「・・・・」
軋間の手がゆっくりと動くが、志貴は動かない。
「大丈夫?・・・・あの、僕」
その手は志貴の頭に触れ、優しく志貴の頭を撫でた。
「・・・・・行け。志貴」
「ぇ・・・・いいの?」
恐る恐ると言った表情で問う志貴の頭をもう一度撫で、軋間は頷いた。
「書斎にいる」
そう言って軋間は森の奥へと入っていった。
七夜月君
「――――いくわよ。早くしないとまた邪魔が入るわ」
驚きのあまり腰を抜かした警備員を昏倒させ、青子は志貴の横に立つ。
「・・・・・うん」
「元気出しなさい。志貴が悲しそうな顔をすると私まで嫌な気持ちになるから」
「ぅぇ?」
「泣きそうな顔しなーい」
志貴の頭をクシャクシャと撫で、青子は苦笑する。
「泥だらけね・・・・ま、男の子はそのくらいがちょうど良いかな」
そう言って志貴の背中を軽く叩く。
「急ぐわよ志貴。君のお父さんのいそうな場所は分かる?」
「あの、お父さんは書斎にいるって」
「・・・あああ、あれはそういった意味だったのね」
「うん。おじさん、あんまり喋らない人だから」
「いや、喋らないと言う領域じゃない気が・・・ま、いいわ」
青子は小さく息を吐き、
「なら早く行って話を聞くわよ」
青子は志貴の背中を優しく押して歩き出した。
と、
「・・・・志貴。私の見送りはここまで。あとは志貴は自分の目的のためだけに動きなさい」
「・・・・え?」
突然の青子の台詞に驚いた顔で青子を見る。
「ま、やることもないから私はさっきの車の所に暫くいるわ。もし話が悪い方向になったら来るのよ」
青子は志貴にニッと笑うと、
「そこの警備員さん。この子を捜しているって聞いたんだけど?」
巡回中の若い警備員に声を掛けた。
慌てて走ってきた警備員に青子は二言、三言言うと、さっと身を翻して去っていった。
警備員は何事もなかったかのように志貴を館へと連れて行った。
ずぶ濡れ、泥まみれの志貴を見た執事や女中達は志貴を風呂に入れた。
風呂から上がった志貴はすぐに書斎へと向かう。
パタパタパタパタ・・・・
志貴は人気のない長い廊下を走る。
そして書斎の前に着いた志貴は、立ち止まり一瞬躊躇ったが、
コンコンッ
ドアをノックした。
「────入れ」
部屋の中から入室の許可が下りる。
志貴は大きく深呼吸をし、書斎の扉を開ける。
「・・・・」
「・・・・・・・・志貴、か」
扉を開けた志貴を槙久の冷たい目が捉える。
「あの、」
志貴は扉を中途半端に開け、戸口に立ったまま槙久に声を掛ける。
「───なんだ?」
「あの・・・・」
言葉が出ない。
槙久はジッと志貴を見ている。
「・・・・・・・」
志貴は小さく呼吸を整えると、こう切り出した。
「────どうして、僕を助けたの?」と
志貴の台詞を聞いた槙久は一瞬、目を細めた。
「どういう意味だ?」
「ぇ?・・・・・ぁ、の」
視線を彷徨わせ、どう言えばいいのか必死に考える志貴。
槙久はただ黙って志貴の言葉を待つ。
「・・・・んっ、と・・・お父さん達みんな死んじゃって、その、僕だけ・・・」
「ただの気まぐれだ」
言い辛そうに言葉を綴っていた志貴の台詞を槙久の台詞が遮る。
「・・・・・・?」
不思議そうな顔で小さく首を傾げる志貴。
「お前は組織と奴等の動きを封じるための駒だ」
ハッキリとそう言い放つ槙久。
志貴はその台詞を聞いた瞬間、僅かに緊張が解けたのかガチガチに固まっていた肩の力を少し抜いた。
「僕、どうなるの?」
「有間の家にお前を預けるつもりだ・・・この屋敷から出す口実も出来たことだからな」
しばしの沈黙。
「お兄ちゃんみたいに閉じこめたりしない?」
「!?」
志貴の台詞に槙久は僅かに眉を顰める。
だが、
「・・・・お前は自由だ。制限のある自由だがな」
槙久はそう言って椅子の背にもたれる。
「───話はそれだけか?」
「うっ、ん・・・・」
志貴は小さく頷くとペコリと頭を下げ、
「ありがとう・・・・」
そう言って部屋を出た。
「待て」
扉を閉めようとした志貴を呼び止める。
「来い」
槙久は引き出しを開け、ペンと綴られた紙を取り出すと何か書き込み、その紙を封筒に入れる。
「これをお前を連れてきた奴に渡せ」
封筒を志貴に差し出す。
「ぁ、うん・・・・」
小走りで槙久の側に行くと、志貴は封筒を受け取る。
「行け」
「うん」
志貴は封筒を両手で持ち、ドアの側に立つ。
「ありがとう、お父さん」
そう言って扉を閉めた。
「・・・志貴は来ないと思うが」
助手席のシートを起こし、橙子がボンネットに座っている青子に声を掛ける。
「そうかもね。でも、もう少しここにいたい気分なのよ」
青子はそう言って空を見上げる。
「姉さん」
「何だ?」
「私って、こんなキャラだったかしら」
「いや、全然」
「・・・・・・・・・即答されるのは分かっていたけど、何か腹立つわね」
顔を顰め、ボンネットから降りると軽く背伸びする。
「────一時間越えてるし、そろそろ諦めるかな・・・・」
「・・・・いや、来たらしいぞ」
「え?!」
橙子の台詞に青子は慌てて屋敷の方に目を向けた。
門から一人の少年が駆けてくる。
「志貴!」
それは驚き以外の何物でもなかった。
志貴は車の前に立つと、ペコリと頭を下げる。
「どうだった?」
「うん。大丈夫だった」
志貴の答えに「何が」とは言わず、二人とも「そうか」と頷く。
「あの、これ・・・・」
封筒を青子に渡す。
「ん?」
青子は封筒を受け取り、封を破って中を見る。
中には短い一言と結構な額の小切手が入っていた。
「・・・・・・・・・・姉さん」
顔を顰め、橙子に封筒ごと渡す。
「どれ・・・・」
一式受け取り、それらを見た橙子は何とも言えない顔をした。
「志貴」
「はい」
橙子は手紙だけを志貴に渡す。
「────と、言うわけだ。これからも我々は一緒だ」
そう言うと助手席から運転席へと移ると眼鏡をかける。
「二人とも、家に帰りましょう」
橙子はそう言ってキースイッチを回した。