日増しに募る思い。
未知の衝動。
未知は不知であり。
不知は怖れを呼ぶ。
怖れはいずれ恐怖となり。
恐怖はやがて私を殺す。
人を殺し、鬼をも殺す衝動。
真実を見る眼は失われ。
血を好む牙は封じられる。
それは真綿で首をしめるような苦痛を私に与え。
大麻のごとく私の体を蝕んでいく。
だが・・・・・・。
この未知の衝動に殺されるなら。
私は喜んで殺されよう。
そしてそれを。
あなたへの恋の証としよう。
狂鬼に酔いし武士の笑み
巻之弐:[巴:恋患い]
世界中の鬼の中で・・・私は自分が一番幸福なる種であることを信じ疑わない。
人とともに生きること。
それは・・・。
えもいわれぬ快楽。
比べようも無い満足。
この世にこれ以上の幸福など存在しないことを・・・。
私は確信する。
だが・・・。
こんなにも幸福なのに・・・。
こんなにも幸せなのに・・・。
私は餓えている。
それは肉体的なものではなく。
精神的な飢餓。
満たされることの無い心の穴。
逢えば逢うほどに大きくなる穴。
目が合えばそれだけで心には罅が入り。
言の葉を交わせば心は軋みを上げ。
別れの時には心の穴はさらに広がっている。
幸福であるからこそ同時に得てしまう空虚感。
即ち、いずれ来る喪失への恐怖。
人と鬼でありつづける限り、必ず訪れる永久の別れへの怖れ。
眼を覚ましたとき、もしこの者が冷たくなっていたとしたら。
私の知らぬところで、この者が討ち死にしたとしたら。
・・・私は・・・きっと耐えられない。
抵抗するすべすら知らぬまま。
私は流されている。
病は消えない。
そもそも・・・私とは何だ?
鬼。
自分ではそう思っていた。
だが、人であるもの達が鬼を語る時、それは角を生やした醜く恐ろしい者だという。
私も醜い?
そうは思わない。
角も無いし、そのあたりの人よりも美しいぐらいの自負はある。
なら・・・私は何だ?
鬼ではない。
もちろん人でもない。
駒王丸は鬼と呼ぶ。
人は・・・人はなんと呼ぶのだろう?
人は人と、そう呼んでくれるだろうか?
嗚呼。
思えば久しく人にあっていない。
この屋敷に入って後、駒王丸以外のものに会っていないのだ。
「どうした?巴。」
ひざの上でまどろんでいた駒王丸がごろりと身体を返した。
幼い中にも精悍さを宿した顔がこちらに向けられる。
「・・・え?」
「雨。」
「?」
「雨が降ってきた。」
慌てて外を見ても雨など降ってはいなかった。
そもそも、よく考えれば雨が降っていても私が慌てなければならない道理などない。
「降ってないぞ?雨。」
「・・・・・・そうか?」
駒王丸はじっとこちらを見ていた。
その顔は雨が降っていないことなどはなから知っていたようにも見える。
「どうした?」
「駒王丸。」
「なんだよ。」
「雨って何のことだ?」
「分からないならいい。鬼に知性を期待した俺が馬鹿だった。」
結構ムカッときた。
「雨って、何のことだ?」
頬肉を軽く引っ張る。
最近分かったことだが人間の肉は柔らかいようで意外と硬い。
力さえ加減していればそうそう簡単に壊れたりはしないものだ。
「いてぇ!加減しろ、こら。」
失礼な。
加減していなければ今ごろ千切れ飛んでしまっているところだ。
・・・まあ、そんなこと天地がひっくり返ってもできはしないが。
「雨って、何のことだ?」
できるだけやんわりと聞く。
それでも駒王丸の頬が引きつっているのは本気で痛かったからだろう。
今度からはもう少し加減せねばならないらしい。
「最近おまえよく俺の頬を抓るけどさ・・・マジで痛いんですけど。」
「今度から加減する。で、雨って何のことだ?」
四回目。
そろそろ答えてくれても良いんじゃなかろうか。
ゆっくりと両手を駒王丸の頬に添える。
「ああ、分かった分かった。言うから頬を抓るのはやめろ!」
やっと観念したらしい。
すっと私の膝から降り、体を起こす。
「涙だよ。」
「誰の?」
「ほんとに理解が悪いな。涙が俺の上に落ちてきたの。・・・今は出てないけどな。」
私が・・・涙を?
駒王丸がここにいるにもかかわらず?
「なん・・・で・・・?」
「俺が知るか!とにかく巴は泣いてたの!俺の真上で!」
「・・・ごめん。」
癇癪を起こす寸前の駒王丸に私は素直に頭を下げた。
「ッ!・・・謝るな!」
「え?」
「その顔で謝るな!気分が悪い!」
「あ・・・。」
「今日はもう帰る!馬の用意をしろ!」
いやだ。
そう言いたかった。
ずっといっしょにいたいと。
そう言いたかった。
だが、言葉を発することができなかった。
さっきは意識しなかった涙が急速にあふれ出てくるばかりで肝心なことは何一つ言えない。
「な・・・んで・・・。」
ようやく搾り出せたのはそんな言葉だけだった。
立ち上がろうとする駒王丸の服の裾を掴み、必死に引きとめようとする。
「・・・・・・聞こえなかったのか?馬の用意だ。この屋敷にはおまえしかいないんだからおまえがしろ。」
「まだ日が高い・・・。」
「あたりまえだろう。」
ひどい。
そう思った。
今外に出れば軽い火傷ぐらいは負ってしまうだろう。
「私のことが嫌い?」
「ッ!・・・・・・何で・・・。」
「え?」
「もうすぐ元服だ。」
「知ってる。おめでとう。」
大人になれるのだと。
以前駒王丸はそう言っていた。
私をお嫁にもらってくれると、そう言っていた。
「・・・・・・もう逢えないかもしれない。」
ぽつりと。
駒王丸は寂しそうにそう言った。
「え・・・?」
「義父様がうるさいんだ・・・。おまえに逢いに来る事・・・あまりよく思っていない。」
言葉の一つ一つが私の体に強い負担を強いた。
目の前が真っ赤になり、一瞬前後不覚に陥りそうになる。
「・・・・・・駒王丸はどう思ってる?」
必死に心を落ち着け、何とか言葉を紡ぐ。
否定してほしかった。
それでも逢いたいと、そう言って欲しかった。
だが・・・。
「わからない・・・。」
得られた答えはそれだけだった。
それっきり駒王丸は口をつぐんでしまい、目線をあわせることすらしてくれなかった。
「・・・・馬・・・用意してくる・・・。」
これ以上ここにいるのは嫌だった。
これ以上ここにいれば何かを口走ってしまいそうで。
わけもなく涙が零れてきて。
このままだと乾ききって死んでしまいそうだったから・・・。
慌てて私は外に出た。
勝手口から外をうかがうと、日はまだまだ高かった。
それもそのはず。
今はまだ午の刻だ。
日の入りまではまだまだ時間がある。
ためしに光の下に手を出してみると火のついた囲炉裏の灰に手を突っ込んだときのような激しい痛みに襲われ、見る見るうちに赤く変色していった。
「ッァゥ!!」
あがりそうに鳴る声を必死にこらえ、さらにもう一歩を踏み出す。
その一歩で体の半分ほどが白光の下に曝された。
灼熱。
焼けるようなという比喩さえ生ぬるい程の熱が半身を舐め回す。
だが、それでも構わずにもう一歩。
ついに全身が白光の下に出る。
ただそれだけのことなのに全身を恐ろしいほどの虚脱感が襲った。
着物越しにでも光は私の肌を焼いた。
ふと。
なぜこんなことをしているのだろうと言う疑問が頭に浮かんだ。
私は鬼で、駒王丸はただの人で。
私のほうがずっと強いのに・・・なぜ私はこんな酷い思いまでして駒王丸のそばを離れられないのだろう、と。
答えは難しいものではなく、当然で、あたりまえのことだった。
それゆえに、その答えに私は愕然とさせられた。
それは絶対に考えてはいけないことだったのだ。
「は・・・・はははは・・・。」
訳もなく笑みが洩れた。
傑作だった。
これ以上ないというぐらい傑作だった。
心の穴?
そんなものは心をもつ者の詭弁に過ぎない。
私に心など、そんなものがあるはずがない。
あるはずがないのだ。
・・・・・・何を望んでいたのだろう。
必死になって恋をして。
必死になって好かれようとして。
必死になって・・・。
「何してるんだよ、巴。」
ふと気づけば背後に駒王丸が立っていた。
「鬼の癖に・・何で光の下に出てるんだよ、巴。」
見下したような態度。
鬼に対するものとは思えない、傲慢不遜な態度。
だが、嫌ではない。
断じて嫌ではない。
むしろそこに心地よさすら感じている自分がいる。
肌は痛む。
あると思っていた心ももうない。
心身ともにずたずたなのに、満たされている自分がいる。
「駒王丸・・・。」
告げよう。
自分の想い。
自分のカタチ。
失うことを恐れて。
手に入れることを拒んで。
信じるものを裏切って。
苦しんで苦しんで苦しみぬいて。
でも。
そんなことはもう終わり。
もし御前の心が偽りであろうとも。
私だけは。
「私も・・・・・・。」
あとがき&単語帳
『午の刻』(用語)
古代の時刻表現。現代の正午にあたる。
って・・・今回は分かり難そうなことはこれぐらいでしょうか?
私生活において膝を壊し、執筆(?)用パソコンが壊れ、家族の関係までもが壊れようとしているので今回はこれにて。