「とりあえず、志貴。歌を歌ってみない?」

夜。先生が突然僕の部屋に入ってきたかと思うと、そんなことを言いだした。

「とりあえずって・・・先生。何か企んでるんですか?」

「志貴の歌声が聞きたいのよ」

「歌・・・歌は・・・」

僕、歌はあまり得意じゃないんだよなあ・・・

前に弓塚さんや有彦達と一緒にカラオケに行った時に凄いことになったし。

それに僕が歌える曲って数えきれるくらいしかない。

ちょっと早めの曲とか、明るい感じの曲は僕の歌い方にあわないって有彦にダメ出しされたし。

―――直後に有彦がお腹を押さえて蹲ったのは謎だけど。

自覚はしてたからなぁ・・・歌は苦手だって。

 

 

 

 

 

 

────PA────

 

 

 

 

 

僕が何も言わないから悩んでいると思ったのか、先生はまさかといった顔をした。

「もしかして、志貴・・・音痴?」

「音痴・・・かなぁ・・・マイクとは致命的に相性が悪いですよ」

凄いこととはマイクが一切使えずに全員がマイク無しで歌った訳だけど・・・

お店の人はまったく異常は見られないと首をかしげていた。

「あー・・・同じ理由でカメラもダメだしね。まあ、志貴が少しでも乗り気じゃなかったらカメラもマイクも一切NGだし」

それだ!

電話とか普通に使っていたから音声方面は完全に除外してた!

───まあ、マイク無しでも楽しかったから良いかな。

「マイク無しでも良いから。録音目的じゃないし」

何だろう。先生がやけにプッシュしてくる。

「先生。何か仕組んでいません?」

「仕組んではいるけど、志貴が困るような事じゃないわ」

先生は僕が多少困っても本当に嫌がることはしないし、不利益を被るようなことも絶対にしない。

だから僕は「あまり上手くないけど、良いですか?」と聞いたんだけど・・・それが間違いだった。

「志貴が歌うことに価値があるのよ!OKよね?それならすぐに予約を取るわ!」

 

え?

 

予約?

 

何の?

 

 

 

 

先生が予約したのはコンサートホールの予約の確定でした。

そこで何を歌えと?

しかも予約のキャンセルしてもお金は戻ってこないとのことで、僕としては逃げ場が無くなってしまった。

先生は僕の事が嫌いに違いない。

その気持ちを込めて「先生。僕の事キライ?」と聞いたら、

「え?愛してる」

と真顔で言われた。

うん。好き嫌い以前に愛してるとかもう訳が分からない。

「志貴は絶対しっとり系の曲があうと思うからこの5曲をお願いね?」

先生にそう言われて渡されたのは歌詞の書かれた楽譜とCD。

───もしかして。

「予約は一ヶ月後よ。それまでに覚えちゃって」

それなんて無茶振り?

「4曲は歌詞を覚える必要があるけど・・・まあそのうち2曲は知ってそうだから大丈夫だと思うわ。一曲は歌詞を覚える必要全くないから」

え?それって・・・

確認のために楽譜をめくる。

うん。確かに・・・

「お客さんは私を含めて30名よ。オーケストラもちゃんと手配するから何ら問題ないわ」

「問題大ありですよ!?」

オーケストラとかとんでもない!

オーケストラとか呼ばれた日には僕は姿を眩ましますよ!?

具体的には異世界に。

「───じゃあ演奏は1〜2名にお願いするわ」

先生。どうしてそんなに残念そうに・・・

アレですか?僕がガチガチに緊張している姿を見て笑うつもりですか?

「志貴の所のメイド達の情報網を使って最高のピアニストとを探すか・・・」

どうやらこの企画に翡翠ちゃん達も関わっているようだ。

とんでもない・・・本当にとんでもないよ・・・

僕は本気で逃走経路を用意しておかなければならないようです。

 

 

 

「来ちゃった」

いや、何がではなく・・・本番当日が、ですよ。

うん。僕、かなり精神的に追い詰められています。

歌は全部覚えてますよ?

七夜くんにも覚えて貰ったのでいざとなったら強制的にでも代わって貰うつもりです。

卑怯とか言わない。

───それも狙いの一つである可能性も否定できないけど。

「さて、志貴・・・ここが今回の舞台よ」

着いたそこはちょっと洒落にならないほど豪華なコンサートホールでした。

ええっと、お金は頑張って返済しますので・・・帰っても良いですか?

「ほら。お客さんを待たせているのよ?みんな仕事や公務が忙しいのに頑張って時間調整して駆けつけてくれたんだから」

こんな豪華なところを借りておきながらお客さんが30名ってのも恐ろしいと思う。

いつものメンバー以外に5〜6名いるって事自体勘弁して欲しいんですけど・・・公務!?

「先生、公務って!?」

「さて、時間がないわよ。準備急いで」

「先生!?」

結局先生は僕の質問に答えることなく準備に取りかかった。

 

 

ピアニストの人は目隠しをした人で、翡翠ちゃんが連れてきたらしい。

かなり無茶な条件を提示したにもかかわらず翡翠ちゃんは問題ないと言い切ってここに転移して貰ったとのこと。

え?転移?

───まあ、今更翡翠ちゃんに常識を求めても「翡翠ちゃんだし」で終わってしまいそうだから。

さて、あと数分で幕が開いてしまう。

特大罰ゲームを無事に終わらせることを最優先にしよう。

でも歌うことをおろそかにはしない。

楽譜や歌詞に籠められた意味を読み取って歌う。

僕はステージに立って深呼吸をする。

長く、短い戦いを始めよう。