机の上に置いた。

その間に､思考を整理する。

召喚師――憑依型――浅守――巫淨

彼女について調べていた時点においては単体では意味を持たないか､持ってもほんの微かだったはずの言葉の連鎖。

そのはずなのに､今はそのつながりが見える。

「・・・おかしいとは､思っていたんです。」

ややあって、僕は慎重に言葉を選びながらこれまでの経緯を橙子さんに明かしていった。

お金なんて殆ど持っていないはずの浅守が、浅守遙を探すというその一時だけでそれこそ数え切れないほどの興信所や財閥に対し捜索願を出していた事。

どれだけ調べても、ろくな情報が引き出せなかった事。

調べているうちに､何度も襲撃を受けていた事。

それもこれも､あの子にそれだけの価値が､もしくはそれ以上の価値が､あったからだとすればすぐに合点がいく。

「あの子は・・・信管の無い爆弾みたいなものなんですね？」

「そういうことだな。だいぶ分かるようになってきたじゃないか､黒桐。」

橙子さんはねめつけるように男衆二人を見回し、うんうんと肯いてみせた。

その上で、芝居っ気たっぷりに煙草に火をつける。

馬鹿にされている事はすぐにわかった。

分からない筈が無いのだ。

これだけのヒントを与えられて､分からないだなんてどうかしている。

どうかしているのだけれど――そこで､僕の思考は止まってしまった。

どうする事で全てにとって最も良い未来を導き出せる？

何もかもが始まる前に終わってしまった今､このあまりにも危険な存在をどのように扱えば良い？

そこに、答えが見出せない。

見出せないままに､橙子さんに話の続きを促そうとする。

だが――そこから先が､橙子さんの口から齎される事は無かった。

彼女の目線は、僕のさらに後ろを捉えている。

少し不吉なものを感じ咄嗟に後ろを振り返ると、額に青筋を浮かべた妹がすぐ後ろに立っていた。

「あら兄さん、三日ぶりぐらいかしら？」

十中八九なんて言葉も必要としないような確信犯の癖に、彼女はまるで今初めて俺の存在に気付いたかのように振舞っていた。

ちなみに、湊少年の事はいないものとして扱う事に決めたらしい。

以前の事件の経緯を知っているということも有るのだろうが、目線さえ合わせないというのは少しかわいそうな気もする。

「ああ、久しぶりだね、鮮花。」

軽く手を上げ、現れた妹の挨拶への答えとする。

彼女はこのところ隠遮の技術を身に付け始めたらしく、真後ろに立たれても気付く事が出来ない。

これでもまだ式には気付かれてしまうそうだが、一般人が持つには十分すぎる技能だろうと思う。

「ふん、ようやく到着か、鮮花。だいぶ遅かったじゃないか。」

どうやら呼び出した当人らしい橙子さんは肩をすくめながら現れた鮮花の顔を見上げる。

燻らせた煙草の火がゆらゆらと揺れ、紫煙は壁の排気口へと一直線に流れていく。

その煙の通り道にいた鮮花は流れてきた煙に一瞬顔をしかめ、血相を変えて一直線に橙子さんへと向かっていった。

何が起ころうとしているのかの予測がつかず、僕も湊少年もただ事の成り行きを見ていることしか出来ない。

「どうしてここに煙草があるのでしょうか？橙子師。」

僕は生まれて初めてどすの利いたソプラノ、というものの存在を知った。

鮮花の口はまるで謡うように自らの師を脅しつける。

「禁煙するって言ってたのはつい一週間前の事じゃないですか。長く持つとは思っていませんでしたが、お客人が来ている時位は自分の言葉に責任を持ってください。」

言いながら、鮮花の手は火のついたままの煙草を摘み上げてしまった。

突然の成り行きにきょとんとしたまま見上げる僕達の目の前で、彼女は先ほどまで火のついていた煙草をくしゃくしゃと丸めて捨ててしまう。

火がついたままだったはずの煙草を素手で丸めてしまった事に、湊少年の目が見開かれた。

そう言えば、彼は鮮花が魔術師である事は知らない。

「硬いことを言うな。この味がわからないというのはやはり人生の半分を損する事になると考え直しただけの事だ。」

「煙草の煙は、それを吸うだけで害になるんです。吸うなら一人で吸ってください。」

先ほどまでのシリアスな空気は何処へやら。

開き直った橙子さんを相手取り、鮮花は互角の、というか、甚く幼稚な口論を続ける。

ちなみに彼女の言う所の客人というのは浅守遙の事であり、湊少年の事ではありえない。

「だいたい今日は平日です。年中暇人の兄さんはさておき、私は学生なのですよ？｣

「・・・なるほど、違いない。ああいや、それを差し置いても君は受験生だったな。なるほど、これは間が悪かった。」

失敬失敬・・・と口では言っているが、橙子さんは反省の素振りは見せていない。

鮮花も長い付き合いの中でそれぐらいのことは理解いているから、それほど長く責めはしなかった。

「で、一体どのようなご用向きですか？橙子師。知っての通りそれほど暇ではないので、手短に終わらせる事が出来る内容であればいいのですが。」

一頻り口論を続けた後、鮮花はようやく本題に入ろうとする。

だが――

「ああ、いや。別に用なんてものは無いんだ。黒桐から事前連絡が入るなんて珍しい事があったもんでな。何か面白そうな気配がしたんで一応呼び出してみただけだよ。」

飄々と、嘯く。

それはそれで彼女らしいといえばらしいが、呼び出された当人にしてみればたまらない事だったのだろう。

「ふっざけないでください！！」

間髪をいれず、ぶち切れた。

あとがき・・・？

書く気がしないので寝ます。