-------周に武王たてり--------

 

---------諸侯追随し、反逆の狼煙上がる---------

 

 

 

 

 

古事記と神話と吸血鬼

巻之弐:[玉藻:戦]

 

 

 

男は跪く。

 

板張りの主室。

 

その冷たい床の上に跪く。

 

外は雨が降っていた。

 

秋の嵐が容赦なくドアを叩き、ぎしぎしと軋む。

 

「何のつもりだ。」

 

身に縄打たれ、裸同然の姿にされているというのに、その男は尊大だった。

 

棒か何かで打たれ腫れあがった顔にもかかわらず、まるで王のようにこちらを見上げている。

 

変わらない。

 

これから死に至ろうというのに、その尊大さには一片の翳りも見られない。

 

黙れ、と叫び、男の首に向けられた槍が首筋ぎりぎりのところまで近づけられた。

 

それでも男は変わらない。

 

じっとこちらを見つづけている。

 

言いようの無い恐怖に襲われ、私はその男から目を逸らした。

 

なぜあんなに平然としていられるのかが・・・分からない。

 

「何のつもりだ、妲己。」

 

間違いを犯したのは・・・私だったのだろうか?

 

この男が捕らえられ、ここにつれてこられるその瞬間まで感じていた自分が正しいという確信は見る見るうちに揺らぎ、今では淡い蜃気楼のように朧なものとなっている。

 

今はもうこの男は王ではないのに。

 

この男の中に絶対的な強さを・・・未だ見つづけている。

 

「答えろ。」

 

見えていないのだろうか?

 

自分に向けられた槍が。

 

我が身にかけられた縄が。

 

自分の前にいる人間が。

 

「お初にお目にかかる、殷王殿。」

 

私の様子を見かねたのだろう。

 

私の隣に座っていた男が口を開いた。

 

「私は周の王・・・皆からは武王などと呼ばれている。」

 

落ち着いた印象の男だった。

 

異常に武の道に秀でているがゆえに名づけられたという武王の名からは想像もできないような柔らかな目をしている。

 

王として前線にいるよりも裏方で経理をしていたほうが結果を出しそうな、そんな面構え。

 

だが、その人となりに惹かれ集まった逆賊はその数十五万。

 

収穫期は外したとはいえ並々ならぬ数である。

 

人心を集めるということにかけては・・・彼のほうに部があるだろう。

 

現に今も逆賊であるはずの彼が王座につき、これまでそこに座っていた男は無様に・・・というにはあまりにも厚顔不遜な態度だったが・・・地べたに跪いている。

 

力関係は明らかだ。

 

彼が一言首を刎ねよといえば男の首は飛ぶ。

 

男に許されたのは口を利く自由ではなく、許しを請い、罪状を自白し、減刑をすがる自由でしかないのだ。

 

私に対し口を利く自由など、彼から与えられた自由の中には含まれていない。

 

「貴様に口を利く自由など与えてはおらん。私は妲己に尋ねている。」

 

「・・・・・・・・・。」

 

にもかかわらず、この場を支配しているのは間違いなく縄打たれた男のほうだった。

 

もとより私は男に逆らえないし、武王も男の一声で口を閉ざしてしまう。

 

殺すなといったのは私だ。

 

こうなってしまえば誰にも止められない。

 

まるでそんな事など初めからお見通しだったといわんばかりに男の暴挙は続いた。

 

縄打たれた体を逸らし、声をあげて笑う。

 

皆が黙り、雨音と男の笑い声だけが部屋の中に取り残された。

 

その部屋の中の誰も、男を止めようとはしなかった。

 

異質なもの、自分に理解できないものを遠巻きに眺めているばかり。

 

あるものはそれを気がふれたのだと感じ。

 

またあるものはそれを最後の覚悟と取った。

 

誰も、その本当の意味を知らなかった。

 

聞いているこちらの気がふれそうになるこの声の持ち主がどんな人間なのか、知らなかった。

 

知りうるはずも無いのだ。

 

生まれながらにして王である人物の思考など。

 

この男は誰の下につくことも無いし、誰かによってその行動を制限される事も無い。

 

この男が笑うというのは、そこに何か可笑しな事があったときだけだ。

 

一頻笑った後、男は笑い始めたとき同様唐突に笑うのをやめ、頭をたれた。

 

後には取り残されたように雨音だけが続く。

 

その音が寂しげに感じられたのは私だけではないだろう。

 

武王が人心を操る事の天才だとすればこの男は空間の演出の天才だった。

 

そして次に顔を上げたとき、その顔には憤怒の感情が色濃くあふれていた。

 

線の細い顔いっぱいに怒りの色が満ち、白い肌は赤く染まり、青筋まで浮かべている。

 

その口が開き、中から背筋まで凍りつくような怒声が飛び出すまで、さほど時間はかからなかった

 

「妲己!答えよ!!」

 

瞬間。

 

木枠越しに外の雷が見えた。

 

まるで男の怒りに呼応したかのようにごろごろという音が鳴り響く。

 

今のは・・・近かった。

 

逃れられない私の運命の暗示。

 

大げさかもしれないが、私にはそう思えた。

 

「帝・・・辛・・・。」

 

恐々とその名を、呼ぶ。

 

それだけのことが心に多大な苦痛を与えた。

 

どうしても相手を直視することができず、顔を俯かせてしまう。

 

だが、そんな事をこの男が許すはずも無かった。

 

憤怒の形相そのままにこちらを睨みつける。

 

「こちらを見ろ、妲己。」

 

先ほどよりは幾分穏やかな、それでもその怒りを隠し切れない声が私の脳天に刺さる。

 

「ごめんなさい・・・。」

 

顔は上げられない。

 

放伐の言葉を掲げ裏切った男の顔を見る事など、ましてやそれを意識してその目を見る事など、私には絶対にできない。

 

「何を謝る事がある?今までどおり私の顔を見ればいい、妲己。」

 

男の声に少し労わりの気持ちが見えた。

 

その言葉の響きが私の心を締め上げる。

 

意識しての事だろうか?

 

もしそうだとすればこの男はあまりにも性質が悪い。

 

彼のためにと交わした決意を言葉一つで突き崩してしまう。

 

「帝辛・・・私は・・・。」

 

あなたを裏切ったと。

 

それを告げなければならない。

 

天の理と、自分の命のために。

 

自分が生きるために呪いを断ち切らなければならない。

 

「わたしは・・・あなたを・・・。」

 

言葉が詰まる。

 

その様子を私の隣にたつ武王は冷ややかに眺めていた。

 

助け舟を出すことも、突き放す事もしない。

 

ただ契約が成立するかどうかを見極めようとしている。

 

赤蛇は質実剛健。

 

対する白蛇は冷静沈着。

 

この歴史は永遠に変わらないだろう。

 

魂の連鎖の中で働く歴史の修正の力は常にこのようなカタチで始まる。

 

「顔を上げろ、妲己。天下人の姫が、下賎の者のように顔を落とすなと、何度言えば分かる?」

 

飲み込む唾が喉に絡まった。

 

武王にかけられた人心把握の呪いが融け、空間調律の呪法が体を侵食していく。

 

言霊はこの王室全体から、私単体へと。

 

それにより効力もまた跳ね上がる。

 

私は抗えぬ力に促され、ゆっくりと顔を上げた。

 

白く美しい顔が目の中に飛び込んできた。

 

「それでいい。さて、おまえはなぜそこにいる?」

 

帝辛は満足したように頷き、先ほどの言葉の続きをはじめた。

 

「それは・・・・・・。」

 

答えられない。

 

もう何がなんだかわからない。

 

「おまえがいるべき場所はそこではない。・・・違うか?」

 

違う。

 

私はここにいてもいいはずだ・・・。

 

思いとは裏腹に足は前へ踏み出される

 

その時、肌に食い込むほどに槍が引き上げられた。

 

帝辛のものだけではなく、私の首下にも。

 

「やはり・・・裏切りきれなかったか。」

 

分かっていた事だ。

 

こうなる事は・・・初めから定められていたのだ。

 

契約の通り。

 

「ここまで導いてくれた故、大目に見てやるつもりでいたが・・・そういうわけにもいかなかったようだな。」

 

突きつけられた槍は青銅製の軟なものだった。

 

未だ、鉄の剣すら手に入れていない。

 

銀や金で飾り立てる事も、できていない。

 

こんなものでは私の皮膚を裂く事はできてもその生命活動を停止させる事はできない。

 

その事に少なからず安堵する。

 

ということは、この状態からでも勝機があるということだ。

 

帝辛さえ逃がしてしまえば後は私一人でもどうとでもなる・・・。

 

さっきまで立てていた誓いの事すら忘れさらに一歩を踏み出す。

 

突きつけられていた刃が皮膚を裂き、赤い鮮血がにじみ出てくる。

 

激痛は走るが、立ち止まらねばならないほどではない。

 

流れ出る血液を少しもったいなく感じたが、私はさらに一歩踏み出した。

 

その一歩が致命的だった。

 

突き出された刃先は動脈を掻き切ったらしく、先ほどとは比較にならないほどの勢いで血が吹き出てくる。

 

見る見るうちに着ていた渋染めの衣は紅に染まっていった。

 

「ひっ!!」

 

訓練を受けていたはずの兵が唇の端を引きつらせた。

 

目は大きく見開かれ、顔からは血の気がうせている。

 

周囲を見回してみれば武王と帝辛を除けば皆そんな調子だった。

 

どうやら私がどんな存在であるのかは完全に知らされていたわけではないらしい。

 

・・・というよりも首からこれほどの血を噴き出している人間を見ていることを考えれば当然の反応だろうか。

 

「うろたえるな!紅姫様が不死であることは努々承知であろう!!」

 

武王の一喝が兵の心を静めた。

 

そして、そのころには私の首は完全に胴体と乖離していた。

 

転がり落ちそうになる首を手に、さらに歩み寄る。

 

遠巻きに眺める兵たちの眼前で、私はそのまま帝辛の戒めを解いた。

 

そして、相手が立ち上がるよりも早くその体を抱きしめる。

 

「哀れな・・・。」

 

武王の声が微かに聞こえた気がした。

 

何が、と問い返す暇も無かった。

 

ゴロン。

 

音をたてて頭が落ちる。

 

私のそれと同じように帝辛の首が落ちる。

 

それを認識するのにしばしの時間を必要とした。

 

何故、よりももっと根本的な、何が、という疑問が押し寄せるまでに10秒。

 

男の死を認識するためにさらに数十秒。

 

そのころまでには私の顔も、衣も、名のとおりの紅に染め上げられていた。

 

私の首からあふれた血と。

 

帝辛の首から噴き出る血と。

 

それらが合わさり、壮絶な紅に染め上げる。

 

「あ・・・ああ・・・・。」

 

嗚咽が嗚咽にならない

 

声が声にならない。

 

意識が意識にならない。

 

「死者に惑わされるなど・・・・・・船へお連れしろ。」

 

何を言っているのか分からなかったが、周囲がやけにざわついたのは分かった。

 

ズン、ズン、という音と共に何か巨大な獣が背後にいるというその気配が感じられる。

 

振り返るのが億劫で、いやで、たまらないぐらいに面倒だったが、私は振り返った。

 

ほんの一瞬、帝辛から目を逸らした。

 

そこにあったのは赤い巨大な空洞だった。

 

その中で正月祭りに使う龍の張りぼてほどもありそうな舌が波打つようにうねっている。

 

「これがあなたの望んだ結末だ・・・紅姫様。」

 

あれほどに望んだ死は、単純なものだった。

 

人形として作られた殻は壊れ、獣の体内で私という本質だけが残される。

 

こんなに簡単に死ねるのに、私は何を模索してきたのだろう。

 

「あなたは繰り返す。幾千のときを、幾千の殻を。何度生まれ変わろうともあなたの本質は絶対に変わらない。」

 

武王が『人忠』を起源とするように私にも起源はあった。

 

 

『愛染』

 

 

私の起源は常にそこにたどり着く。

 

この時、私の輪廻は完全に定められた。

 

 

 

あとがき&単語帳

 

『武王』(人名)

 周の初代王(まだ皇帝ではない)。殷を滅ぼした結構すごい人なのにあまり名前が知られていないかわいそうな人。本質性の特殊能力は『人心把握』。

 

 

『人忠』(起源)

 武王の起源。人に好かれやすいタイプの人間になりやすい。暴走させるとかなり怖そうではある。本作では起源と特殊能力が呼応する事が多いので一応記しておく。

 

 

『空間調律』(能力)

 帝辛の持つ本質性特殊能力。所謂カリスマ性のようなもので空間そのものをある一定レヴェルまで自分の望む世界に近づけられる。聞いただけなら最強の能力のようにも思われるが当然世界の修正力をもろに受けるので、特殊能力として発露した程度では周囲の人間に少し威圧感を与える程度に留まる。魔術ではルーン、魔法では空想具現化がこれに近い能力となる。なぜか紅姫には非常にかかりやすい様子・・・というより彼女特殊能力への耐性はほぼゼロのようです。

 

 

『人心把握』(能力)

 武王の特殊能力。だが能力というより性格に近く、ランク的には空間調律よりもさらに劣る。他人の望むものを知るということ以外には大して役に立たず、世界の修正力など受けるまでもなく普通ならば最弱。ただ、ある程度以上の権力や影響力をもつ人間が持てば厄介なものとなり、武王のような人間が手に入れてしまった事は帝辛や紅姫にとっては不運だったといえる。

 空間調律共々会社の上司が持っているといいスキルになるだろう。

 

 

『愛染』(起源)

 紅姫の起源。何かを愛するという事に取り憑かれたようになり、その者からも絶大な愛を勝ち取る事ができる。ただし、人としての摂理を外れ強大な力を手に入れてしまう事になるため、その行き着く先にあるものは何時いかなる場合であっても破滅のみ。その者の最も望まないカタチで望むものを得る刹那的能力。

 

 

 

愛って何ですか?

 

狂うってどういうことですか?

 

対象をめちゃくちゃにしてやりたいと思うこの気持ちは・・・愛ですか?

 

狂気を自覚して、それでも狂えない私は、やはり狂っていますか?

 

誰か、教えてください。