崩れ落ち、動かなくなった「私」。
それはあまりにも異常な光景だった。
公園の中央で体の欠片一つ動かさず、笑いながら倒れているそれは間違いようもなく「私」だ。
毎日毎日、飽きるほどながめた「私」の顔。
仕事のためにコーディネートした小奇麗な洋服。
その他諸々全てが「私」そのものなのだ。
双子?
幽体離脱?
ドッペルゲンガー?
そのどれでもない。
だから、もしその「私」に名を与えるとしたら「私」はこう名づけるだろう。
・・・「人形」・・・と。
屍人は喰らう生者の心
巻之弐:[???:生ける屍、死せる生者]
時は無情に過ぎる。
それは常に一定の方向にしか進まず。
足踏みすることも。
Uターンすることも。
横道にそれる事すら、ない。
タイムマシンなんてできっこないのだから。
今目の前に存在する真実は常に真実でしかない。
清算は・・・絶対に効かない。
例えそれが・・・。
どんなにばかばかしい真実の姿をさらけ出していたとしても・・・。
それはあまりにもあたりまえのことで。
そんなことはこれまでの人生の中で自然に身につけていた教訓だったから。
だったからこそ・・・。
私は大きな葛藤にさいなまれることになる。
すなわち、「私」は死んでしまった。
今。
この瞬間に。
この場所で。
「私」以外の「私」が死ぬという不可解極まりない終わり方で。
・・・冷静に考えれば今ここにいる「私」は生きているのだから「私」は死んでいないはずなのだけれど。
目の前に転がっている屍体となった「私」はやっぱりどう考えても「私」以外の何者でもなくて。
そこに「私」の屍体がある以上、やはり「私」は死んでいるのだ。
例え頭がそれを「私」ではないと認識したとしても。
身体を。
今「私」が入っている身体をごまかすことなどできはしない。
全身が覚えている。
あそこで転がっている屍体は「私」以外の何者でもないということを。
だからこそ「私」は葛藤する。
「私」は死んでいるのか。
それとも、今ここで死を認識しているのが「私」なのか。
実存は本質に先立つ。
もしこの論理が正しいのであれば「私」は死んでいる。
なぜなら「私」の屍体はすでにここにあるのだから。
私の心は死を認知し、「私」はそこに屍体という定義を伴って横たわっているのだから。
・・・だけど・・・。
・・・では・・・。
・・・「私」は誰?・・・。
今ここで自分の死を眺めている「私」は誰?
夜闇が哭く。
木々が笑う。
風は軋みを上げ。
土は・・・歌を唄う。
「私は・・・死んだの?」
誰にとも無く問う。
だが答えはあった。
「否。」
と。
慌て声のしたほうへ振り返る。
方角は南。
私の・・・すぐ後ろ。
漆黒の男がそこにいた。
まず目に入るのは黒いコート(正確にはケープというらしい)。
頭まですっぽりと覆うようなコートの中から口だけがのぞいている。
「だが・・・いずれは死ぬ。」
その口が動くたびに中から言葉が漏れ出てくる。
口を動かすことで言葉をつむぐのではなく。
口をあけることで閉じ込められていた言葉が出口を見つけられる。
そんな印象だった。
「心配は要らない。」
不意に男が私を抱きしめる。
甘い抱擁ではなく。
まるで強い呪縛をかけるように。
「私」は標本台の上の昆虫のように。
もしくは糸の切れた操り人形のように。
まったく動かなくなる。
もっとも、元から動けたかどうかすら怪しかったが。
「死の時がわからないというのは恐ろしいことだろう・・・。」
溢れ出た言葉はしばらく空気中にとどまり。
「私」の鼓膜を震わせ。
やがて何処かへ連れ去られていく。
ずっとここにとどまっていれば良いのに。
そうすれば今の孤独はなくなるのに。
「私」を残して何処かへ行ってしまう。
「だから教えてあげたのだ・・・。」
男は耳元でささやく。
それは怖気となり「私」の脳を犯し。
寒気となり身体を凍えさせる。
「あの人形は君の写し身だ・・・。」
「私」を見る。
「私」も「私」を見つめ返している。
だが、それはもう屍体ではなく。
死んだ「人形」。
あの「人形」は死んでしまったから。
もう二度と動くことは無い。
「私」の「人形」は死体としての「私」を演じる。
腐乱し。
血を流し。
墓へ埋まるのが役目となる。
「彼女が死んだのだから・・・君も死ななければならない。」
そう。
彼女によって「私」の死は運命づけられ。
この男によってその運命は成就する。
彼女は本来あるべき死んだ「私」の姿。
そして「私」は・・・。
「彼女が死に、君が残ればそれは矛盾となる。」
ダメだ。
今すぐ逃げなければ。
叫び、助けを呼ばなければ。
身体はそう言っているのに。
「私」の口は動こうとはしない。
足がぴくりとも動かない。
すでに運命に逆らえない。
「世界には二種類の人間しかいない。」
男の言葉がナイフとなり「私」の心を切り刻んでいく。
やさしい声色は白銀の刃と化し。
柔らかな抱擁は荒縄と成り「私」の身体を締め上げる。
そう・・・すでに「私」はこの男に支配されているのだろう。
顔も知らぬこの男に。
「美しいものと、そうではないものと・・・。それだけだ。」
これほど近くにいても男からは人間らしい匂いが一つもしなかった。
それは「私」の死体から漂う匂いゆえか。
それとも無臭という匂いをまとうこのコートゆえか。
「君は美しい・・・心も・・・身体も・・・。」
つぷり。
首筋に注射針を指したような感触。
それが「私」の最後の記憶となる。
そして「私」は死に。
もう二度と・・・甦ることは無かった。
あとがき
『幽体離脱』(用語)
これは知らない人はいないと信じたい。簡単に言えば身体から魂、もしくはそれに順ずるものが抜けてしまった状態。幽体離脱を起こした魂魄は意識の集合体のようなものなので外から自分を見る事もできる。
考えてみればアクションゲームの主人公って皆幽体離脱状態・・・。
『ドッペルゲンガー』(用語)
これもほぼ知らない人はいないと思われる。世界に自分と同じ人間は三人いる、などと言うが感覚的にはあれと同じで、自分と姿形が全く同じ者を総じてこう呼ぶ。現実世界においても過去において何度もこれは目撃されており、見たものは死ぬという言い伝えもある。主人公は否定しているがはっきりいって普通の人ならまずこれを疑うだろう。(直後に主人公死んでるし)
『人形』(用語)
ここでいう人形はオートマタ(自動人形・ロボット)の類。フランス人形やバービー人形的なものでは無い。燈子が使うものと同じで、区分的には使い魔。定義は「自らの力でゼロから作り上げた擬似(もしくは類似)生命体」そのため神は人形ではない。
『実存は本質に先立つ』(用語)
俗に言う実存主義。象は象らしい行動をとるが故に象なのであり、人間は人間らしい行動を取るから人間なのであるという極めてシンプルな理論。この理論に従えば所謂狂人と呼ばれる存在は人間ですらないという事になる。
蛇足ではあるが、我が愛すべき師にして我が人生における最悪の教員となった徳島県の某有名私立高校の地理教員、S氏によると、この考え方とマルクス主義が結婚したとき、そこに北朝鮮という子供が生まれるそうである。このような考え方をここに付記する事に意味があるとも思えないが彼に敬意と精一杯の侮蔑を示すために付記したものである。
突如やってみたくなったぐだぐだ座談会(多分これっきり)
黒蟲 「さて、コーナー始まって早々、いきなりで悪いのですがこれにてこの作品はめでたく終わりを迎えました。短い間でしたがどうもありがとう御座いました。」
??? 「・・・・・・・・。」
黒蟲 「ん?どうしました?あなたも皆さんにお礼を仰いな。」
??? 「・・・殺しても・・・いいかな?」
黒蟲 「は?」
??? 「いいよね・・・べつに。」
黒蟲 「あの・・・何を仰っているのですか?・・・というかその右手に持っている物騒な古刀はいったい・・・。」
??? 「これ?本来なら今後使われるはずだった日本刀。・・・もういらなくなっちゃったけどね・・・。」
黒蟲 「えっと・・・。冗談ですよ?・・・やだなあ・・・私がキャラの名前も付けずに作品を終わらせるような極悪非道に見えますか?見えないでしょう?いえ、断じて見えないはずです。」
??? 「前科三犯・・・。」
黒蟲 「・・・・・・(冷や汗)」
??? 「ここだって、???になってるのは本当に名前が決まっていないからなんでしょ?」
黒蟲 「・・・・・・・・・・・(滝汗)」
??? 「大丈夫。あなたが死んでも・・・誰も困らないから・・・。」
黒蟲 「ちょっと待って〜〜〜!!!」
―――――――fin(それでも話は終わらない)―――――――