「はあ・・・はあ・・・・。」

 

男の息づかいがすぐそこで聞こえる。

 

ほんの少し、ほんの少しでも物音を立てれば終わりだ。

 

私は必ず奴に殺される。

 

「おい、いつまでこんなかくれんぼを続けるつもりだ?出てこいよ・・・。」

 

認めよう。

 

怖い。

 

私はこの男が怖い。

 

だからその問いに対しての答えは一つしか持ち合わせていない。

 

(永遠に・・・だ。糞野郎。)

 

私はおまえごときに殺されるような女ではない。

 

 

 

 

 

 

屍人は喰らう生者の心

巻之壱:[???:「私」が死んだ]

 

 

 

 

 

今日もいつも通りの簡単な仕事のはずだった。

 

馬鹿な男を一人、ホテルに連れ込んで金目のものを奪い取る。

 

それだけの・・・簡単な仕事。

 

男がシャワールームにいるうちにかばんの中から財布を抜き取り逃げる。

 

毎日のように繰り返し、手口に不手際なんかなかったはずだ。

 

なのに・・・。

 

なのに今私は針のような雨の降る公園の茂みの中で野良犬のように震えている。

 

夜の公園の茂みの中で、息を潜めている。

 

(糞・・・なんでばれた・・・?)

 

心の中で毒づくうちに情けなくなり、涙が出てきそうになった。

 

[家出中だった○県の女子高校生、三咲公園で死体で発見。]

 

きっと明日の朝刊(夕刊だろうか?)にはこんな惨めな見出しが躍るに違いない。

 

頭の悪いリポーターがキンキン声でがなりたて、物を書くしか能のない記者どもがあることないこと書き並べるのだろう。

 

(馬鹿にするな・・・。)

 

心の中で毒づく声だけは威勢が良い。

 

だが、それがなんになるというのだ?

 

今私は動くことさえままならないし、現に男はすぐそばまで近づいている。

 

護身用に持っていたスタンガンは慌てていたからホテルに忘れてきたポーチの中。

 

その上男の右手には街頭の光を跳ね返し、燦然と輝く真新しい出歯包丁が握られている。

 

どうにもならないのだ。

 

絶体絶命。

 

まな板の上の鯉。

 

おまえはもう死んでいる。

 

・・・なんでも良い。

 

要するに私にはもう死ぬ運命しか残されていないのだ。

 

見つからずに逃げ果せられるなんて楽天的な考え方は論外。

 

男が私を傷つけるだけで終わるなんて、そんな都合のいい事もまず起こらないだろう。

 

「おい、さっさと出てこいってんだよ。糞売女が!」

 

男が吼える。

 

その声はすでにここに私がいることを確信している声のようだった。

 

・・・思う。

 

散々だ。

 

本当に散々だ。

 

こんな男に殺されて、それで人生が終わるだなんて、そんな人生・・・。

 

そんな最悪な人生を今まさに自分はたどろうとしている。

 

だが、まだ終わってはいない。

 

まだ二つ選択肢は残されている。

 

このまま殺されるか。

 

自ずから死ぬか。

 

私は迷わずに後者を選んだ。

 

まだまだ現世に名残はあるがこんな男に殺されるぐらいなら自殺したほうがいくらかましだった。

 

だが心の内の決心をつけ、自ら舌をかんで死のうとしたそのとき、私の目に信じられないものが映った。

 

ナイフを持った男に飄々と近づいていく・・・「私」。

 

馬鹿な・・・。

 

即座に脳が見たものを否定する。

 

私はここにいる。

 

ここで、「私」を眺めている。

 

夢か。

 

幻か。

 

必死に自分の目をこすり、その目に映る光景を変えようと試みたが、その動作は何の意味もなさなかった。

 

「私」は変わらずにそこにありつづけた。

 

恐怖よりも先に懐疑が起こり、次いでそれは喜悦の快楽へとすり返られる。

 

私と同じ服装で、私と同じ髪型で、私と同じ目鼻立ちをしている少女。

 

もしかしたら生き残る事ができるかもしれない。

 

そんな打算的な考えが頭をよぎる。

 

・・・そう。思えば私はまだ目の前に現れた「私」を私とは認識していなかった。

 

それは私がここにいるのと思っていた男にとっても同じ事のようで、私を殺しに来ていたにもかかわらず公園の入り口付近に立つ「私」にすぐに飛び掛るような事はせず、突然何所からともなく現れた私をぽかんと口を開けたまま凝視していた。

 

「へへ・・・なんだよ・・・あきらめたのかよ・・・。」

 

それでも男は無理やりそこにいるのが私だと思い込んだらしかった。

 

私が隠れているのだから当然かもしれないが、へらへらと笑いながら兇器である包丁を前に突きつけている姿は私の目には滑稽なものに映る。

 

ただ、その時ふと私の目にある景色が飛び込んできた。

 

それは、公園の入り口付近から見える景色。

 

見えるはずのない「私」の視界。

 

違う、こいつは私じゃない。

 

必死になって否定する。

 

私はここにいる。

 

そいつが「私」だとすれば、今ここにいる「私」は何だと言うのだ。

 

そして、恐怖する。

 

もしあれが自分であったなら?

 

その思考は私を痛めつけるに十分足るものだった。

 

故に、狂う。

 

あるべき姿を、見失う。

 

声にならない思いが体の中を迸る。

 

見つけろ。

 

おまえが殺すべき相手は私だろう。

 

だが、狂った心の呼びかけなど、霊能者でもないあの男に届くはずがなかった。

 

一瞬包丁を見、わずかにためらうようなしぐさを見せるがここまで来てやめるはずもない。

 

その証拠に包丁の切っ先は「私」の心臓を捉えて離そうとしない。

 

「私」の視界にそれが映る。

 

「私」はもうどちらが本当の私なのか、完全にわからなくなっていた。

 

やめろ、殺すんじゃない。

 

・・・いや、殺せ。

 

そいつを殺せ。

 

明らかに矛盾した二つの心の反応。

 

私自身何がなんだかわからずに混乱していた。

 

助かりたいという思いと死にたくないという似通っているようで全く別な感情が心の中で壮絶な綱引きを繰り広げている。

 

そして、そんな中でも「私」は相手の包丁へと向かっていくように歩いている。

 

顔には薄ら笑いを浮かべ、危なげない足取りで、まっすぐと。

 

「なんだよ・・・おまえ・・・。」

 

男も事の異常性に気づいたのだろう。

 

一歩後ずさる。

 

だがその間に「私」は三歩近寄った。

 

これでは・・・加害者がどちらかさえわからない。

 

男は明らかに殺し、という行為の罪に怯えを感じるようになっている。

 

対する「私」はまるで自ら殺されようとするかのようにしっかりと包丁へ向かっていく。

 

「私」は答えず、相変わらず薄ら笑いを浮かべたまま、男へ向かって歩いていく。

 

気がつけば初めは100m近くあった距離が今ではもう2mと離れていなかった。

 

「く・・くるな・・・。刺すぞ。マジで刺すぞ。」

 

包丁を突き出し、必死に後ずさる男。

 

その途中で彼は後ろ向きにこけた。

 

それでもなお、後ろ向きに四つんばいのまま這っていく。

 

顔に浮かべていた有利な位置にいるという心理的余裕からくる薄ら笑いは掻き消され、今ではその顔から恐怖以外のどんな感情も検出する事は不可能だった。

 

何だったか・・・何かの仁侠映画で同じような光景を見たことがあった。

 

全身から血を流しながら、それでも近づいてくる主人公に三下の下っ端がとった態度だったと記憶している。

 

記憶力にはそこそこ自信があるから・・・間違ってはいないだろう。

 

だが、今の光景はそれ以上に異常だ。

 

包丁を構え、必死に後ろに下がる「男」。

 

薄ら笑いを浮かべ、近づいていく「私」。

 

そして・・・それを傍観している・・・「私」。

 

三人の登場人物が、それぞれにありえない空間の中でありえない状況に遭遇している。

 

「ひ・・ひぃ・・・来るな!来るな来るな来るな!!!」

 

男はもはやただ闇雲に包丁を振り回すだけしかできなくなっていた。

 

顔は恐怖に引きつり、目には涙を浮かべ、引っ込めればいい包丁を必死に前に突き出す。

 

無駄だ。

 

男と同じぐらいの恐怖の中にいながら、どこか冷静な部分で私はそう考えた。

 

「私」は死のうとしている。

 

そんな包丁など・・・何の牽制にもならない。

 

案の定、「私」は男の胸へとしなだれかかっていった。

 

まるで恋する乙女がそうするように。

 

躊躇なく、男が構えた包丁の上へと抱きついていく。

 

 

ドシュッ

 

 

すこし距離が離れていたはずなのに、その音は息を殺していた茂みの中でも鮮明に聞こえた。

 

タンパク質と脂肪と水の塊を鋭利な刃物で切り裂いた音。

 

肋骨を貫き、心の臓を引き裂いた、包丁の音。

 

それは意外すぎるほどに単純で、何故ここまで届いたのかも分からないような小さな音だった。

 

だから・・・あるいは、それはまだ息のあった「私」が最後に聞いた音だったのかもしれなかった。

 

「ヒ・・・ヒイイィィィッ!!」

 

聞こえた悲鳴は「私」のものではない。

 

男が漏らした悲鳴だ。

 

「私」の下敷きとなり、涙とよだれでぐしゃぐしゃになった顔で泣き叫ぶ。

 

「俺じゃない・・・俺はやってない・・・。」

 

さほど重くもないのだろう。

 

男は「私」の下から這い出ると一目散に逃げていく。

 

包丁など放り捨て、わき目も振らず、公園の角を曲がり消えていく。

 

後に残されたものは胸に包丁の刺さった「私」の死体。

 

薄ら笑いを浮かべたまま動かなくなった「私」の体。

 

間違いようもなくあれは死体だ。

 

心臓を貫通されて生きていられる生物などこの世にいない。

 

もう何も動くもののない公園で、私はじっと息を押し殺しつづけていた。

 

体が・・・動かなかった。

 

耳にこびりついた音が私の身体を動かなくしていた。

 

刺された痛み(ただこれは心理的な痛みでしかなかった)が残る体を必死に抱き寄せ、身を縮こまらせるだけだった。

 

死んだ・・・死んだ・・・。

 

心の中で一つのフレーズを繰り返す。

 

目の前で自分が死ぬという怪異。

 

そして、その死を体験するというありえない状況。

 

それらは確実に私の心を蝕んでいた。

 

ただ、私はこのとき知らなかった。

 

この光景は、これから私に降りかかる大いなる運命の・・・その、ほんのきっかけに過ぎなかったということを。

 

知らなかった。

 

この町で・・・何が起こっているのかを・・・。

 

気付いていなかった。

 

もう、雨がやんでいたという事を。

 

 

 

 

 

あとがき

 

 

はじめまして。ダークパラサイトと申します。

 

このたび此方のサイトに作品を投稿させていただくことと相成りました。

 

かなり分かりにくいかもしれませんが一応「月姫(というか空の境界)」の世界観を使った二次創作系の小説です。

 

それらを一通りプレイし、読了しているものとして話は進みますのでご了承ください。

 

私的な世界観や伝承、歴史などの事で分からないような単語が出る事もあるかもしれませんので次回ぐらいから簡単な単語帳のようなものをここに乗っけていこうと思います。

 

というわけで分からない単語があっても見捨てずに先にあとがきを読んでみて下さい。

 

・・・読んでくれる人いるんだろうか?