春には田植え歌を謡い。

 

夏には草むしりに勢を出し。

 

秋になれば実りに笑い。

 

冬には雪を集め氷菓子を作り。

 

そんな生活は、一人の魔法使いによって完全に灰燼と化した。

 

 

 

 

忘獣は彼方より帰たる

巻之壱:[玉藻:狐憑き]

 

 

 

なぜだろう?

 

今私はこの城で、確固たる世界一の女としての座を手に入れているのに。

 

時として心が遠い異国に地へと旅立ってしまうのは。

 

そしてなんだろう?

 

私は夫を誰よりも愛しているのに、時として襲い来るこの空虚感は。

 

理由は・・・知らない。

 

ただ、郷愁の感に近いその感覚は私の、すでに狂いに狂った頭をさらにおかしくさせていく。

 

このままでは私はいつか全てを捨て、どこかへ行ってしまう。

 

そんな確信があった。

 

「あなた・・・・。」

 

隣で寝ている男の御髪を手で梳く。

 

とても男のものとは思われぬ絹のような髪が手から零れ落ちていった。

 

一国の王でありながら、この男は常に自分にとっての主でしかない。

 

私などどうでもいいのだと。

 

そう気付いたのも、つい最近の事だ。

 

白布を退かし、屋敷の廊下へと歩み出る。

 

「どうなさったのですか?紅姫様?」

 

外に控えていた侍従の者がすぐさま廊下に灯りを入れようとした。

 

それを手で制し、替わりに侍従の正面に立つ。

 

「灯りはいいわ。面を貸して頂戴ね。」

 

「あ、それは・・・。」

 

困惑したような侍女の声。

 

一瞬の隙がそこにできる。

 

その隙に侍女の後頭部にかぶっていた狐の面を取ってしまった。

 

「あう・・・。」

 

あたふたした顔がおかしい。

 

「おまえ、名は?」

 

「や・・・八女と申します。」

 

「そう、おまえはいつよりここにきた?」

 

「え?・・・1年前から・・・です。」

 

そんなに前だったろうか?

 

常に顔を合わせるというのに、気にしたこともなかった。

 

「では・・・国の人はなんと言っていた?」

 

「・・・・・・すばらしい仕事だからがんばって来い・・・と。」

 

言葉前に一瞬の間があった。

 

そのことがその言葉が嘘であると告げている。

 

「本当は?」

 

「え・・・?」

 

「嘘は要らない。そんなものは求めていないの。」

 

腰から刀を抜き、首筋に突きつける。

 

柄は象牙、刃は鉄でできた最新式の剣は、照りつける月光を返し、ぎらりと鈍い光を放っていた。

 

「ひっ・・・。」

 

侍女の顔が引きつる。

 

「答えなさい、国許の親はなんと言っていた?」

 

「ち・・・血と色を好む・・・・さ・・最悪な王だと・・・。」

 

まあ、そんなものだろう。

 

帝辛の評判は、最悪といってもいいほどに悪い。

 

「そう。あなたの国は?」

 

「北の・・・安陽でございます。紅姫様。」

 

安陽ならばここからそう離れてはいない。

 

「そうか。手を打て。すこし・・・踊る。」

 

言いながら刀を引く。

 

「え?」

 

「楽がなくとも手ぐらい打てるであろう。帝辛のことなら気にしないでいい。眠りこけている・・・。」

 

無理やり手を取り打ち合わせてやると侍女はわけがわからないままにも拍子を取り始めた。

 

「そう、それでいい。」

 

さっき受け取った狐の面を目深にかぶりなおしゆっくりと目を開く。

 

扇を取り、拍を踏む。

 

舞い踊るのは国許の踊り。

 

幼いころ踊った・・・懐かしい舞。

 

花玉ら村人とともにふざけ、じゃれあい、夜毎に踊った収穫の舞。

 

・・・・・・あのころは・・・よかった。

 

 

 

 

いつのまにか侍従の拍子が止まっていた。

 

「?・・・どうした?」

 

正面に座る侍女の顔は私に刀を突きつけられたときよりさらに上の恐怖に彩られていた。

 

そのとき初めて気付く。

 

空が白みかけていた。

 

時を忘れ踊っているうちにすでにかなりのときが立っていたらしかった。

 

「何事だ?」

 

突然背後から声をかけられる。

 

これが・・・拍子が止まっていた理由か。

 

妙に納得して、そして、落胆した。

 

「こんな時間に・・・何故踊っている・・・妲己。」

 

「・・・帝辛。」

 

最悪だ。

 

これ以上ないというぐらいに、最悪な男に見つかってしまった。

 

侍女の顔は白を通り越し、すでに青くなっている。

 

その目に映るものは帝の手に握られた剣だろうか?

 

それとも、美しすぎるその顔だろうか?

 

手に握られた剣が大きく振りかぶられる。

 

 

カン

 

      カラン

 

 

二つに分かれた狐の面が廊下に転がって割れた。

 

「何故こんなものをかぶっている?妲己。」

 

静かで、だが強い戒めの言葉。

 

「天下人の姫たるそなたが、何故このような呪具を身につけている?」

 

狐の面の表すもの、それは魔除け。

 

すなわち天下人の変わりにその面をかぶったものが厄を受けるというもの。

 

それを守るべき対象がかぶるなど、馬鹿げているにも程がある。

 

「狐が・・・憑いていたのでありましょう。」

 

はっ、と侍女が顔を上げた。

 

狐憑き。

 

それは最も忌むべき呪いだ。

 

「ほう、狐とな。」

 

帝辛は面白そうに笑った。

 

「その狐がそなたに面をかぶせたか?」

 

ニヤニヤと、心底楽しそうに笑う。

 

侍女はすがるようにこちらを眺めていた。

 

何かの間違いだと。

 

自分に狐など憑いてはいないと。

 

だが、その願いは通らない。

 

私だって彼女に狐が憑いていないことぐらい知っている。

 

知っているが・・・それを覆すことなどできないのだ。

 

相手が・・・帝である以上は・・・。

 

「狐、そのほう何か申し開きなどあるか?」

 

剣で侍従のあごを押し上げる。

 

涙でぐしゃぐしゃになった侍従の顔が帝を見上げるような形になった。

 

「私は・・・狐などではありませぬ・・・。」

 

「たわけが、なら何故姫に面をかぶせた?」

 

「それは!姫様が・・・無理やり・・・。」

 

「嘘を申すな、狐。」

 

「・・・・ッァァァッッッッ!!」

 

ザクリ、という音とともに侍従の指が切り落とされた。

 

声にならない悲鳴が侍従の口から搾り出される。

 

血が流れ、木目沿いに伝い、庭に落ちる。

 

「フム、どうじゃ、狐ならばないて見せよ。」

 

「私は・・狐などでは・・・。」

 

「一丁前に人語をしゃべるな。狐には狐の鳴き声があろう。」

 

 

ボゴ

 

 

鳩尾にまともに蹴りが入った。

 

鳳仙花の割れるような音とともに侍従の口から大量の血が吐き出される。

 

「鳴いて見せよ。コンコンと・・・ほれ・・・。」

 

侍女は息を詰まらせながらむせび泣いていたが、帝辛はかまわずにその腹を踏みつけた。

 

傍目にもその足にほぼ全体重が乗せられているのがわかる。

 

だが、その顔に映る狂気の笑みの・・・なんと美しいことか。

 

私は止めることもかなわぬまま、じっとこの男の顔を眺めていた。

 

 

 

「帝、もうおやめくださいまし。そのものはもう死んでおります。」

 

結局、私は帝辛が侍女を殺し終えるまでじっと見ているだけだった。

 

止めるでも、咎めるでもない。

 

女のすがるような目の意味を知りながら、それに答えることもしなかった。

 

私なら、あるいは止めることがかなったかも知れぬというのに・・・。

 

「そうか・・・。妲己、大丈夫であったか?」

 

「ええ。帝がお守りくださいましたもの。」

 

おべっか。

 

自分でもわかっているのだ。

 

本当にこの男を愛しているのであれば・・・。

 

愛しているからこそ、言わねばならぬことがあること。

 

愛しているからこそ、とらねばならぬ行動があること。

 

そして、他ならぬ帝辛が私のその行動を心待ちにしていることも・・・。

 

「嘘吐き・・・。」

 

物言わぬ骸の声が聞こえた気がした。

 

「私は今しばらく床に入ります。・・・日は嫌いなので・・・。」

 

頭が痛い。

 

「あ・・・ああ。わかっている。・・・お休み。」

 

心なしか落胆したような帝辛の声。

 

いったい・・・いつから見ていたのだろうか?

 

もし・・・私が彼女から面を奪ったところを見て、それでもなお彼女を殺したのなら・・・。

 

私はどうすればいいのだろう?

 

そのときの殺人鬼は誰なのだろう?

 

思い出す村。

 

そして人形師。

 

嵐の森で彼に会ったときから・・・ずっと変わらない呪い。

 

嗚呼、私は今のこの境遇に文句を言うべきではあるまい。

 

だが、それでもなお、私は全てを悲観する。

 

彼が与えてくれた殻。

 

これによって得た世界一の姫の座。

 

それら全てが・・・悪いほうにしか働かぬ。

 

いっそ死んでしまえば。

 

そう思って消した命であったというのに。

 

まだ・・・呪いは連鎖する。

 

私とて元は人であった。

 

人の死に悲しみ、流す涙ぐらいは持ち合わせていた。

 

だが・・・今の私は人ですらない。

 

涙の一筋すら・・・流せない。

 

 

 

私だけのために与えられた個室。

 

そこに置かれた無数の燭台。

 

百を越え、千を越え・・・。

 

そのほとんどに決して消えることのない火がゆれる。

 

霊火。

 

私の心の・・・ほんの一部を使って燃やす鎮魂の火。

 

「これはあなたの分よ・・・八女。」

 

その中にまだ火のついていない燭台を見つけ、心を集中させる。

 

魔道式は簡単なものだ。

 

だが、だからといって手を抜くことは許されない。

 

「汝がために狐火を燃やそう。雪の夜も、夏の日の中にも、決して消えることのない灯を燈そう。」

 

指先に燈される淡い光。

 

それを油の入っていない燭台に移す。

 

青白い光がぽう、と灯った。

 

・・・これでいい。

 

「武尊、船の建造のほうはどうなっている?」

 

何もない中空へと問いかける。

 

「数多の神々の力を借りておりますが故、予想以上に早く終わりそうです。」

 

すぐ後ろから声がかかった。

 

いつもそうだが・・・せめて入室の挨拶ぐらいはしてほしいものだ。

 

まあ、私自身それをわかってしているきらいがあるのも事実だが・・・。

 

振り返ると麻の服を着た男が立て膝をして座っていた。

 

「そう。南の・・・周の動きは?」

 

「こちらはあまり捗々しくありません。どうにも噂の聞こえが悪いようで・・・。軍力もまだ殷のほうが上でございます。」

 

「急がせてください。船が完成すれば神々方も周の軍に入れてかまいません。」

 

「はっ!」

 

私は赤蛇たる帝辛を殺せない。

 

それは呪いのせいで、それは私の部下たる神々も同じことだ。

 

殺せるのは・・・同じ中国の天帝に召された白蛇だけ。

 

急がねばならない・・・。

 

急がねば・・・間に合わなくなる・・・。

 

 

 

 

 

あとがき&単語帳(ネタばれを含みます)

 

 

『帝辛』

 殷王朝最後の王、日本でよく知られている名は紂王。たった一人の女(妲己)に現を抜かした王と知られ、酒池肉林をこよなく愛したという狂王。

 

 

『紅姫』(人名)

 帝辛の妻である妲己のこの作品における呼び名。死徒としては未熟だったようだが、少なくとも『幻獣生成』の能力は持っていた様子。(能力については別記)

 

 

『安陽』(地名)

 中国の地名。この時代もこの呼び名だったかは不明。

 

 

『八女』(人名)

 紅姫の侍従(今で言う使い走り?)

 

 

『魔道式』(用語)

 魔術を発動させるための式。この時代には魔法と呼ばれていたはず。

 

 

『赤蛇・白蛇』(用語)

 中国の古い言い伝えを踏まえての設定。赤蛇は現在の王、白蛇は未来における王を表し、時として次代の王の前に現れ行くべき道を示す。劉邦の逸話に秦の始皇帝の化身たる蛇を漢の初代皇帝たるべき劉邦が打ち倒すという場面があり、そこに出てくる老婆が言った言葉より取らせていただいた。元は赤帝・白帝だったのだがそれでは面白く無いので姿形そのままに蛇、という事で。

 

 

『神』(用語)

 紅姫の使い魔。彼女は神と呼んでいるが実際には神と呼ぶのもおこがましい人工精霊の一種。名前は全員デフォルメされたものなのである程度日本神話に詳しい人ならば誰の事かは大体分かるはず。日本に来るとき自然霊の一種として還元され、やがて本当に神となる。一応は魔法の産物。

 

 

『武尊』(人名)

 八百万の神の一人。力が強く武力に長けている。大和神話における神々の中でもかなりの有名人(有名神?)。

 

 

『狐火』(能力)

 燃焼系能力の一つ。現代魔術ではファイヤーボールなどと呼ばれる極めて弱い類の炎を断続的に燃やしつづける。

 

 

『幻獣生成』(能力)

 その名の通り幻獣を作り出す能力。本来ならば魔力の消費が激しすぎて使い物にならない上に、通常の方法でこれを行おうとすると確実に世界からの修正を受けるという結構危ない代物。

 ただ、紅姫が行っているのは正確には妖精に対し一定の魔力と特定の呪式を与えてランクアップするという方法で、受肉も完全では無い。例えるなら無理やり妖精をサーヴァント化しようとするようなもの。

 当然現在残された魔術では絶対に不可能な失われた魔法の一つ。

 

 

疲れた〜。しかし紅姫の能力って実はすごい強いものなのでは・・・?