そこはただ広いだけで何も置かれていない部屋だった。
そしてそこに人間が三名。
橙子、青子、そして志貴の三名だった。
橙子は壁にもたれ掛かり二人の様子をジッと観察している。
青子と志貴は互いに向かい合い、構えを取っていた。
ボクシングスタイルの青子に対し、志貴はおどおどしながらも腰を落とした半身の構えを取っていた。
その構えは初めてとは思えないほどしっかりとしたものであったために青子は入れるのを時折躊躇していた。
そのやり合いを数十分続け、青子は構えを解き、息を吐くと橙子を見る。
「───休憩にしましょう。姉さん、良い?」
「ああ、そうだな。大方の特性が分かった」
橙子はそう言うともたれていた壁から身を離すと青子にタオルを投げた。
「僕、お水を取ってきます」
志貴はパタパタとその部屋から走って出ていった。
七夜月君
「―――参った。志貴は術は術でも体術専門ね」
そう言って青子は汗を拭った。
「・・・それもかなり前から叩き込まれている。その行動一つ一つが血となり肉となっている」
「私手加減されていたし・・・あの子、人を傷つけるのを極端に恐れているのよね」
「そうだな。何度も好機があったにも係わらず全くと言っていいほど攻撃してこなかったな」
その台詞に青子は大きなため息を吐いた。
「───あの年でそんな風になるものなの?」
「本来ならならない。いや───」
橙子は途中で言葉を切り、
「ごく少数だが、その類の者達が居たな。」
ただその具体的な者達の名を挙げずに橙子は頭を軽く振った。
「いや───そんなはずはない」
その言葉が何を意味しているかは関係なく、青子には橙子が発したその言葉自体が信じられないモノだった。
姉が自身の記憶と思考を考慮した上で否定した事が信じられなかったのだ。
「そんなに問題でもあるの?」
「ああ―――仮定の話であればいくらでも出来る。しかし・・・もしそうならば」
「何よ」
「彼は最強の切り札になる。遠野の者、この国の組織、それに我々にも」
「どういう事よ・・・しかも遠野の切り札って」
「遠野の者達のうち調査できなかった槙久を除いて各家の当主達は志貴のことを快く受け入れている。
しかしな・・・それでは全てをカバーできない。少し前から外戚の一部から吊し上げを喰らっているようだ」
「最近特に思うんだけど・・・そんな短時間にどうやって調べているのよ」
「幾つかのルートを使って調べている」
「・・・よくそんなコネと金があるわね」
「ふ、愚問だな」
橙子はニヤリと笑うと
「失敗作を売り捌けば結構な金になると気付いてな・・・それにそう動けば相手もこちらに気付くだろう?」
「・・・・・・聞いた私が馬鹿だったわ」
サラリとトンデモナイことを言ってのけた橙子に青子はそれ以上何も言えなかった。
外界の太陽は天頂に達しているというにもかかわらず明かりの入らぬ部屋。
そこはやはりスタンドライトのみがその部屋についている唯一の照明だった。
───ィン、
テーブルの上にあった電話が着信直前の音を鳴らす。
書類に向かっていた男がその音にピクリと反応する。
短い呼び出しのベルが部屋に響き、男はすぐに受話器を取った。
「───そうか。網に掛かったか・・・いや、そのまま暫く監視だけに留めておけ。
───うむ。其奴等の詳細も揃えろ」
それだけ言うと男は受話器を置いた。
「保護か、誘拐か・・・どちらにせよ・・・・・・」
男は立ち上がり薄暗くしていたカーテンを開く。
「遠野に仇なす者として排除するしかあるまい」
男はニィッと口元だけ嗤うと窓に背を向け机へと戻り、書類を閉じた。
「──────まーさかコレは予想外だったんじゃない?」
休憩を終え、魔術の特訓を始めて1〜2時間経った頃、青子が僅かに顔を引きつらしながらそう呟いた。
「うむ・・・流石これほどの副作用があるとはな・・・段階をすっ飛ばすとはな。流石志貴だ」
橙子は感心したように何度も頷いた。
その二人の目の前では、
「ほんとだ・・・シャボン玉が割れない・・・」
志貴が虹色の球体を手の上で転がして遊んでいた。
「速攻で強化を教えるのはどうかと思ったけど・・・まさかここまでとは思ってもみなかったわ姉さんは予想済み?」
無邪気に遊ぶ志貴を微笑を浮かべながら見ていた青子はそのまま小さく肩を竦める。
「いや・・・実践的なモノならすぐに覚えてしまいそうな勢いだな。等価物質の修正や投影も志貴には良いかも知れんな」
橙子も遊んでいる志貴から目を離さずにそう答えた。
と、橙子は志貴の側に行き、志貴の頭をなでると微笑した。
「志貴、次に教えるのはなかなか便利だぞ」
橙子はそう言うと青子に合図を送る。
「ふっ」
青子が扉に向かって軽く手を翳した瞬間、
ボンッッッ
扉が大きく振動し、音を立ててその場に崩れた。
「───なかなか面白い芸当をするな」
「壊すことに関しては妥協しないもの」
呆れる橙子に青子は勝ち誇った顔をした。
「まぁ、いい。志貴、コレを元の扉に直すというのが次の訓練だ」
「う、うん・・・」
橙子の台詞に志貴は不安そうな顔で頷いた。