闇の中、この姿を見ている人はいない。

「あ、ぁ・・・・ぁぁ・・・・・っ」

泣きたいのに、涙が出ない。

出てくるのは泣き声ともうめき声ともつかない代物。

泣き方を忘れてしまったのか。

それが情けなくて・・・・

「くっ・・・・・」

―――――それでも、涙は出なかった。

 

 

 

 

 

夜想曲

 

 

 

 

 

泣けない。

それが泣けてくる。

これが、慟哭か。

いや、慟哭は泣く事も含まれている。

そんな事を考える余裕すらあるのか、私は。

つくづく自分が嫌になる。

タッタッタッタッ

何か音がする。

タッタッタッタッ

何かが近付いてくる。

何故か、ここから逃げなければいけない気がした。

恐怖。

私がやってくる何かに恐怖している。

それが何なのか分かっているから。

確証はないのに分かっている。

逃げないと

そう思っているのに、金縛りにでもあったかのように足がまったく動かない。

焦る。

グチャグチャの感情。

逃げようとする心の一方で、もしこの音の主が志貴ならば抱きしめたいと言う気持ちもある。

いや、志貴に間違いないのだ。

今会えば壊れる。

だから会うわけにはいかない。

思考を強制冷却し、ようやく体の自由が利くようになった。

そして走り────

先生!待って!行かないで!」

その言葉が私をその場所に完全に縛り付けた。

 

 

言霊。

それはこんなにも強力なモノなのか。

いとも容易く私の心の壁は破られた。

「お姉ちゃん」と言われたのならまだ逃げられたかも知れない。

だが、「先生」と言われた。

私と志貴を繋ぐ一番強い糸。

そしてもう一度、願わくばもう一度「先生」と呼んで欲しかった。

私の叶わぬと思った願いが不意に叶えられてしまったのだ。

この時間的なバランスの乱れが、

この論理防壁を破られた所為で、

この私の苦悩と嘘と誤魔化しを、

この瞬間、私の志貴に対する全ての逃走手段を失った。

逃げる事も、拒絶する事も、誤魔化す事もできない。

出来るかも知れないが、志貴の目を見たら完全にチェックメイトだろう。

タッタッタッッ

その音はすぐ側で止まった。

「先生」

見るわけにはいかない。

そして、

意地でも私は嘘を吐き通す。

「来ないで!」

目を閉じて叫ぶ。

「───来ないで。君との縁は、あの時に切れたの」

言いながら思う。

あの時とはどの時を指すのだろうか。

志貴が飲まれて消えた時だろうか。

それとも私が志貴をお姫さんに引き渡した時か。

恐らく前者だろう。

何故なら────

「先生」

私の思考はその科白一つで完全に止められた。

「な、に?」

「僕、先生好きです。でも、先生が───」

「私の役割は終わったの。だから君とは」

「それで縁が切れるとは思ってねぇだろ?あんなに必死に志貴の事を待っていたのによ」

コッ

志貴の更に後ろに青年が立っていた。

「遠野、四季・・・・」

「志貴っぽいのが走っていたいったから気になって追ってきたんだが」

「その子が志貴よ」

「そのようだな。よっ、元気か?志貴」

「うん、ご免ね・・・僕ももう少し早く戻れたら良かったんだけど」

───え?それは・・・

ここで初めて志貴を直視する。

「───この状態を長くは維持できませんが」

志貴が何か言う前に私は志貴を抱きしめた。