日の光は心地よいですか？

冷たい水は体の火照りを冷ましてくれますか？

翌日の日が昇るまで、月を眺めた事はありますか？

草原の中で眠った事はありますか？

闇に怯えたころを、あなたはまだ覚えていますか？

あなたの横にいる人が、本当に自分にとって大切な人になったのがいつだったか、答えられますか？

全てにYESと、答えられますか？

狂鬼に酔いし武士の笑み

巻之参：[巴：狂愛]

ザアアァァァァッ―――

滝の音が心地よく耳を打った。

ピーヒョロロと鳶が舞い、ジジジッという刹那的な音を残し蝉が飛び上がる。

池の水はその深さよりずっと深い青に見え、ただ時折、小魚たちが腹を翻したときに反射させる日の光が、池の彼方此方を宝石のように光って見せる。

茂みに吹き込む風は野兎と共に謡い、木々の隙間から差し込む陽光は帯となって私の頭上にも差し込んでいた。

その光の下で、一枚、また一枚、と着物を脱ぎ捨ててゆくのは一種の性的な快感すら伴うものだ。

見られていることを意識すればするほどに秘芯は濡れ、愛液はその粘度を増していく。

そのことをはしたないと感じながらも、身体はますます熱く燃え上がっていった。

その身を冷やしてくれるはずの冷たい池の水も私の身体には靡毒としてしか働かなかった。

そう、陽光も、水も、私にとっては毒・・・だったのだ。

ほんの少し前までは。

腰まで水に浸かり池の水を全身に浴びせながらそんな事を考えていた。

藍に染められたもの。

朱に染められたもの。

水面に広がる着物はどれも、陽光の下ではより一層映える。

夜の光は弱かったから、こんなに綺麗には見えなかった。

いまさらの事のようにそのことに感動する。

訓練している間ずっと日の光の下に出ていたはずなのに、今日までそんな事を感じようとする事は愚か、気付く事さえなかった。

ようやっと、余裕が出てきたといったところだろうか。

蝉の羽化のように。

あるいは甲殻類の脱皮のように。

旧き殻を捨て、剥き身の姿へと戻っていく。

その上でゆっくりと長く伸びた髪を水の中に漬け込んでいった。

パシャン――――

集められ水を吸う事で質量をもった髪は水に落ちると彼岸花のように外へ向けて広がっていく。

突然出現した漆黒の彼岸花に驚いたのか、こちらへと泳いできていた魚が慌てて踵を返し、池の深みへと帰っていった。

暫くその姿を追っていると一瞬腹を翻しギラりと光ったかと思うと、どこか大きな石の下へと消えてしまう。

後にはさっきまでと同じ、静かな湖面が残されていた。

その中で自分の髪にゆっくりと櫛を通していく。

心なしか普段よりよく通る気がした。

その事に気をよくし、何度も何度も櫛を通していく。

―――ハァ―――

途中、池の傍らから小さく溜め息を吐き出す音が聞こえた。

何事かとあたりを見回し、池の傍に侍る従者の事を思い出した。

そちらに目をやると狩衣に身を包んだ少年の凛々しい目がこちらを見上げていた。

普通なら覗きか何かと間違えそうなものだが、あいにく大声をあげるには及ばない。

この少年、よくよく観察してみなければ分からない事だが女なのだ。

水を払うための布を持つ手は白く細いし、何より胸に当たる狩衣が柔らかな脹らみによって微かに持ち上げられている。

夜の海の如き青みがかった黒髪も、言われてみれば普通の男のそれよりも明らかに細くしなやかで、何処となく気品があった。

木曾の山の中で育ったにしてはなかなかの美少女というのが総じた評価だろう。

ただ、義仲はこの少女を私に侍らせるにつけてその名前しか教えてくれなかった。

名は、胡蝶。

それ以上の事は何も分からず、本人もまた何も語ろうとはしない。

常に影のように付き従い黙々と身の回りの世話をこなし、与えられた仕事は全て忠実にこなす。

それゆえに、今日この瞬間まで、私は彼女が自分から喋ろうとするところを目にした事がなかった。

こちらが何か言おうとする前に全ての仕事をこなしてしまうので言うべき事が見つけられないのだ。

そう、溜め息でさえ、彼女のそれを見たのはこれが初めてだった。

「胡蝶？」

なんとなく興味を持ち、名を呼ぶ。

理由など無い、ただの気まぐれ。

だが、少女はこちらの想像以上にうろたえて見せた。

目を見開き、手にもった白布を落としかける。

こんな姿を見ることができるのは、後にも先にもこれが最後かもしれない。

じっと見つめていると彼女は羞恥からか赤くなった顔をついッと背けてしまった

「な・・・何でしょうか、御前様。」

急ぎその場を取り繕うとしたのが丸分かりの言い訳が可愛らしい。

顔は向こうに向けたままだったがこちらを意識している事は一目瞭然で、こんな仕種もできるのか、と、漠然とそう思った。

普段はその服装などもあり、ともすれば男のように扱っていたが、こうしていると年頃の女の子にしか見えない。

最も、上げ髪をしていないのだからまだ子供といえばそのとおりでしかないのも事実だ。

そんな事を考えているうちに気付いた。

よく考えれば、私も胡蝶をよくよく観察したのなどこれが初めてなのだ。

出会って未だ一月足らず。

その間にあったことなどたかが知れているのに、彼女を一つの枠の中に収めようとしていた。

・・・愚か極まりないことだ。

人は移ろいゆくもの。

どのように意固地に見える者もどこかに良心を持っているし、どのように心優しく見える者もどこかに欲望を隠している。

・・・そう、駒王丸・・・義仲でさえも。

「・・・何を慌てている？胡蝶。」

ともすれば暗い方向に走ろうとする思考を私は胡蝶に話し掛ける事で強引に押し上げた。

考えてもせん無い事なのだ。

今は胡蝶との会話を楽しみさえできればいい。

そう思い半分腰をあげ、腰を落としている胡蝶と目線を合わようとする。

が、私のそんな思いを知ってか知らずか、胡蝶は決して私と目を合わせようとはしなかった。

背けた顔をそのままにじっと此方を窺うような息遣いが感じられる。

「慌ててなど・・・おりませぬ。」

結局、顔はあらぬほうへと向けたままで拗ねたような声で返事が返ってきた。

その様子が私の心の奥底にあった嗜虐欲を否応無しにそそる。

「・・・嘘吐き。」

試しに罵ってみると男にしてはやけに幅の狭い肩がびくりと震えた。

そして恐る恐る、窺うように此方に顔を向ける。

・・・結構、いや、かなり楽しい。

「私の肢体に見とれた？」

「いえ、そのような事は決して・・・。」

大げさに両手を振り、慌てて否定する。

その仕種で彼女がこの会話を楽しんでいる事が理解できた。

普段の彼女はもとより、その辺にいる有象無象の娘でも嫌っている人間相手にこのような仕種は見せないであろう。

そして、私は人間のそんな姿も以前見てから久しかった。

義仲は、此方が憮然とするほどに冷静沈着だから。

此方の考えなど汲んではくれないから。

・・・いけない。

また、だ。

また彼の事を考えている。

考えても仕方が無い。

・・・分かっているはずなのに。

「そうだな。・・・おまえは「男」だものな・・・。操立てする意味ではこんなところにつれてくるべきでもなかったかな？」

心の中で落ち込んでいてもこの会話を途切れさせる気は無かった。

わざと取り立てて明るく振舞い相手の反応を見る。

だが、それは全て本来の意味からは離れたものだ。

心の不安を相手に悟らせないように。

相手がそれに気付いてしまわないように。

自分の心を悟らせぬために相手の目を見る。

「場を・・・外しましょうか？」

胡蝶の目が揺れた。

どうやら男であるといわれた事を気にしているらしい。

そんな気まぐれできめたような定めなど、気にせずともよいというのに。

「いい。そこでいろ。」

言葉だけで制すると胡蝶は黙って伏礼した。

黒髪がさらさらと地面に向かって流れ落ちる。

長く草陰に留まっていた事で髪に溜まっていた水の雫が池の水面に落ち、パッと飛沫を上げた。

「なら、恋文でももらったか？」

ビクン、と、下を向いたままの胡蝶の肩がまた震えた。

軽い冗談のつもりだったのだが、どうやら図星だったらしい。

「な、な・・・何の事・・・ですか？」

彼女自身は勤めて冷静に答えたつもりだったろう。

が、みっともないぐらいに狼狽し顔を赤面させたその姿は図星を突かれたと告白しているに等しかった。

言われてみればさっきから両手を後ろに回したまま前に出そうとしていない。

おそらくはそこに貰ったものが握られているのだろう。

「誰から？」

周囲に人がいるわけでもないのに自然と声が囁くようなものになった。

それでも胡蝶は答えてはくれず、真っ赤になった顔を横に振るばかりである。

まあ、いいか。

自然とそう思えた。

何れにせよまだ人間の事については詳しくない。

だから何処の誰かをいわれても分からないだろうし、そんな事に本当に興味があるわけでもない。

ただ、自分からこんなに身近なところにそんなものを貰っているような人間がいるということにびっくりした。

それだけの事だ。

胡蝶の様子を見る限りにおいては脈はあると考えていいだろう。

だとすれば私と同じ。

きっと胡蝶も狂っている。

もう、男がいなくてもいいのだろう。

その男のよこした文の一枚があれば、それだけでもう頭の中に霞がかかり、その事以外考えられなくなる。

顔は赤らみ、肌は上気し、長年かけて形作った殻は、薄い畳紙のように簡単に破られてしまうのだ。

狂わされて、狂わされて、狂わされて、壊されて、壊されて、壊されて、どうしようもない位におかしくされて。

それでもその男を許してしまう。

普段の自分からは考えられないような言葉を口から吐き出し、馬鹿の一つ覚えのようにその男に話し掛け、盛りのついた猫のようにその身に身体をこすりつけてしまう。

分かっていて、狂わされる事が分かっていて・・・それでも自分から狂わされに行く。

鬼であろうと、従者であろうと、所詮は女。

定めから逃れる術は・・・無い。

「胡蝶、布を。」

今宵は胡蝶の話をじっくり聞こう。

そして朝まで語り尽くそう。

そう思った。

少女の名は胡蝶。

主は巴。

木曾の山中に生を受け、後に諏訪へと送られる。

呼び名は、狩衣の君。

あとがき＆単語帳

『胡蝶』

　巴の従者。沈着冷静で武芸に秀でる。こっちでのサブヒロイン的役割を務める予定。

『義仲』

　鎌倉時代に名をはせた蛮勇、源義仲。１３歳で元服しこの名前へと変わった。巴編の最重要人物の一人だが、出てくるたびにどんどん酷い人になっていく・・・。

人に仕え力を得るものがいる。

自らの能のみで力を得るものがいる。

教える事で学ぶものがいれば、学ぶ事で教えるものがいる。

だが、あなたは其処で満足しているだろうか？

・・・・・・そうそう、作品に関係の無いところ（？）で少し質問。

自分を一語で表すとすれば何？

ちなみに周囲の人によれば私は「外道(もしくは鬼畜）」らしいです。