どうしようもない虚構にまみれたまま、彼は私の身体を抱いた。

 

痛いといっても離さず。

 

やめてと言ってもやめず。

 

ただ一言、許せと言って私の中にやや子を注ぎ込んだ。

 

抵抗する事は易く、逃れるだけならば、もっと易かったと思う。

 

だが、できなかった。

 

そんな事をすれば彼がどこかに行ってしまいそうで。

 

彼が私の下を離れていってしまいそうで。

 

それを想像した途端、彼のもとを逃れられなくなった。

 

 

 

 

 

狂鬼に酔いし武士の笑み

巻之伍:[巴:血花散華]

 

 

 

 

 

 

「う・・・ああ・・・うああぁぁっ・・・・。」

 

夜の闇の中、私は一人で泣いていた。

 

泣く?

 

哭く?

 

何でもいい。

 

もはや言葉が意味をなす段階ではない。

 

涙が止め処なく溢れ、心が軋みをあげる。

 

怖かった。

 

痛かった。

 

悲しかった。

 

体に残っているのは異物感。

 

虚脱感。

 

耐えられぬ程の・・・痛み。

 

矢を貰っても闘いつづける事のできる体だというのに、この痛みは何だと言うのだろう?

 

下腹部に残る痛みが熱を持ち、煉獄の火炎の如く体を蝕んでいく。

 

言葉を知らなかったわけではない。

 

行為を知らなかったわけでもない。

 

知らなかったのはこの痛み。

 

身体を被う、このどうしようもない痛み。

 

「あ・・・ぁっ・・・ぁぁぁっ・・・・。」

 

何故あんな事をしたのだろう?

 

何故受けてしまったのだろう?

 

疑問は疑問のまま。

 

分かっているのにわからぬふりをして、現実から目を逸らして。

 

しゃくりあげるような泣き声は、布団の中へと消える。

 

――――痛い。

 

その傷は矢傷などよりはるかに小さく。

 

――――痛い。

 

弱き人でさえ、誰もが知る痛みだと言うのに。

 

――――痛い。

 

何故、こんなにも痛むのだろう?

 

――――痛い。

 

ずきずきと、その痛みはまるでこの身を嘆くように。

 

――――痛い。

 

身体を裂き、心を裂いてなお痛む。

 

・・・・何故?

 

何故、恋とは、これほどに痛いものなのだろうか?

 

これほどの痛みに耐えねば、成就せぬのだろうか?

 

――――義仲・・・様・・・――――

 

愛しているのだと。

 

一度告げたにもかかわらず、想いを口にできず。

 

私だけを見てほしいと。

 

儚い夢は言葉にならず。

 

怨むわけにもいかず。

 

怨むわけにはいかず。

 

怨む事など、できよう筈もなく。

 

「義仲様ぁ・・・。」

 

涙は零れ、乾き、ただ、彼を呼ぶ言葉だけが残る。

 

一人。

 

何処にいても。

 

如何なる時も。

 

友も、それどころか同種のものさえおらず、常に一人。

 

それは悪夢。

 

覚める事の無い、永遠の悪夢。

 

蝕み、蝕まれ、いかなるものをも喰らい尽くす。

 

今宵だけは共にいてほしかった。

 

この不安に流されぬよう、じっと手を握っていてほしかった。

 

満たされた刻が終わった時痛むのは、なにも身体だけではないのだ。

 

 

 

 

 

――――巴、今宵、人払いをしておけ――――

 

始まりは、いつもと同じそんな言葉だった。

 

裏山での鷹狩の帰り、彼は、まるで何か決意を促すかのように強い調子でそう告げた。

 

だが、私はさして気に止めるような事はしなかった。

 

彼は私の部屋へあそびに来るとき、必ず人払いを命じてから来る。

 

今日だって、それは同じ。

 

変わらず。

 

替わらず。

 

いつまでも不変。

 

そう思っていた。

 

「それでは、お待ちいたしております。」

 

一同の手前、飛びあがって喜ぶような事はできないが、本当ならそれぐらいしてもおかしくなかったと思う。

 

最近の彼は山吹や他の女官たちと共にいることが多く、私とともにいる機会が少なかったのだ。

 

そのことで彼を責めるつもりは無かったが、内心やはり寂しいものがあったのもまた事実。

 

「亥の刻の終わりのころそちらに行く。灯りは絶やすな。」

 

小さく手を握り締め喜びを噛み締めていたとき、普段ならばあり得ないもう一つの付言があった。

 

それでようやく、今日の彼の様子がおかしいという事に気付いた。

 

亥の刻とは、人である彼にとって少しばかり遅すぎる。

 

別におかしすぎると言うほどおかしくも無いが、昼の獣のその殆どがその時間には眠りに入るだろう。

 

人とて昼の獣。

 

よしんばその時間まで起きていられたとしても、共にいられる時間は少ない。

 

「・・・もっと早く参る事は、かないませぬか?」

 

亥の刻の終わりから翌日まではほんの一刻しかない。

 

もっと長く、彼といたい。

 

彼と話をし、彼の野望を聞き、彼に甘えたい。

 

そのような私の望みは一刻や二刻共にいるだけでは到底かないそうに無かった。

 

だが、彼はそれで話は終わりだと言わんばかりに首を横に振っただけで馬を走らせて行ってしまった。

 

「そう・・・ですか。」

 

その真意がわからずとも、そうされては私は待つしかない。

 

結局私は指定された刻まで身の世話をしてくれる女官も、話し友達となってくれる武人もいないままずっと一人で過ごす羽目になった。

 

が、それでもそのときが来るまでは私は本当に幸福なときをすごすことができた。

 

来るかどうかと気を揉ませるよりも、来ると分かっている人を待つほうが、よほど幸福だった。

 

「巴・・・。」

 

だからこそ、扉が開いたとき、私は卒倒しそうになった。

 

目を血走らせ、息は荒く、久しぶりに見た、人としての感情を顕にした顔。

 

「義仲・・・様・・・?」

 

その顔は、始めて自分が鬼だと名乗ったときの、その驚愕にも等しかったと思う。

 

なんと声をかけてよいのかさえも分からぬ程の鬼気迫る表情でありながら、目を合わせようとすると怯えたように両の目をそらす。

 

「ッ・・・・あがるぞ。」

 

言うなり彼はずかずかと部屋に上がってきて、私の隣に腰をおろした。

 

その顔が、必要以上に緊張している。

 

声をかけられるような雰囲気ではなく、私は口をつぐんでいた。

 

不思議な沈黙が部屋の中に満ち、ろうそくの明かりに照らされて並んだ二人の影がゆらゆらと揺れる。

 

シン、と言う音が聞こえるほどに静かな夜。

 

獣の声は聞こえず、人の声もなく。

 

鳥の声も蟲の這う音もせず。

 

静かで

 

靜かで。

 

全てを退ける結界の中に隠れている身には敵など在ろう筈もないというのに。

 

周囲の闇はどこか緊張を孕み。

 

私の本能は眼前の男を敵だと告げる。

 

もはや餌ですらなく、敵であるのだと。

 

恐怖と共に、体が距離をおこうと遠ざかる。

 

「巴、なぜ逃げる? 逃げるな。」

 

「・・・・・・はい。」

 

だが、私が安全な距離まで逃げるよりも早く、義仲の手が寝間着の袖を掴んでいた。

 

まるで妖怪の手に引きずられるように、半強制的に私の身体は部屋の中央にまで引き戻される。

 

こんな事も珍しい。

 

「お前、いつだったかややがほしいと言ったな。」

 

「・・・・・・?」

 

強い調子の義仲の言葉に少し首を傾げる。

 

そのようなことも、あっただろうか?

 

返事をいったん保留し、ゆっくりと記憶を呼び覚ましていく。

 

幸い、その記憶はさほど薄れたものではなかった。

 

あれは・・・まだ胡蝶がそばについていたころ。

 

あの日、胡蝶と共に街に出て、その帰りに母親の腕に抱かれた乳飲み子を初めて愛おしいと思う事ができたのだ。

 

「あのような幼き者が、いずれはこの地を耕し、国を守るというのですから・・・不思議ですね。」

 

普段は無口な胡蝶がかみ締めるように呟いたその言葉を、私は未だ覚えている。

 

あの時は・・・確かに、ややをほしいと思っていた。

 

――――義仲様、私も・・・自分のややが欲しゅう御座います――――

 

――――な、お前、何を言ってるんだよ! こら胡蝶、お前巴に一体何を吹き込んだ!!――――

 

屋敷に帰ってややがほしいと告げた時の義仲の顔は、早々忘れられるものではない。

 

真っ赤になって何の罪もない胡蝶を問い詰める様は、彼は怒るかもしれないけれど、可愛らしくもあったものだ。

 

だが、それが何だというのだろう。

 

「確かに、申しましたが・・・。」

 

「今でも、ほしいと思うか?」

 

「・・・・・・ええ。思います。」

 

あの愛らしい乳飲み子をこの手に抱いてみたいのかという問いであれば、抱いてみたい。

 

あのようなめんこい子供が、いかにして大きくなっていくのか。

 

その一部始終を見届けてみたい。

 

だがそれは、女なら誰でも思う事なのではないだろうか?

 

人・鬼に限らず、いかなる獣も、鳥も、みな自分の子供をその手に抱きたいと願うのではないだろうか?

 

「・・・・・・・・・そうか。」

 

ごくり、と。

 

義仲が唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。

 

それが張り詰めていた空気の糸が切れる音だったと気付いたのは、ずっと先のこと。

 

「なら、俺がお前の望みをかなえてやる。」

 

「?・・・ッ!!」

 

言うなり、彼は私の肩に手をかけ強く押し倒してきた。

 

その動作はあまりに自然で、気配が感じられず。

 

力では勝っていると言うのに、私は受身を取る間もないままに綺麗に組み敷かれてしまう。

 

「義仲様! 何を!!」

 

意思など関係なく叫び声をあげてしまっていた。

 

だが、義仲はそれすら意に介さずに私の服を脱がせにかかっている。

 

乱暴で、がさつな手の動きに普段厳しさの中にも垣間見える優しさはなく、びりびりと服のどこかが破れる音が聞こえた。

 

血走ったその目に、普段の理知的な焔はない。

 

「義仲様! 狼藉はおやめください!」

 

恐怖に駆られ、剥ぎ取られそうになった服を引き戻しながらもう一度叫ぶ。

 

それでも義仲は両の掌をはだけた寝間着の隙間から突き入れ撫で回すというその狼藉行為をやめようとはしなかった。

 

いつもの優しい抱擁ではなく、荒々しい愛撫が・・・続く。

 

「ッ! やめろ! 駒王丸!!」

 

嫌悪と恐怖から、つい昔の呼び名で呼んでしまった。

 

呼んですぐに、それが失態であったと気付くが・・・もう遅い。

 

「・・・駒王丸?」

 

圧し掛かっていた義仲の手が止まり、興味深げにこちらをのぞきこんでいた。

 

普段と同じ義仲の顔が、そこにある。。

 

「誰の事だ、巴?」

 

「・・・・・・。」

 

「・・・ちょっと落ち込むな。そうか、巴はまだ俺の事子供だと思ってたんだ・・・。それじゃあ怒るよな・・・。」

 

違うと言えば、またからかわれるのだろう。

 

唇をかんで失態を恥じても、目を逸らす事は許されず。

 

ニヤニヤといじらしげに笑う義仲の顔が憎かった。

 

「けどな、巴。俺だって成人したんだ。・・・もう子供ではないつもりだ・・・。」

 

もう完全に義仲は普段の調子を取り戻している。

 

「皆の手前、面子と言うものもある。・・・分かってくれぬか?」

 

「・・・・・・・。」

 

どこかわざとらしくも思える義仲の土下座を見てまず、ずるいと思った。

 

そんな事を言われたら。

 

そんな事をされたら。

 

私には抵抗なんてできなくなる。

 

それがわざとで、本当はぜんぜん違う事を考えていたとしても、そのことを知ってなお信じてしまう。

 

「俺は、鬼の子がほしい。・・・源の子として、鬼の子がほしい。」

 

言葉に返事を返そうとするよりも早く、義仲の唇が私の唇を塞いだ。

 

 

 

 

 

 

あとがき&用語集

 

『やや』(用語)

 子供、特に赤子の事。よってやや子(赤子の元)で精子の意味となる。・・・別に解説する必要はないと思うが一応。

 

『亥の刻』(用語)

 午後九時〜十一時。子の刻(午後十一時〜午前一時)から始まり、二時間後との区切りで十二支の順に進む古代の時刻法をそのまま適用している、さらにそれぞれの二時間を四分したものでもう少し小さな範囲にまで絞り込む事ができ、一つ、二つ、と数える。 例『丑三つ時』(午前二時〜二時半)

 

『めんこい』(方言)

 標準語として入れたつもりだったが、辞書に載っていないという事実から察するにどうやらどこかの方言だったらしい。意味は「可愛らしい」。

 

 

 

誰か読んでいる人がいるのかと本気で疑い始めた今日この頃、暑い日が続いていますが皆々様方はいかがお過ごしでしょうか?最近友人にお前の作品は長い上に読みづらいといわれて少々落ち込んでいるダークパラサイトです。

 

が、私はへこたれません。

 

たった一人であっても読んでくださっている方がいる限り(今の所いないけど)この作品は続く・・・と思います、確証はありませんが。

 

ではこのようなところで今日は眠いのでまたいずれ。

 

アディオス!なのです!!

 (現在時刻 虎二つ)